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靖国神社 (1869-1945-2001-2020) 〜 ネオナチまがいの排外主義者が首都で18万票を獲得する国 (2020)

この話題、最初は明後日の大日本帝国敗戦記念日に投稿しようと思ってた。しかしたぶん明後日は、今から37年前、1983年8月15日にトルコのイスタンブールにいて、夕暮れ時にボスポラス海峡を眺めながら撮った(自写自賛ながら)綺麗な写真があるので、それを投稿しようと思い直した。ま、下に掲載する自分の日記は今から19年前、2001年8月15日のものだが、最後に当時の小泉純一郎日本国総理大臣が同年8月13日に行なった靖国参拝に触れてもいるので、まぁそこから19周年の今日の日の投稿としてもいいだろう。あんまり日付に拘る必要もないんだが。

2001年 8月15日(水)   靖国についてもう一度

7月30日の日記でも少し触れたけど、もう一度、繰り返し「靖国問題」について。

靖国神社は、明治維新直後の1869年に東京招魂社として設立(明治元年1868年 - 1869年の戊辰戦争の官軍側の戦死者を慰霊するため明治天皇の勅命で創建=この括弧の中は2005年 8月16日に追記)、その10年後に靖国神社と改称されたもので、決して神道の伝統を代表するような神社ではない。戦前の靖国は「皇軍」の下で「国のため」すなわち「天皇のため」に戦った死者を祭り、戦意高揚に一役買ったが、250万人弱と言われる祭られた死者のうち210万人強が日中戦争以降の戦没者。

靖国神社が霊璽(れいじ)簿に名前を載せれば合祀されたことになり、当時、言わば無理矢理「日本人」にさせられて戦地に送られた韓国・朝鮮人の旧日本軍人も、その遺族の意思も無視されたまま、祭られている。そして、驚くべきことに、戦後の、韓国・朝鮮人遺族の「外してくれ」という要望すら、靖国は「いったん合祀した英霊を外すわけにはいかない」として拒否している。また、'78年10月のA級戦犯14人の合祀が「問題の一つ」(しかし「一つ」に過ぎない)とされるが、これも遺族に知らされないままに靖国によって行なわれ、祭神とされたものである。

一方で、靖国には西郷隆盛を始めとする、時の政府に国賊とされた「日本人」は祭られていない。そこには、後の歴史の評価と関わりの無い、「官軍」の論理があるだけである。

例えば中曽根('85年8月15日に戦後の首相として初めて公式参拝、しかし中国・韓国の猛反発を受けて翌年から中止)はリッパな(?)思想的「確信犯」で、良くも悪くも(私の考えからすれば「悪い」)右翼としての思想を持っていた(靖国に関して)と思われる。しかし、小泉の靖国参拝などには思想も何もなく、ただ「純粋に」人は死んだらみんな仏(靖国では仏でなく神なのに)なんだから、みんな一緒に慰霊したいって、そりゃ我々が自身の親族身内を悼む論理そのまんまである。靖国の歴史を考えるならば、総理が総理としてそれ以上の何も付加されない論理を(靖国に対して)政治の世界で貫徹する、残念ながら、そこには現在の国際社会を支配する論理性はひとかけらも認められない。まして、小泉の行動には、「靖国」と「国立墓地」の論理的区別も全く見られない。

今も日本は、諸外国にはほとんど存在する、外国からの客からも、当り前のように外交上の 儀礼を示してもらえる国の「墓地」を持ち得ていない。国立の千鳥ヶ淵戦没者墓苑は無名の戦没者を慰霊するために作られ、約35万柱の遺骨が眠っているというが、8月15日の政府主催の戦没者追悼式の会場となる以外は、靖国と比べ、とりわけ保守政治家達から不当な扱いを受けている。

欧米だってぞんぶん他国を侵略し、そして帝国主義戦争をしたではないかという人もいるが、自分はそういう主張に対しては、まずは自らの在り方を正せという主張で十分だと思っている。それ以上の議論はそこから先にあるべきものだ。

8月7日の朝日新聞の朝刊に、1922年生まれで、'40年12月から4年半にわたって軍隊生活を送り、中国、フィリピン、ベトナムを転戦、命からがら日本に帰って来た、それでいて、戦後「軍人恩給」の受給を拒否してきた元日本軍・陸軍軍曹の、総理の靖国参拝を痛烈に批判する文章が掲載された。その文章はあまりに痛烈で、この問題を語るに十分過ぎる程のものだった。<<日記を転載するに当たっての注:この人の名は尾下大造さん。いずれ機会があったら尾下さんの人生についても投稿したい。>>

