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アメリカの歌 ー Paul Simon "American Tune" (拙訳)

6日前の投稿の中で、半世紀以上前の 1968年にリリースされたサイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel, 以下 S&G)の名曲 "America" とその歌詞の拙訳を、先月25日にアメリカ合州国(以下、アメリカ)ミネアポリス近郊で起きた白人警察官によるアフリカ系アメリカ人逮捕の際の殺害という極めて野蛮な行為とその後のアメリカ国内の抗議運動の様子に絡めつつ、掲載しました(本投稿の最後のところにリンクを貼ります)。

今日の投稿では、同じくポール・サイモン(Paul Simon)が作詞作曲し、1973年にリリースした "American Tune" の歌、そしてその歌詞および拙訳を掲載します。

邦題で「アメリカの歌」とほぼそのまま訳されているこの歌は、彼の S&G 解散後のソロ 2作目 "There Goes Rhymin' Simon"(1973年5月5日リリース)の、当時の LP レコードでいうところの B面 1曲目に収録されています。

前回 6月3日および昨年12月20日付の投稿の中で取り上げた S&G 時代の曲 "America" も、この曲 "American Tune" も、共に現代人の孤独や迷い、そして希望あるいは微かな希望などが歌われているものと私は解釈していますが、作られた時の作者の年齢による影響もあってか、あえて言えば前者は若者のそれを表わしている色合いが濃く、後者はさらに年齢を重ねた人間の表現なんだろうなという感じです。

また、この 2曲は「名は体を表わす」と言っていい曲、要するに、アメリカという国もしくはアメリカの社会を表現するアンセム(Anthem)と見做されることが相応しいような、そんな意味合いを持つ曲なのではないかと私は思っています。言葉の意味において必ずしも一致するわけではないでしょうけれども、私小説と全体小説の両方を兼ね合わせたようなものとも言えるでしょうか。と書いてしまうと、小説をあまり読まない人間の勇み足かもしれません。ま、いいや(笑)。

この辺で肝心の歌を聴いてみますが、YouTube 上にはオリジナル音源が上がっておらず、以下に掲載するのはリリースから 2年後の 1975年に、彼がイギリス BBC のテレビ番組に出演した際のライヴ・ヴァージョンです。

当時のライヴで歌っているままの英語歌詞(オリジナルの歌詞とほんの少し違う箇所もありますが、"I wonder what went wrong; I can’t help it, I wonder what’s gone wrong" が "I wonder what's gone wrong; I can’t help it, I wonder what’s gone wrong" に変わっている程度で、全体としてはほぼ同じ)と、一昨日から昨日にかけて訳したばかりのホヤホヤの拙訳を掲載します。

主語は誰、もしくは何なのか。そして "mistaken" とは?

実は冒頭の "Many’s the time I’ve been mistaken", 私はここでいきなり迷いました。まさしくその直後に使われている言葉を使えば、I was "confused" です。この "mistaken" は形容詞なのでしょうか。それとも、他動詞としての mistake の過去分子なのでしょうか。普通に英語として読めば、あるいは私と違って十分完璧な英語力を持つ人であれば、前者の方で読むんでしょうね。実は私は、最初、「何度も何度も誤解され」とか「何度も何度も間違われ」とか訳そうと思いました。もしも英語的にそう訳すことが可能だとしても、それはある意味、深読みし過ぎの訳だということになるのかもしれません。結局、前者を選び、以下のようにしました。

例によって(?)前置きが長くなりましたが、もう一言。以下の歌詞の中の "I" は、タイトルの "American Tune" の "American" を「アメリカ人の」でなく「アメリカの」と受け取り、それをそのまま文字通りに解釈して、これは擬人法なのだと捉え、「僕」とか「私」とかではなく、「アメリカ」そのもののことなのだと解釈することは可能だと思います。作者の意図が何処にあったにせよ、詩(歌詞)を読む側、歌を聴く側がそう解釈することは構わないでしょう。他者によって表現されたものをどう解釈するかということも、例えばその結果として詩や歌詞をどのように翻訳して他の言語に置き換えるのかということも、それはそれで一つの表現行為であり、アーティストの作品は受け取る側に届いた時に既に作者のもとを離れているとも言えるわけですから(これは受け取る側がどう受け取るかということで、もちろん所謂「著作権」の問題とは別の話です)。

