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旧 沢内村への憧れ

今季の東海地方は冬を感じないくらいの暖冬。
お正月もお昼は暖かかった。

しかし、冬といえば、雪。
雪と聞くと、ある1冊の本のことを思い出します。そして、故人 深沢晟雄(ふかさわ まさお)さん)旧 沢内村の村長のことが頭から離れません。



旧 沢内村とは?

沢内村はどこにあるのか?
役場は現在の岩手県和賀郡西和賀町沢内。2005年に合併があり、沢内村は西和賀町となっている。

沢内村(さわうちむら)は岩手県の内陸中部、秋田県との県境に位置する和賀郡(わがぐん)に所在していた村である。
周囲を標高1,000m級の山々が囲む盆地にあり、冬季は2m以上の積雪もある豪雪地帯である

Wikipedia「沢内村」より一部抜粋

岩手県と秋田県の県境に位置する。東北地方で、盆地の地形。冬はとても厳しいことは想像をはるかに超えることだろう。



元沢内村 村長、故人 深沢晟雄さん

私がなぜここまで「沢内村」に憧れを抱いているのか?

  • ブルドーザー村長と呼ばれる

  • 命を大切にする村長

本を読んでから数年を経過しているので、うろ覚えであるが、この2つは強く心に刻まれている。


ブルドーザー村長

沢内村は冬になると2m以上も雪が積もる豪雪地帯となる。深沢さんが村長になられた昭和31年、戦後の貧しい時期に今のような交通手段なんか発達していない環境で、村民はとても厳しい生活をされていた。そして、雪が降ると道が通れない。今では除雪が当たり前になっているが、その当時の生活は想像を絶する世界だっただろう。

このままでは村民の生活がままならない、雪で覆われた道の除雪をするために、ブルドーザーを得ることになる。ブルドーザーを得たことで、雪道を安易に行き来することができ、病院や学校へ行けるようになった。そして、雪がない夏場は、ブルドーザーで農地や道路を改良しインフラを整えることができた。

村長の想いが村民の命を助けることになっていく。



命を大切にする村長

日本で初めて医療費無料化を実現させた。(昭和35年当時、65歳以上、その後、60歳まで引き下げ。昭和36年に乳児1歳未満無料化)

昭和35年(1960年)に65歳以上の医療費の無料化を実現。翌昭和36年(1961年)には1歳未満の乳児の医療費を無料化し、さらに無料の対象となる高齢者の年齢を60歳まで引き下げた。これは当時の日本の地方自治体としては前代未聞の社会保障政策であった。

Wikipedia「深沢晟雄」より一部抜粋

沢内村の冬はとにかく厳しい。そんな厳しい中、当時の農民は外で野良作業をしなければいけない。乳児を抱える母親は、極寒の中、暖房もない掘建て小屋に赤ちゃんを置いて、一人外で作業をする。そんな冬の生活がきっかけで命を落とす赤ちゃんが絶えなかったという。その小さな命を助けるために、深沢村長は組織を結成し赤ちゃんを守るために尽力されている。

その結果が「乳児死亡率0%」を達成されている。

昭和37年(1962年)、ついに日本の地方自治体としては最初に乳児死亡率0%を達成。このような偉業が全国に先駆けて、沢内村のような極貧寒村が達成したことは日本中の注目を集め、沢内村が後に「保健の村」「自分たちで生命を守った村」として有名になるきっかけとなった。

Wikipedia「深沢晟雄」より一部抜粋


自分の信念を貫き通すため、ここまで考え行動できるだろうか?
今になっても、自分自身と比べるとまだまだ道険しく遠く感じます。

ブルドーザー村長こと、深沢さんはその後、若くしてこの世を去ります。享年59歳、まだ道半であったとお察しします。



さいごに

20年ほど前にこの本を読んで感動し、沢内村役場へメールを送ったことがあります。すぐに返信をいただき、いつか沢内村へ来てくださいと温かいメッセージを頂いたことを今でも覚えています。

未だに行けていない自分が情けなくも思いますが、一度は行きたいあの場所として、自分自身に誓い実現させたいと思っています。




今日のしつもん
「一度は行きたいあの場所はありますか?」




いつか、岩手の地、沢内村へ!
寒いの苦手だから、夏がいいかな?


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