戦後50年を優に超え、新世紀に入りながら、未だ先の戦争が総括出来ていない日本。ここには、戦前ではなく、戦後の日本の「不幸」の一つの象徴がある。自分自身は、こうした戦後の日本の在り様を恥ずかしく想う日本人の一人だが、しかし「日本」からは逃げられない。

戦前の時代に半生を過ごし、今も親族の慰霊の為に靖国を訪れる人々の純粋な心情は決して否定しない。そんなことは出来るものではない。

しかし、戦後、連合国軍総司令部の指令で一宗教法人になった靖国だが、他に何が変わったと言えるだろうか?

時の政府の公式的な庇護の有無、それ以外は一切、戦前と「連続」している靖国、ここに現在の為政者が参拝することを、私は愚かな行為以外の何物でもないと考える。

結局、小泉は15日を避けて、13日に参拝した。しかし、ことの本質は何も変わらない。本人の「純粋な」(?)心情にも関わらず、姑息な方法というしかない。

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ネット上ではここ。自前のホームページ上。ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化け。

上に転載した日記の冒頭で触れている「(2001年)7月30日の日記」はこれ。大したことを書いた日記でもないが。それと、上記の通りで、文字化けする場合がある。

ここからは付録:日本の首都東京には、現在、ネオナチまがいの排外主義者が少なくとも10万人はいる。

さて、以下、敬称略。先日の都知事選のこと。前回、4年前の都知事選でも11万票余り獲得して得票数で 5位(候補者総数21名)となって話題となったこの男、今回全体では投票率が落ちるなか、こいつはなんと得票を大幅に伸ばし、178,874票と18万近い票を得て、再び 5位。

いわゆる「泡沫候補」を含めてとは言え候補者総数22名の中で 5位、6位の「ホリエモン新党」なる党から立候補した元「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志(43,912票)以下の17人は 5万票未満だったことからしても、この男は全体の中でかなりの上位得票者と考えてよい。

因みに 4年前の前回、114,171票得て 5位になった時も、6位の選挙常連マック赤坂が 51,056票、7位のあの!「幸福実現党」七海ひろこが 28,809票、その下に更に14人。10万票以上得たのは候補者総数21人中、この男を含む 5人だけ。5位というのはリッパ(立派じゃなくてリッパね)な上位と言っていいだろう(余談だが、立候補が選挙名物化していたマック赤坂、どうして今回の都知事選に出ていなかったんだろうと思ったら、なんと昨年2019年4月の東京都港区議会議員選挙に無所属で立候補し、14回目の選挙出馬にして当選、今や港区議会の議員さまになっていたのであ〜る)。 

ところで、兎にも角にも、先月行なわれた、日本の首都である東京都の知事を決めるための選挙に立候補したこの男に対し、18万人近い有権者・都民が投票した。この18万人のうち、些か多めに見積もっておおよそ40%あまりは、この男の以下に示すようなとんでもないレイシスト、人種差別主義者というべきか、排外主義者というべきか、とにかく聞く者が(まともな神経を持った人間ならば)耳を疑うような主張を公にしているような、筋金入りの、ネオナチまがいの、極端な「極右」であることを知らないと想定しよう。

つまり、それでもなお、10万人ほどの有権者・都民は、この男のこの実態を知った上で、頭で理解した上で、この男に投票したことになる。

私の例えば学生時代に当たる1970年代末から1980年代前半を思い出すと、当時ならこの種の男は、立候補することすらなかったと思う。いや、当時もこの類の人間が立候補していたのかもしれないが、しかし、はっきり言えることは、もしそうだとしても話題にもなっていなかったに違いないということ。それはつまり、ひとえに、当時ならこの種の人間に対して、社会が注目するほどのレベルの多人数の支持者が集まることは有り得なかったからだ。

ネオナチはドイツにもいる。第二次世界大戦前の自国の歴史に関し、日本という国よりもよほど真剣に国として社会として総括したと思われるドイツにおいてすら(とはいえ総括したと思われる時期は分断国家であった時代で、その後の時期になって統一されたという複雑な戦後史を持つ国ではあるが)、ネオナチはいる。