"We" は「僕らアメリカ人」と、あるいはこの歌が単にアメリカ人だけの孤独や迷い、疎外感、諦観、そして微かな希望などを歌っているのではなく、国境を超えて現代の世界を生きる地球上の全てもしくは多くの人々が普遍的に抱える孤独や迷い、疎外感、諦観、希望などについても歌っているのだと捉えるなら、単に「僕ら」「我々」「私たち」と受け取ってもいいのかもしれません。"I" は「僕」「私」ととってもいいし、そしてこれが「アメリカの」「歌」だと捉えるなら、この主語は「アメリカ」 そのものなのだと解釈していいのだろうと私は思います。

しかし主語に拘り出すと、じゃぁ、"Still, you don’t expect to be bright and bon vivant" の "you" は誰なのか。"I" であるところの "America" が自分に向かって "you" と呟いている、あるいは単にアメリカ人であるところの「僕」なり「俺」なり「私」なりが自分に向かって「きみ」とか「お前」とか「あなた」とか呼びかけている、あるいは一般的に「人々」を意味する "you" という意味合いで、この問わず語りみたいな話を聞いているリスナーに向かって、このセンテンスを投げかけている、他にもあるかな。ま、いいや(笑)、キリがないですね。

「キリがない」と書いておきながら、訳詞の掲載に入る前に、話を前に戻してさらに一言(納豆のように粘っこい前置きになってきた、笑)。

粘着質の私は、あらためて迷います。この少し上のところで、"Many’s the time I’ve been mistaken", ここでの "mistaken" は形容詞なのか、それとも他動詞 mistake の過去分子なのか、と書きました。

実際のところ、どうなんだろうか。"Many’s the time I’ve been mistaken", これはこの歌詞全体を見て、少なくともその文脈的には「何度も何度も間違いを犯し」とか「何度も何度も失敗し」と訳す方が自然なんだと思う。この "I" は "America" だという前提で考えると、ますますそっちの方かなと思ったりもする。しかし、本当にそうなんだろうか。

第三者が言わば客観的に "America" を見るとしたら、そっちかもしれない。しかし主語が "America" であって、"America" が自画像を語っているとしたら、「僕はいつも世界から誤解されているんだ」といった自意識が働かないだろうか。

例えば私のようなアメリカに批判的な第三者であれば「アメリカさんよ、あんたはいつも間違いを犯してるよ」と言いたいところであっても、アメリカ自身の自意識は「いや、それは誤解だよ。そんなつもりじゃないんだ」ということにならないだろうか。

であれば、この "mistaken" は形容詞ではなく、「(言動の真意について)誤解する」「他の人(やもの)と思い違いする」といった意味の他動詞 "mistake" の過去分子であって、つまりこれは受動態。その可能性はあると思えてくるのだが、しかし今度は、その解釈は単に英語読解のレベルとしても「あり」ということでいいんだろうかという疑問や迷いの気持ちが(再び)頭を擡げる。この辺、私のこの投稿が英語のエキスパートの眼に留まったりすることでもあれば、純粋に英語としてはどうなのか、尋ねてみたいのだが.. 。

ということで、The first verse の The first line から迷いまくる今回の歌詞翻訳作業。困ったもんだ。

いま敢えて我が家の CD のライナーノーツにあると思われる(たぶん掲載されてるんだろうと思うんだけど)歌詞和訳を見てないんだけど、これまで様々な機会に私の視界に入ったことがあるこの歌の訳詞、それはプロから私のようなアマの翻訳趣味シュミ人まで色んな人が訳したものなんだけれど、流石に第1節の最初の行、歌い出し部分だから記憶があって、思い出す限り殆どが「何度も失敗し」とか「間違いを繰り返し」とか訳していたと思う。ここは正直、土壇場まで迷うんだけれど、確信が持てない自分としては、とりあえず、としか言えない。とりあえず、以下の通り、「何度も何度も間違いを犯し」という訳で進めようと思います。

