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1983年8月10日、Maneaters に襲われた夜

今年の夏は梅雨が長い、あんまり暑くないと思っていたら、長い梅雨が明けた後はあづい暑い熱い。熱くてたまらん。今日はここ南東北、いや違った、北関東の地方都市でも、猛暑日になる予報になってる。いま33.7℃, 昼以降は35℃の予報だ。たまらんよ、熱い熱い熱い、熱いってのは HOT ってことだよね。

前説

1983年4月26日、筆者は横浜港からバックパックひとつ担いでフェリーで日本を断った、いや違った、勃った、いや違った、発った。面倒くさい人間だな俺は。当時、弱冠と言えば元々は 20歳か、まぁしかし若いという意味では、とにかく弱冠22歳、そこからソ連、ヨーロッパ(国の数多いから今日は割愛)、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、そしてイラン・イラク戦争のイラン(ということはイラクには行ってなくてイランだけ行った)、パキスタン、インド、タイ、最後に韓国に行って日本に戻る、10ヶ月ほどの一人旅。

まずは 2泊3日の船旅でロシア、いや当時のソ連のナホトカへ。1泊した後はハバロフスクへ。そこでまた 1泊。当時は軍事的理由で外国人立入禁止だったウラジオストクから列車に乗るのは無理だったので、そのハバロフスクからシベリア鉄道の旅に出た。3泊4日ぐらいだったと思うけれど(昔の日記見りゃ分かるんだがまぁ今日はいいや)バイカル湖のイルクーツクへ。そこで 1泊。そこからまたシベリア鉄道の旅を再開。確か 4泊5日ぐらいだったと思うけれど(イルクーツクまでの所要日数と逆かもしれない、昔の日記見りゃ分かるんだがまぁ今日はいいや)モスクワへ。モスクワで 1泊。2泊だったかな、昔の日記見りゃ分かるんだがまぁ今日はいいや、で、モスクワを発った後は、まずはフィンランドの首都ヘルシンキへ。

そこからはヨーロッパを 2ヶ月間、ユーレイルパスで周り、ヨーロッパの最後はギリシア。アテネは暑かった、熱かった、HOT だった。で、アテネと地中海の島サントリーを合わせておおよそ 1ヶ月、ギリシアに滞在。その後、8月9日夜11時ごろアテネ発の電車に乗って、トルコのイスタンブールを目指した。

本題

アテネからイスタンブールまでは 2泊3日の列車の旅。着いたのは 8月11日、今からちょうど37年前の今日、1983年8月11日の朝。

その列車の同じコンパートメントに、ヨーロッパ人(国、忘れた、美人だったのだけ憶えてる)の 2人の若い女性バックパッカーがいた。彼女ら、イスタンに着くまでの間、ずっと、Hall & Oates の前年、つまり 1982年のヒット曲、"Maneater" を歌ってた。しかも、何度も何度も。

Maneater ですよ、Maneater ... そりゃもう、筆者はいつ彼女らに食われるのか、じゃなかった、襲われるのかって、ワクワクして、じゃなかった、怖くて怖くて、たまらんかった。1983年8月9日, 10日, 11日のアテネからイスタンブールまでの間の彼女らはとにかく、2020年8月9日, 10日, 11日の筆者が住む北関東の地方都市のように、暑くて暑くて、じゃなかった、熱くて熱くて、じゃなかった、HOT で HOT で、たまらんかったのです。

実話です。イメージがないとつまらんという人には、

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これは(彼女らにとっての)食前。1983年8月10日の、これ、昼間だね。

画像2

食後。1983年8月11日朝、イスタンブールに着く直前。早く服を着なさい。

Maneater

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部(最初のヴァースのうち冒頭部分)のみの掲載に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.8 加筆/削除/編集)。

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She'll only come out at night
The lean and hungry type
Nothing is new
I've seen her here before
Watching and waiting ..

.............................. ♫ ♫ ♫

注釈

1. 本日の投稿に掲載した 2枚の写真はイメージです。The photos on this post are just images and do not match the actual female backpackers I met in the train for Istanbul, but they were as beautiful as those models in the photos. なんで英語で書くんだ? 分かりません。

2. 筆者が 2人の女性バックパッカーに出会い、彼女らが筆者の前で何度も何度も "Maneater" を歌っていたのは実話ですが、彼女らが筆者を食った、じゃなかった、襲ったも実話です。

あの時、筆者は食われてしまったから、それ以降は Nowhere Man.

いや、食われた、じゃなかった、襲われたということに関しては、

まぁ 1991年のライヴじゃなくて、1983年夏に関する、2020年夏のくだらない生ジョークだったんだけど。

ただし、彼女らに食われた、じゃなかった、襲われた、ということ以外については、全部「週刊実話」、じゃなかった、日刊の実話。

真面目な投稿、そのいくつかへのリンク

もう 2つ。ゴーマンかましてよかですか? とてもいい、もしくは面白い投稿ばかりなのに「いいね」(いわゆる「スキ」)数が少ない筆者の投稿にしては「いいね」が 11 と多い方の、いまだ世間が礼讃しまくってるイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリの「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考をガツンと批判した投稿。「いい」ところは認めつつ、「それ、おかしくね?」なところを指摘して、まぁ実際のところ、かな〜り真面目に、そして文体も真面目な文体だけにして、件の論考を批判した投稿。

記念すべき(あくまで筆者にとって)note 投稿の 1回目。これもネット上の住人と波長が合わない筆者には珍しい「いいね」(note 用語では「スキ」、あの語感、どうも慣れんのよ)なんとか二桁投稿。


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