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Lyrics 歌詞の翻訳

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好きな海外の歌(英語の歌が中心、というか他の言語は翻訳無理)と歌詞の日本語訳を投稿します。別のテーマを取り上げた投稿であっても、歌詞の翻訳を掲載した投稿は、このマガジンにも収録し… もっと読む
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#サイモンとガーファンクル

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

前説写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。 ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国

The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳

前説を少しばかり..Simon & Garfunkel が 1966年10月24日にリリースした 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", その LPレコードの B面 1曲目に収録されていた, 美しい旋律とハーモニーに彩られた曲。 シングルとしてもリリースされ, Billboard Hot 100 で最高25位を記録している。ある意味「地味」な曲調を踏まえれば, 商業的成功としては「いい出来」だったとも思えるのだが, Pau

ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー

今までに ポール・サイモンの歌の歌詞を 随分と和訳していた。ポール・サイモン 80歳の誕生日記念でこれまで note に載せてきたものを集めたら(本 note 第7章以降, 19曲; 2022年6月16日現在 22曲), 予想以上の数。一瞬, 課金したい念に駆られた(笑)。因みに今日のタイトル写真にあるフレーズは, "Hearts and Bones" の歌詞の一部。いつかあの歌の歌詞和訳もしてみたい ♫ .............................. *一

ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年

タイトルに使った写真は当日のステージを筆者が撮影した, ような類ではなくて, 当日会場で入手した当時のツアー Born at The Right Time Tour のパンフレットに掲載された写真からとったもの(多分ツアーのリハーサル時の写真)。あの日から18年後の2009年7月11日のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのライヴには当時高校2年だった息子も一緒で, 妻子と3人で観に行ったけれど, 1991年10月12日のポール・サイモンの同じく東京ドームでのライヴの時は,

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

1. 「48イスラエル」, 「47イギリス委任統治領パレスチナ」 イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルは

ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入

歌詞和訳 "A Most Peculiar Man" (Paul Simon) 〜 しかし最後のシンプルな否定疑問文が意外と難解なのかもという気がしてきた..

But wasn’t he A Most Peculiar Man?これがこの歌の歌詞の最後の一文だけど, このシンプルな否定疑問文, 日本語にする場合に一番普通なのは「だけど彼はとても変わった男ではなかったの?」「だけど彼はとても変わった男ではなかったんですか?」といった感じなんだろうけど, その意味もしくは含意についてはどう考えたらいいんだろう? 彼が「とても変わった男」じゃなかったかどうかの確認, あるいは「とても変わった男」だったのかどうかの確認? .. 少なくとも

パリ, セーヌ河畔, 1983年6月10日 〜 BGM は The Dangling Conversation (S&G) ♫

この note, 後半は完全に「宙ぶらりんの会話」。つまり "The Dangling Conversation" とポール・サイモン特集になってしまった。「しまった」って, まぁそれはそれで, オッケーなんだけど。しかしいま知った(ってか忘れてた), "The Dangling Conversation" の邦題って「夢の中の世界」だったのかよ。あの歌のタイトル, 邦題は直訳して「宙ぶらりんの会話」でいいんじゃね? 1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「

1983年6月6日パリの「娼婦街」サン・ドニを歩いてみた 〜 BGM は Doobie Bros, Deep Purple, 憂歌団, S&G, and Tom Waits ♫

6月6日は明日だけど, まぁいいっしょ。それと, サン・ドニは文字通り「歩いた」だけだよ, 最初に言っておくと。も一つ「それと」, タイトル上の写真はネット上から拝借したもの(この通りの写真を無闇に撮ったりしたら, もしかしたら危険かもしれない)。 1983年4月26日に日本を発って始めた, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅 〜 フランス・パリには 6月3日に着いて, 翌6月4日にパリの映画館にて封切り4日目の「戦場のメリークリスマス」鑑賞, 長いなこの見出し!どんだけ長い見

「洋楽」の入り口で聴いた ショッキング・ブルー

「洋楽」の入り口, 「洋楽」(の世界)の扉「洋楽」という言葉の定義は非常に曖昧で、時代やあるいは語られる文脈次第で意味にズレが生じるきらいがある。そもそも、少なくとも筆者が「洋楽」なるものを(意識して)聴くようになった半世紀ほど前の時点では多くの日本人にその意味するところに関してほぼ共通の認識があったと思われる「洋楽」なる言葉、今やさして使われなくなっているのではないかと思うし、今も使われるとしても語られる時には既に半世紀ほどの前のその意味とはだいぶ異なるものになっている可能

音楽は人を癒すか 〜 本当に 「音楽は人を癒す」 か?

音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。 本当にへこんだ時、ある一線を超えて(越えて)落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。 「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘

フィーリン・グルーヴィー(歌詞和訳) 〜 サイモンとガーファンクル

前説Simon & Garfunkel を妻子とともにライヴで観たのは 2009年7月(Paul Simon のライヴなら 1991年10月に妻と観た)、2009年7月となると自分はもう 48歳になっていたけれど、彼らは自分にとってはガキの頃「洋楽」の世界の入り口にいて、その先を案内してくれたような人たち。ほぼ同時期にショッキング・ブルーを聴いたりもしていた記憶があるものの、近頃はあまり言わないかもしれない「洋楽」と呼ぶ(呼んでいた)音楽を本格的に聴く切っ掛けになったのは、あ

無神論者が好きな クリスマス・ソング 〜 7時のニュース/きよしこの夜, ハッピー・クリスマス(戦争は終った)

クリスマスの雰囲気はわりと好きだ無神論者と言ってもここでは「無神論者」一般ではなく、筆者個人のことであって、これは個人の趣味。しかしまぁ無神論者なんだから、そりゃ思いっ切り「宗教」的だったり「宗教」色が強かったりする歌を好きになるはずはない。 日本人としはわりと普通、つまり初詣はする、神道の神社にも仏教の寺にも行く、親族が亡くなれば大抵は仏教式の葬儀になる、先祖の墓は仏教の寺にある、というような家庭で生まれ育って(ただし厳密に言うと自分が子どもの頃は我が一家の家の墓みたいな

早く家に帰りたい (サイモンとガーファンクル) 〜 歌詞和訳

前説コロナ禍で故郷になかなか帰れない人が多そうな昨今の日本(斯く言う筆者も今年は正月以来帰省できてない)、この歌が沁みるという人はそこそこいると思う。「少なくない」とか「多い」とかではなくて「そこそこ」なのは、そんな心持ちの時にこの歌が浮かぶ人のうちの「多く」は、1960年911生まれの筆者とほぼ同世代か、あるいは更に上の世代で、かつ若い頃、というか少年時代に、「そこそこ」以上にサイモンとガーファンクル(そういう人たちには Simon & Garfunkel は サイモン・