ああ、ほんま、前置きがどんどん長くなってしもうたわ(私は静岡県出身なので、この訛りは何処かオカシイ可能性があります)。

アメリカの歌、歌詞と拙訳

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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何度も何度も間違いを犯し
そして繰り返し混乱の中をやり過ごしてきた
そうなんだ、見捨てられたと感じることもよくあった
虐げられていると感じたことさえもね
でも大丈夫だよ、平気なのさ
ただ疲れが骨の隋まで染み込んでるだけなんだ
期待なんかしてないよね
華やかに生きて美食家になるだなんて
家からこんなにも遠く離れた場所で
そう、こんなにも遠く離れてしまったんだ

打ちのめされたことがない人なんているだろうか
穏やかな心持ちの友達なんかいないんだ
打ち砕かれたことのない夢なんて知らない
崩れ落ちたことのない夢なんて
でも平気さ、大丈夫だよ
うまくやって長いこと生きて来れたんだ
それでもこの道のりを考えるとき、
つまり僕らが旅しているこの道のりをね
いったい何が間違っていたんだろうって思うのさ
思う他ないのさ、どこで道を誤ったんだろうって

そうして僕は自分が死にゆく夢を見たのさ
そうして僕の魂が不意に空高く舞い上がる夢を見たのさ
魂は僕を見下ろしていたよ
僕を安心させようと微笑みもしたんだ
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見たのさ
そうして上空で僕の目ははっきりと捉えたんだ
自由の女神をね
遠くの海へと去って行く自由の女神を
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見ていたんだよ

おお、僕らはメイフラワーと彼らが呼ぶ船に乗って
僕らは月にまで航行した船に乗って
この最も不確かな時代にやって来た
そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむんだ
でも大丈夫だよ
平気さ、大丈夫なんだ
誰だって幸運であり続けるなんてことは出来ないのさ
それでも明日はまたやるべき仕事があるんだね
それで僕は今ただ少し休もうとしてるってわけさ
僕はただ少し休もうとしているだけなんだ

....................................

Many’s the time I’ve been mistaken

のっけから、"Many’s the time I’ve been mistaken" です。

この "I" が実は "America" そのものだとして、そしてこの一文を「何度も何度も間違いを犯し」と解釈するとして、ここは率直に言って納得できるものがあります。

Many’s the time America has been mistaken. 

アメリカ大陸の先住民族の多くを虐殺し、生き残った彼らを彼らの土地(彼ら先住民の多くは自らの土地というより神もしくは自然から与えられた土地と考えていたものと思いますが)から追いやり、彼らの土地を奪い、そこに社会を、国を建設し、一方でアフリカ大陸から奴隷船で運んで来たアフリカの人々を奴隷として酷使し、その間に富を築き... 。

以降の近現代のアメリカの過ちを加えるなら、これはもうキリがない。思いつくままに挙げても、ウンデット・ニーの虐殺(Wounded Knee Massacre, 1890年12月29日のアメリカ軍第7騎兵隊による先住民族部族に対する虐殺・民族浄化)、ドレスデン爆撃(1945年2月のイギリス空軍およびアメリカ陸軍航空軍によるドイツ東部の都市ドレスデンへの無差別の絨毯爆撃、一般の非武装市民に対する無差別虐殺、もちろんドイツが野蛮なナチス政権の支配下にあった時代であることを承知の上で例示しています)、東京大空襲(1945年3月のアメリカ軍による東京への無差別の絨毯爆撃、10万人の一般の非武装市民を焼き殺すことになった無差別虐殺)、1945年8月の Hiroshima, Nagasaki (もちろん日本が野蛮な軍事政権の支配下にあった時代であることを承知の上で例示しています)、そして第二次世界大戦後のアメリカによる他国・他民族に対する蛮行の数々も数えきれない。1953年8月の、イランの民主的に選ばれたモハンマド・モサッデク首相による政権の転覆(アメリカ CIA がイギリスの情報機関 MI6 と共謀・画策したクーデター)、グアテマラの民主的に選ばれた大統領アルベンス・グスマンの政権の転覆(1954年6月、アメリカ CIA が画策したクーデター)、チリの民主的に選ばれた大統領サルバドール・アジェンデが自死することになった1973年9月11日のアウグスト・ピノチェトによるクーデター(アメリカ CIA の画策, 多くのアメリカ人は 2001年の自国の 911 は忘れなくとも、自国が引き起こした他国の悲劇の 911 については忘れる以前に殆ど知りもしません)、こうした他国の政権を転覆させるというアメリカによる国家犯罪も枚挙に暇がありませんが、他にも、例えばアメリカが手を染め多数の一般市民を殺した戦争に関しても、例を挙げ出したら一体どれだけの文字数を費やさなければならないのか。主だったものだけでもベトナム戦争(戦争行為そのものでも多くのベトナム市民が殺されていますが、1968年3月のソンミ村虐殺事件 My Lai Massacre を知る日本人も多いと思います)、今世紀に入ってからのアフガニスタン攻撃、イラク攻撃、などなど。

