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宗教批判、および宗教に少しでも関係があるもの

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何故この画像なのかというと、ネットで探したら合掌している女性の写真が出てきて、これがいいと思ったのだが、使ってみたらここには指先しか出なかった、とまぁそういうわけ。あ、アップロー… もっと読む
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2020年8月の記事一覧

パレスチナの Leila Khaled, レバノンの Mashrou' Leila ー エリック・クラプトンの Layla, ペルシャの Layla and Majnun

タイトルに並べたライラもしくはレイラ(Leila, Layla)、関連があるようで無いような。少なくとも「名前つながり」という意味においては、関連はある。レイラ(ライラ)というのは、アラブ世界やペルシャ(現在のイラン)などに古くから存在する女性の名前である。 昨日の投稿テキストの冒頭で、ここから 4本(たぶん 1日1本)、一昨日の「レバノン、ベイルート爆発から25日」と題する投稿の中身に関連する .. 4つの事柄について投稿する、と書いたけれど、残り 3本のうち 2本、今日

レバノン、ベイルート爆発から25日

今週4夜連続で行なわれていた「日本では報道されないレバノンの真実」と題するオンライン・イヴェントに一部参加、一部傍聴・視聴したので、それに関し投稿しようと思う。 タイトル上に地図を貼ったが、そこには、スペースの関係でベイルート以北の同国北半分しか表示されていない。 レバノンの地理を一言で一気に言うと、同国は北と東ではシリアと(シリアの北はトルコ)と、南側はイスラエルと国境を接し(その先にはイスラエルが半世紀以上違法占領を続けるパレスチナ領・東エルサレムやヨルダン川西岸地区

歌詞和訳 ー "Duncan" from Paul Simon 1972 self-titled album

ポール・サイモンは間違いなく現代ポピュラー音楽界の至宝の一人に数えられるようなミュージシャンだと思うけれど、この note 界(妙な言い方だが、笑)における彼の知名度は、その意味では不当に低い。「その意味では」というのは、note のユーザーや読者の関心領域が全ての分野を隈なくカヴァーしているはずはなく、且つそうあるべきとも当然ながら思わないので、これはあくまで「その意味では」ということ。つまり、そんなことを理由にして note 界なるものの現在には何らかの問題があるなどとい

聖書とセックス、安宿の壁と安アパートの壁 ー Duncan (歌詞和訳)

<<この段落のみ、2020年8月28日に加筆:次の段落以降は 2020年8月25日に投稿したものだが、同日 note でいうところの「スキ」をこの投稿にした人が、それから間もなく(おそらくは 30分以内のうちに)その「スキ」を取り消す、ということがあった。その特定の個人による「スキ」取り消しの理由には殆ど関心がないが(単に関心ゼロということでもないので「殆ど」とした)、つまり、その人個人の理由はどうあれ、投稿内容に宗教を扱って「巫山戯た」(「巫山戯る」という巫山戯た当て字を使

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分で変えられることは変える勇気と、そのちがいがわかるだけの知恵をお与え下さい」 ー そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

昨日、「人生のポケット」なるものについての投稿をして、そこに、2003年4月12日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある」と、翌13日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)」を転載したら、その2つの日記の間に、それはつまり12日に書いていた3本の日記のうちの残り2本のうちの1本なんだけれども、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」に関する日記を書いていたことに気づいた。題して、「

そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

今日はこれでもう 3つ目の投稿。夕方か夜くらいまでには、更にあと 2つ投稿すると思う。一つは「自殺を図った日本人の少女を日本語を話せない滞日中の外国人研究者が救った」ことについて。もう一つは、おそらく、「人間の体温が感じられない日本 ー 日本の船の座礁によるモーリシャス環境破壊とレバノン爆発にみる、日本の国と社会の凄まじいまでの冷たさと他者への無関心」というようなタイトルで、しかしたぶん(筆者にしては、かな)そう長くない投稿をすると思う。 この今日 3つ目の投稿で取り上げる

靖国神社と極右排外主義者についての投稿をしてから「スキ」激減、いや元々少ないから激減は大袈裟(笑)、ただし避けられてる可能性はある、かもしれない。まぁ、かもね、というレベルだけれど。