日本における問題は、この男のような人間が首都東京の知事選に出て、それに対し、 18万人近い有権者・都民がこの男に投票したという事実だけでなく、この男や取り巻きの支持者たちによる活動は既にかなり以前から目立ち、一部メディアで取り上げられてきたにもかかわらず、一般大衆の目や耳が届くようないわゆるマスメディアが、彼らのそうした動きを批判的に取り上げて来なかったことにもある。

4年前の都知事選の後もそうだったし、今回の都知事選の後もそうなのだが、一方で、彼らは選挙戦だけを活動の現場にしているのではなく、日頃から「言論」なり「運動」なりで彼らの主張を世間に広めようとしてきているのであって、マスメディアは、そうしたことに関しても、臭いものにフタなのか怖いものにフタなのか知らないが、無視、もしくは知らないフリを決め込んできた。

このような問題の背景には、日本が戦後(もう既に75年近い歳月が流れてしまっているのではあるが)、一貫して、明治維新以降の近代史、台湾と朝鮮半島の植民地化、南方進出、中国との15年戦争、太平洋戦争、日本国内における言論弾圧などを含む、敗戦までの数十年間の日本の歴史についての、国及び日本社会としての主体的な総括を怠ってきたという、戦後史の問題があるのではないかと思っている。

よく言われるように、ドイツは戦勝国による裁判であるニュルンベルク裁判だけでなく、自らの意思によって戦前のドイツ社会の問題における責任を問う・追及する作業をしつこく行なってきたが、日本では、同じく戦勝国による裁判である東京裁判はあったものの、自らの意思による国をあげた、もしくは社会全体を巻き込むようなレベルでの、戦前の日本の問題の原因や責任を追及するような作業が年月をかけて行なわれることはなかった。一部の知識人による「文壇」や「論壇」の上での議論はあったものの。

さて、この男である。この男の名前は、桜井誠。以下の動画、2本、観てほしい。そして、考えてほしい。

日本という国が、この種の人間のこの種の、言わば信じがたい、耳を疑うレベルの暴言が街中で公に出され、それが罷り通り、こういう連中が事実上、街を闊歩することができ、そして、この種の主張をする男に対し、首都の有権者のうち 18万人近い人間が支持の投票をするような国である、ということ。

そして、同じくらいに、あるいはもしかしたらそれ以上に重大で深刻なことには、「ジャーナリズム」を自称するものを含め、いわゆるマスメディアがこれだけの問題から逃げ、一般国民、国民の多くに対して、社会の中で、国民の中で、こういう連中への一定の支持が集まっている、且つその支持が増えつつあることについて、それを知らせようともしない国である、ということ。

以下のヴィデオについては 7年前に撮影された映像だが、この男と支持者たちの本質は今も何も変わっていない。

付録2:カルト宗教 靖国万歳

この歌は、日本のパンクバンドによる、Sex Pistols "God Save The Queen" のカヴァー。

靖国

靖国神社 万歳 カルト宗教 軍国主義 惨敗 気違いどもの幻想 

靖国神社 万歳 莫迦な隣国 発狂 政治家みんなで参拝 薄汚ねえ選挙

死んでこいよ お国のために 祀ってやるぜ 死んだ後で
未来はない 自由はない おまえは捨て駒

靖国神社 万歳 神の国 日本 名誉の戦死 万歳 神なんかいねえ

靖国神社 万歳 強制参加で戦争 忠君愛国 万歳 教科書いじって洗脳

靖国神社 万歳 殺人鬼は英雄 敗戦の恥晒し 戦犯に救いを

死んでこいよ お国のために 祀らないぜ 戦わぬ奴
犠牲になれよ 臣民ども 戦うんだ 死んでこいよ

靖国神社 万歳 戦争賛美の聖地
自爆テロ 万歳 神風吹かねえ

靖国神社 万歳 カルト宗教 天皇陛下 万歳 敗戦日本の象徴

天皇

英霊 英霊 名誉の犬死に
英霊 英霊 名誉の犬死に
英霊 英霊 名誉の犬死に

カルト宗教 靖国 万歳

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Sex Pistols の "God Save The Queen" はこれ。

付録3:「天皇制」に啖呵を切る

15年前の 2005年 8月20日に、自前のホームページ上に掲載した「『天皇制』に啖呵を切る」という文章を、一字一句そのまま転載。「天皇文化家元制」論、のようなもの。昔々、「の・ようなもの」ってタイトルの映画あったよねぇ。

付録4:辛気臭い日本の今についての、辛気臭い投稿の後は、きれいなお姉さんを眺めよう、ああ暑い熱い、あづい。




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