ところで、アフリカ系アメリカ人の投票権が確立したのはいつのことでしょうか。南北戦争(1861 - 1865年)の結果として奴隷制の「制度」が廃止され、1870年3月に憲法に修正第15条が加えられることで彼らにも選挙権が認められましたが、このエポック・メイキングな出来事がアメリカ全土において実効性を持ったのは一時期のことでした。アメリカという「国」に復帰した南部の諸州(Southern United States)では人種差別が始まり(同地域における人種差別が続き)、差別的な策略の意図を持った州法の制定により、憲法で認められたはずの彼らの投票権は結局のところ奪われていくことになります。アフリカ系アメリカ人たちの投票権の確立は、アメリカが「民主主義国の代表」であるかのようにドイツ、イタリア、日本といった当時の全体主義国家の同盟と戦った第二次世界大戦の終了後、さらに1960年代に入り、公民権運動の盛り上がりの中で「公民権法」によって公共施設における白人との分離が憲法違反であることが確定した1964年の翌年、1965年の「投票権法」の制定を待たなければなりませんでした。

前回の「America ー Simon & Garfunkel "America" (拙訳)」と題した投稿(本投稿の最後の部分にリンク)の中の 4段落分を、以下に引いておきたいと思います。

話が若干脱線しますが、フロイドさん殺害事件の後のアメリカ国内の様々な動きを取り上げながら、「これこそアメリカの民主主義だ」というようなコメントをする人をしばしば見ますが、私自身はこうした見方に懐疑的です。

アメリカにおいてこのような事件が起きる度に、これに抗議する大きな運動がアメリカ全土に広がることは知っていますが、しかし、このような前近代的な人種差別による殺害行為は繰り返されています。そもそも、アメリカでアフリカ系アメリカ人が選挙権をはじめとする公民権を獲得したのは一体いつのことでしょうか。第二次世界大戦前の話ではありません。はっきり言って、ほんの数十年前の話なのです。

もちろん私は、日本がアメリカと比べて、人種差別が少ない国だなととは一言も言いません。日本における人種差別や少数民族、少数者に対する差別も相当に根深いものがありますが、一方でアメリカのいわゆる「民主主義」, So called "democracy" を過大評価するのは間違いだと私は思っています。

アメリカの民主主義や自由については、その実態は相当に疑い深く見た方がいい。今回のような問題は単にトランプ政権下だから起きたということではなく、遥か昔からアメリカにはそういう側面があるのだということです(この事件の後の抗議運動の勢いが加速し一部が「暴徒化」する中で国民への説得力あるメッセージを何ら出せない、あるいはかえって火に油を注ぐような言動しかしない大統領の存在という意味においては、現在のトランプ政権が非常に特殊なものであることも確かですが)。

この上の 8つの段落、今日の投稿のテーマの中で詳述するのは無理、あれ以上書くのは止めておきます。

今日はそうです、「アメリカの歌」についての投稿でした(わざとらしいか)。

さて、歌詞の話に戻ります。

Bright and bon vivant

"Bright and bon vivant" というのは面白い表現ですが、これは私と違って英語力が完璧な人であればどう訳すのでしょうか。

"bon vivant" は元々フランス語で「美食家、グルメ」という意味のようですが、幾つかの online dictionary で引くと、"bon vivant" については、"a person who enjoys good food and wines and likes going to restaurants and parties" とか "a person who lives luxuriously and enjoys good food and drink" とか、そんな英英の訳が掲載されてたりします。