などと投稿タイトルに書いたものの、兎に角、そもそもが現時点で筆者の日頃の投稿は読者がもともと少ない。note でいうところの「スキ」反応も、これまで最も多いもので 11, 次が 10, ほとんどの投稿は一桁で、5~6 「スキ」が付けばかなりマシな方。だから、「スキ」が仮に本当に上に書いたような経緯のもと何らかの理由で筆者の投稿への「スキ」が減っているとしても、もともとが少ないんだから、大した減り方をしているわけではない。 それと、以下にリンクを貼る、在日コリアン4世が書いた

鎮守の森はふかみどり, 舞い降りてきた静けさが, 古い茶屋の店先に, 誰かさんとぶらさがる。

田舎の白い畦道で 埃っぽい風が立ち止る .. 鎮守の森は ふかみどり 舞い降りてきた 静けさが 夏なんです ー はっぴいえんど, 「風街ろまん」(1971年) 作曲:細野晴臣、作詞:松本隆 *一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 残りの歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8

「朝鮮人を皆殺しにしろ」、「日本が嫌いな韓国人、ぶち殺してやるから出て来い」、「日本が嫌いな日本人は叩き殺す」と街中で叫ぶネオナチまがいの極右排外主義者が首都で18万票を獲得する国の敗戦75周年記念日 〜 そして靖国神社 (1869-1945-2001-2020)

タイトル、なげえ。長いね。さて、早速だが、昨日の「パルテノン神殿」、今日の「ボスポラス海峡」で、一昨日投稿した「靖国神社」と「極右排外主義者」についての投稿(今日のこの投稿の「付録1」にリンクを貼ります)への「スキ」を釣ろうとしたんだが、とりあえず現時点では成果がない。今日は日本にとって、大日本帝国の敗戦75周年記念日。もう一度、アレを投稿することにした。ただし、順番を変える。今日は、一昨日の投稿の「付録」その 1 を最初に持ってくる。 先にあらためて書いておくと、一昨日の

夕暮れ時のボスポラス海峡で、靖国神社を釣る。

夕陽に赤く染まるボスポラス海峡のこの 写真 を見てこの投稿に「スキ」する人には、一昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで、あの投稿に「スキ」してほしいなぁ。まぁ当然ながら、この 2つの間には何の関係もないんだけれどもね。 昨日、ギリシャはアテネのパルテノン神殿の写真でこれをやったんだけど、反応ゼロ。これをやると、「靖国神社」投稿はおろか、新たな投稿の方も反応ゼロが続く可能性があるんだが、ま、いいや。 ボスポラス海峡は、トルコ最大の都市イスタンブール のヨーロッ

靖国神社 (1869-1945-2001-2020) 〜 ネオナチまがいの排外主義者が首都で18万票を獲得する国 (2020)

この話題、最初は明後日の大日本帝国敗戦記念日に投稿しようと思ってた。しかしたぶん明後日は、今から37年前、1983年8月15日にトルコのイスタンブールにいて、夕暮れ時にボスポラス海峡を眺めながら撮った(自写自賛ながら)綺麗な写真があるので、それを投稿しようと思い直した。ま、下に掲載する自分の日記は今から19年前、2001年8月15日のものだが、最後に当時の小泉純一郎日本国総理大臣が同年8月13日に行なった靖国参拝に触れてもいるので、まぁそこから19周年の今日の日の投稿としても

長崎原爆投下の犠牲者の写真をヌードだとして削除する Facebook の検閲プログラムの愚劣さ

今日は長崎への原爆投下から 75周年に当たります。ただし、以下に掲載する、 Facebook による検閲の愚かさに関し今現在に至るまで私自身が経験している文字通り数え切れないほどの事例のうちの一つの例は、今日起きたことではありません。 間抜け過ぎる Facebook の検閲システム下に掲載するのは、私のスマートフォンのスクリーンショットですが、左上にある 19:05 というのは午後7時05分のことで、これは昨年、2019年8月3日の午後7時5分を意味しています。この写真に