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鎮守の森はふかみどり, 舞い降りてきた静けさが, 古い茶屋の店先に, 誰かさんとぶらさがる。

田舎の白い畦道で
埃っぽい風が立ち止る ..

鎮守の森は ふかみどり
舞い降りてきた 静けさが

夏なんです ー はっぴいえんど,  「風街ろまん」(1971年)
作曲:細野晴臣、作詞:松本隆

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 残りの歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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鎮守の森は懐かしい。訊かれれば「無神論者」だと答える自分だけれど(しかしそれはまぁ英語で Atheist と答えるようなケースで、日本ではそもそもアブラハムの宗教の信者のように硬くあるいは頑なに神なるものを信じている人は実は少ないから、そんな肩肘張った言い方をせずとも単に「無宗教」だと応じる程度で済ませる場合も多いと思う)、神社の雰囲気は子どもの頃から好きだ。小学生や中学生の時など地元の田舎町の神社の境内で遊ぶことはしばしばあったし、高校生の時に当時付き合ってた女の子と元日早朝暗いうちに出発して、隣り町の有名な神社に初詣しに行ったこともあった。今だって、家からそう遠くないところにある神社のところに(曖昧な言い方なのは、そこが神社の境内から繋がっていて、神社の土地なのか隣接する別の管轄の土地なのか気にしたこともなかったから)毎年みごとに沢山の花を咲かせてくれる桜並木があるものだから、花見の時期は大抵そこに妻とふたりで行っている。夫婦ともども、「神」なるものを信仰してはいないが、正月の初詣気分はまぁまぁ好きな方で、習慣化した初詣も止めていない。花見に行く神社で、初詣の用も足している。要するに、神社って懐かしいところだし、今も決して嫌いな場所ではない。仏教の寺の雰囲気も好きな方だが、神社のそれもいいもんだと思っている。

ただ、これは違うな。靖国神社。靖国神社は、明治維新直後の1869年に、明治元年1868年 - 1869年の戊辰戦争の官軍側の戦死者を慰霊するため、明治天皇の勅命で創建された東京招魂社がその始まりで、それから10年後に靖国神社と改称されたもの。

地方にある護国神社もまぁ似たようなもので、幕末1863年辺りから始まった戦没者を祀るための招魂社の発想が全国に広がり、その後、日中15年戦争の真っ只中、太平洋戦争開戦2年前の1939年に改称されて、護国神社と呼ばれるようになった。戦前は内務省の管轄で、戦後は独立の宗教法人。

靖国神社ももちろん戦前は国家神道の神社、大日本帝国の内務省が人事を所管して、大日本帝国陸軍(陸軍省)と大日本帝国海軍(海軍省)が祭事を統括したが、戦後、1946年になって、日本の国家の庇護から公式には、というか法律上は離れ、東京都知事の認証による宗教法人となった。しかし本質が変わっているかというと、変わっているとは思えないね。戦後、親族をあの戦争で亡くした方々、ご遺族があの神社に特別な想いを馳せること、その想いと自由意思による参拝の行為そのものを否定するような考えはないが、あの神社の歴史、在り方、現在の国家権力との関係などについては、否定的な考えを持たざるを得ない。

以下の 3つのうち、2つは自分自身による note 投稿(2つ目は故あって 1つ目の中身のテキストの順番を変えて若干加筆したもの)、最後の 1つは自分のものではない。このすぐ下の最初の note 投稿に「いいね」(まぁ note では「スキ」というのは知っているが今もあの言い方に馴染めないので)してくれた人の投稿で、その後わかったのだが、やや興味深いことに、自分のその投稿に「いいね」せずにコメントだけ入れている人間が、その彼の投稿(以下にリンクを貼る 3番目の投稿、多くの人が読むべきものと思うが自分が読んだ時よりも「反応」がずっと増え、今日時点で既にかなりの人が読んでいる)にもコメントを入れていたこと。しかも、ほとんど同じような感覚を読んだものに与える、まぁ何というか、似たようなコメント。で、自分はその後、3番目の投稿の筆者の note アカウントをフォローしている。




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