"Bright and bon vivant" で何かの意味の成句とか書いてあるのを昔々、何処かで見たよう気がしていたのですが、あらためてネットでググってもそれらしきものは見つかりません。で、一つ気になってこれは何かなとアクセスしてみたところには、

まさしく Paul Simon のライヴを観た人のブログみたいなものがあって(因みに私自身は彼のライヴを 2回観ています、1991年の来日公演を妻と、そして 2009年の Simon & Garfunkel の来日公演の際は妻子と共に 3人で)、その人がこの歌詞の中の件のフレーズを直接取り上げていて、"Those four words—bright and bon vivant—feel carefree on their own but become much more complex in context." と書いていました。

気苦労もなく、気楽にのんびりと自活していける、みたいな雰囲気でしょうか。しかし、この歌詞の文脈の中ではもっと複雑で色んな意味が込められているのだとも言っています。やはり、このフレーズを短い表現のまま正確に日本語にするのは簡単ではなさそうです。

上に引用した英語ネイティヴの人(たぶん、というのは現時点で他の箇所を見てないので、笑)の感じ方を活かしてみたい気がして、少しのあいだ考えていたのですが、名案は直ぐには浮かびません。

とりあえず、自分で最初に訳してみた通り、"Still, you don’t expect to be bright and bon vivant" については、「期待なんかしてないよね、華やかに生きて美食家になるだなんて」のままにしておこうと思います(ちょっとあのサイトの彼女のニュアンスとは違ってしまうんだけどなぁ)。

しかし、あのサイト、そもそも Website のドメインに、そのまんま bright and bon vivant を使っている。何があるのか、興味は湧きますね。時間かけて見てみようって気分になったら、いつかもう少し覗いてみるかもしれません(話、脱線)。

So far away from home

この "home" は何を意味しているのか。これも色々な解釈が可能かもしれません。訳詞の中では、とりあえず、思い切り直訳の「家」です。「故郷」と訳してもよかったかもしれませんが、とりあえず、「家」。日本語の「家」も、いろんな意味合いを持たせることができる言葉ではあると思います。

I don’t know a soul who’s not been battered

この "soul" は「魂」としてもいいのですが、"soul" は「人」という意味でも使われる言葉です。安直に 英辞郎 on the WEB を見ると、まさしく「魂」を持ったというニュアンスにもなるでしょうか、「〔親しみや哀れみの対象としての〕人」、「人、誰」(否定文で用いられる)、「〔ある集団を構成する個人としての〕人」(これなどはこの歌の中でいうなら、アメリカ国家のもとで生きるアメリカ国民の一人ひとりを指す「個人」としての人、ということになるのでしょう)、「手本、典型、化身」、「〔集団や運動の〕中心人物、指導者」といった意味が列挙されています。

"Soul" は私のような音楽好きにとっては "Soul Music" と同意でもありますが、上記の辞書からそのまま引くなら、"Soul" はその言葉単体で「〔黒人の〕ソウル」としての「黒人の言語、文化、宗教などの本質およびそれに対する誇り」といった意味もあります。

アフリカ系アメリカ人であるアラン・トゥーサン(Allen Toussaint, アメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ出身で 5年前に亡くなった Soul もしくは Southern Soul, さらには R&B, Funk, Blues, Jazz のミュージシャン)による "American Tune" の秀逸なカヴァーがあるのですが(本投稿の下部にリンクを置きます)、彼が歌うヴァージョンにおいては、この "Soul" という言葉一つに関しても特別なニュアンスを伴って聞こえてくるような気がします(聴く側としてそう「聴く」ことができます)。

And I dreamed I was dying

この "I" をアメリカそのものと捉えてみましょう。かつての「ローマ帝国」のように、「帝国主義」の「帝国」としてのアメリカにも、いつかその「終わりの日」が訪れるのかもしれません。ただし、この歌の中では、それは「夢の中」の話です。

The Statue of Liberty sailing away to sea

本投稿のタイトル上の絵みたいなイメージでしょうか。

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「遠くの海へと去って行く自由の女神」、自由の女神は、彼女の故郷であるフランスに戻ろうとしているのでしょうか。あるいは、あてどなくさまよう自由の女神を思い描いた方がよいでしょうか。 

The Last Verse ー Mayflower, Uncertain hour, American tune..

