宗教批判、および宗教に少しでも関係があるもの

114
テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)
+15

テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)

ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので

スキ
8
ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー
+2

ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー

今までに ポール・サイモンの歌の歌詞を 随分と和訳していた。ポール・サイモン 80歳の誕生日記念でこれまで note に載せてきたものを集めたら(本 note 第7章以降, 19曲), 予想以上の数。一瞬, 課金したい念に駆られた(笑)。因みに今日のタイトル写真にあるフレーズは, "Hearts and Bones" の歌詞の一部。いつかあの歌の歌詞和訳もしてみたい ♫ ポール・サイモンは 1941年10月13日生まれここは https://en.wikipedia.org

スキ
9
ジョン・レノンの誕生日に 〜 ジョンが作った歌の歌詞和訳集
+1

ジョン・レノンの誕生日に 〜 ジョンが作った歌の歌詞和訳集

今日は John Lennon (born John Winston Lennon; Liverpool, England, on October 9, 1940 – died [killed] John Ono Lennon; NYC, USA, on December 8, 1980) の誕生日。あの日に殺されず, 今も生きていれば 81歳。名前のことで細かいことを書くと, 彼は 1969年4月22日に法に則った正式な捺印証書によってミドルネームとして公式に "Ono"

スキ
5
ナザレ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月5日
+6

ナザレ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月5日

「48イスラエル」(ひいては「47イギリス委任統治領パレスチナ」)についての注釈は, 前回 note(本 note 第1章リンク *6)の冒頭に書いた通り。 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の

スキ
6
ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月4日
+10

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月4日

イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルはその占領地内に国際法違反のイスラエル・ユダヤ人入植地を数多建設)や

スキ
6
エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日
+11

エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日

1. 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時

スキ
7
ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日
+11

ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入

スキ
4
パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る
+21

パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る

2021年の今も続くパレスチナ人の悲劇 「ナクバ」 〜 アメリカ合州国による徹頭徹尾のイスラエル(1948年「建国」)支援のもとで ナクバとは、1948年5月14日のイスラエル「建国」に伴い、その数ヶ月前から始まっていたシオニストの民兵によるパレスチナ人に対する民族浄化(1948年4月9日、イスラエル「建国」前のパレスチナのディール・ヤシン村でユダヤ人のシオニスト民兵たちが女性や子どもを含むパレスチナ人村民107人以上 [犠牲者数は当初より254人とされてきたが, 近年の研究

スキ
7
再びの アンマン(ヨルダン), 1983年9月26・27日 〜 トルコ・シリア・ヨルダン振返り note
+2

再びの アンマン(ヨルダン), 1983年9月26・27日 〜 トルコ・シリア・ヨルダン振返り note

ペトラ遺跡を堪能した, 1983年9月25・26日。25日の夜はベドウィンのテントの脇にシュラフを出し, 信じ難いほどの数の星, まさしく無数の星々の夜空, 文字通りの満天の星に感動しながら一晩過ごした後, 翌 9月26日の午後3時ごろバスでペトラを発ち, ヨルダンの最初の滞在地であった首都アンマンに同6時半過ぎに戻った。 今日の note のタイトル写真はヨルダンの首都アンマンにあるアルフセイン・モスク。1983年-84年の旅 note ではいつもタイトル写真に自分が当時

スキ
5
ペトラ遺跡(ヨルダン) - 1983年9月25,26日
+13

ペトラ遺跡(ヨルダン) - 1983年9月25,26日

タイトル写真は同年9月25日, 筆者撮影。両側の大きな岩の塊を抜けるとこれ。 この女性は筆者の知り合い ... だったような(笑)。 https://youtu.be/Dbm8ZxIy98I ♫ ではでは, 自分で撮った動画, じゃなくて 写真を。 ペトラ遺跡, 1983年9月25-26日(写真7枚 および 旅日記) 〜 流石に夜空の写真は撮れてないけれど, あの晩見た満天の星が, これまでの60年余の人生で見てきた星空のなかで正真正銘, 最も美しい星空だった! 以下の

スキ
5