さて、The last verse, この歌詞の最後の節についてです。

"Mayflower", "Uncertain hour", "American tune" .. "I’m trying to get some rest", この歌の中の話における最後の章を見てみましょう。

半世紀近く前にもなる 1973年、今年2020年 911 に還暦を迎える私がまだ中学 1年生だった時から聴き続けているこの曲、一昨日、その歌詞を自分なりに翻訳してみようと思って久しぶりにじっくりと歌詞を見ていて、この最後の節が、そのとりわけ最初の一文の動詞が、現在形になっているという事実にあらためて気づき、そのことが妙に気になりました。

今まで自分でこの歌詞通りに口ずさんでいたのだとは思うのですが、頭の中では、"Oh, we've come on the ship they call(ed) the Mayflower" もしくは "Oh, we came on the ship they call(ed) the Mayflower" と理解していたかもしれません。

なお、この "Mayflower" に関わって念のため先に書いておくと、Paul Simon 自身は 1941年10月13日にハンガリー系ユダヤ人の両親の息子としてニュージャージー州ニューアークで生まれ、4歳の頃にニューヨーク州ニューヨーク市に移り住んだユダヤ系アメリカ人であって、17世紀にアメリカに渡ったイングランドのピューリタンたちとは全く関係ありません。

話を戻します、"Mayflower" です。

"Mayflower" は文字通り(幾つかの)特定の花(もしくは植物)を指す名詞でもありますが、"The ship they call the Mayflower" といえば、当然ながらこれは船の名前です。

1620年、イングランド国教会とイギリス国王の弾圧から逃がれ、信仰の自由を求めたイングランドのピューリタン(Puritan, 清教徒)たちを中心とするピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)の一団が、イギリス南西部プリマスから彼らにとっての「新天地」アメリカを目指し、現在のアメリカのマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名、メイフラワー号(Mayflower)を指すことになります。

彼らピルグリム・ファーザーズは、彼らにとっての「新天地」において、彼らが考えるところの「キリスト教徒にとっての理想社会」を建設することを目指したようですが、そもそも「新天地」という発想、その言葉は「新大陸」と同意ではないものの、歴史を踏まえれば、アメリカ大陸の先住民族にとっては随分と迷惑な話に違いありません。

事実、ピルグリム・ファーザーズは上陸地の先住民族から食糧や物資の援助を受け、当初は融和的な関係を持ちましたが、その後、入植者たちが入植範囲を拡大していったために先住の様々な部族との紛争が起きるようになり、先住民の多くが虐殺され、土地を奪われていく歴史につながります。言わば、先住民族の各部族に対する、時間をかけた民族浄化(Ethnic Cleansing)です。

入植者たちが彼らの宗教である「キリスト教」の考えに基づく「理想社会」を作ろうとした、その目標や文字通り「理想」については、それはそうだったのかもしれませんが、彼ら「キリスト教徒」たちにとっての「理想社会」の建設が、彼ら「入植者」たちにとっての「新天地」アメリカ大陸に遥か昔から住み続けてきた先住民族にとっては何を意味したのか。「皮肉」という言葉ではあまりに言い足りない、残酷な意味合いがそこにあるのは確かです。

"Mayflower" についての背景をごちゃごちゃと書きましたが、兎に角、この歌詞において、上記のような歴史を持つ "Mayflower" に言及した最後の節の冒頭が、現在形の動詞を使って表現されていることに何か深い意味があるのかどうか。

あるのかもしれないし、それほど深い意味はないのかもしれません。というのは、英語の表現においては「ある」ことかもしれないし、「詩」の中で何らかの意味合いを込めて現在形になった可能性はあるものの、上に書いたような "Mayflower" の一連の歴史の全てあるいはその一部分と何らかの関係性を持った「意味」ではないかもしれないのです。さんざん書いておいて、関係ないかも、とは筆者の私自身が今、「なんなんだよ」と自分に向かって呟いているところです(笑)。

真面目に考えてみよう(キリッ、笑)。意味はありますね。ここはやはり現在形です。

アメリカ人は今もメイフラワー号という名の船に乗って旅をしていて、月にまで行った船に乗って今も旅をしていて、この最も不確かな時を航行しながら、「アメリカの歌」を歌っている。でも大丈夫だよ、平気さ。幸運であり続けるなんてことは望めやしないけれど、それでも明日になれば、またやるべき仕事があるんだ。今はただ少し休もうとしてるだけなんだ ... 

そんなふうに歌っているのでしょうが、しかし、この歌詞の世界と今の 2020年の現実を対比させると、後者はより厳しくなっていますね。アメリカ人は今、休むことができないところに来ています。

ところで、先に述べた通り、"Mayflower" はある種の花を意味する名詞でもありますが、単純に「5月に咲く花」を意味するとともに、アメリカのマサチューセッツ州の州花であるイワナシ(上記のピルグリム・ファーザーズの船 "Mayflower" 号が辿り着いたのが現在のアメリカのマサチューセッツ州なのですが)を含む、幾つかの具体的な特定の植物を指す言葉でもあります。

そのうちの一つがサンザシ属(山査子属)と呼ばれるバラ科の属の一つに属する植物なのですが、私は 4年前の初夏、この歌の歌詞の中の "Mayflower" が気になったことが切っ掛けで、植物の方の "Mayflower" の一つであるトキワサンザシ(常盤山査子)を買い、我が家の小庭でその花を咲かせることを試みたことがあります。試みたと言っても、たまに水をやってきた程度なのですが、実はいまだ一度も花を咲かせたことがありません。今後も咲かないかもしれませんが、どうなんだろう。

話が脱線しましたが、実はこの「メイフラワー」(Mayflower)という言葉が持つ様々な意味、そして植物の Mayflower の一つであるトキワサンザシの英語名などを調べていくと、そこに非常に面白い展開があることをその植物を買った 4年前の 2016年に発見したのですが、これを始めるとますます話が脱線してしまいます。いつか、別の投稿の機会に、それについて書きたいと思います。

脱線した話の方が文字数が多そうだな(笑)。

歌詞の話に戻ります。

"We come on the ship that sailed the moon"

これはもちろん、人類の月面上陸を初めて成功させた国、アメリカということの意味が込められていますね。

"We come in the age’s most uncertain hour, and sing an American tune"

「僕らはこの時代の最も不確かな時を進んでる, そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむんだ」

この歌を Paul Simon が書いたのはリチャード・ニクソン(Richard Nixon)がアメリカ大統領になった直後、そしてベトナム戦争がまだ終結していない時期です。そう言えば、この歌のリリースから 4年後の 1977年に刊行された経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の著書が "The Age of Uncertainty", 日本では「不確実性の時代」と訳され、かなり売れた本だと思います。懐かしい。私は本自体は読んでいません。またまた話が脱線した(笑)。

確かに 1973年は、相当に、その「現在と未来」が不確かな時代だ、不確かな時代になるのだと、リアルタイムで認識されていた時かもしれません。そして、今、2020年という年も、またそういう時代に入っているようです。

"You can’t be forever blessed"

この "blessed" は、1620年に "The ship they call the Mayflower" に乗ってアメリカに渡ったイングランドのピューリタン(Puritan, 清教徒)たちに関連づけて、宗教的な表現としての「祝福を受けた」という意味と受け取ってもいいのですが、私の訳詞の中では、キリスト教的な言葉を超えて普遍的な意味合いで、「幸運な、恵まれた」といった感じにしてみました。

ところでこの "You can’t be forever blessed", 私は意地悪かもしれませんが、以前、"You" を「アメリカ」と解釈した上で、この一文を「アメリカよ、君は永遠に祝福されることのない運命なんだよ」と解釈した時がありました。

しかし、これはそもそも "not .. forever" という部分否定的なもので、その解釈は有り得ないんでしょうね。もしも、"You can’t be forever blessed" ではなくて、"You can’t be blessed, forever" と歌われていたら、どうなのでしょうか。ま、いいか(笑)。

私はアメリカの音楽や映画で育ったような人間ですが、アメリカの政治や外交政策などは、一言で思い切り単純に言えば、相当に誤っているし、不当だし、かなり「嫌い」だと思っているような人間です。日本人よりもずっと、眼の前の現実の政治社会と向き合って闘っているように見えるアメリカ人を(これも比較して実際どうなのか、実は単純には言えないし、そもそも比較することにさして意味はないかもしれませんが)リスペクトはしていますが。

「それでも明日はまたやるべき仕事があるんだね。それで僕は今ただ少し休もうとしてるってわけさ。僕はただ少し休もうとしているだけなんだ」

この歌のメロディについて、少々

さて、けっこう長々と書いてきたこの投稿、ようやく(笑)終盤に差し掛かってきました。ここで、この歌のメロディに関して、少し触れておきたいと思います。

この歌のメロディ・ラインに元ネタがあることは有名です。ドイツ人の Paul Gerhardt という人が 17世紀に作曲した讃美歌、"O Haupt voll Blut und Wunden" ですが、この歌自体が実は元ネタを持っていて、やはりドイツ人の Hans Leo Hassler という人が 17世紀初頭に恋愛の歌として作曲した "Mein G'müt ist mir verwirret" です。

言わばその非宗教的な歌をリメイクした宗教音楽、讃美歌である "O Haupt voll Blut und Wunden"(邦題「血しおしたたる」、ドイツ語タイトルの訳としては「おお、血と涙にまみれた御頭よ」)のメロディをベースに、Paul Simon の "American Tune" のメロディは作られています。

なお、Johann Sebastian Bach はこのメロディをマタイ受難曲(Matthäus-Passion)に用いていて、Paul Simon が "American Tune" でモチーフにしたのはこのバッハの「マタイ受難曲」の方だという説もあります。

どれが真実なのか、Paul Simon 自身が何処かで具体的に語っているのではと思いますが(いや、もしかしたら曖昧にしたままで語っていないかもしれません)、Paul Simon の音楽を愛好して半世紀ほどになる私ですが、正直、これまでそれ以上に突き詰めて調べたことはありません。決してファンとして興味がないような事柄でなく、その逆で、かなり音楽的あるいは知的好奇心を唆られることではあり、これまでたまたまそれ以上は調べなかったとしか言いようがないのですが。いつか、もっと調べてみるかもしれません。

上に挙げたメロディの元ネタ曲や関連する曲の音源、ざくっとピックアップしてみたので、以下にリンクを貼っておきます。一聴以上の価値はあります。

"O Haupt voll Blut und Wunden"

"O Haupt voll Blut und Wunden" の英語版

"Mein G'müt ist mir verwirret"

"Matthäus-Passion"

以下も "Matthäus-Passion" ("St. Matthew Passion"), この YouTube クリップをアップした人は、Paul Simon's 1973 classic recording, "American Tune", is notable for being based on the melody line from Bach's chorale from "St. Matthew Passion." と書いていて、ポール・サイモン が "American Tune" を作曲するに当たって、そのメロディラインを考えるうえで直接的にモチーフにしたのはバッハの「マタイ受難曲」だという説を採用しているようです(確かにこの説は一般的にかなり広く流布していると思いますが)。

Bonus track(少なくとも最初のは Bonus ♫)

1) 今日の投稿の中で触れた、アフリカ系アメリカ人のミュージシャン Allen Toussaint(1938年1月14日ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ、2015年11月10日公演先のスペイン、マドリッドで客死)による "American Tune" のカヴァー。

彼の死の翌年、2016年6月10日にリリースされた遺作アルバム "American Tunes" の最後を飾る、タイトル・トラック的な曲。Paul Simon のオリジナルとはまた違う味わいの、敢えて比べるとするなら甲乙つけがたいほど素晴らしいカヴァーです。

2) "American Tune" は Paul Simon が 1973年にリリースしたアルバム "There Goes Rhymin' Simon" に収録されていますが、私が 2001年の夏に html を独学して立ち上げたかなり原始的な Website に、そのアルバムの私的レヴューを載せています。立ち上げた当時のまま仕様を変えないで放置してあるので、OS 次第で文字化けする可能性がありますが、関心を持ってご覧になるかもしれない稀有な存在の人のために(笑)リンクを貼っておきます。

3) 正真正銘の最後(笑)、以下の 2つは、同じく Paul Simon が作詞作曲したもう一つの American Anthem である "America" の歌詞と拙訳を掲載した、私の過去の note 投稿へのリンクです。


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