シュルレアリスムと日本の画家たち
京都文化博物館で開催中の「シュルレアリスムと日本」展関連イベントとして13日午前中に速水豊氏(三重県立美術館館長)と弘中智子氏(板橋区美術館学芸員)の講演会が開催されました。これはぜひ拝聴したいと申し込んだのですが、開館前から館前に行列のできる人気で、講演会場である3階フィルムシアターも満席に近い盛況でした。
まず『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』という名著を刊行しておられる速水氏の講演がありました。講演の内容は同著でも述べられているテーマをいくつか選んで語られましたが、当然ながらアップデートされている部分もあったようです。
まずはシュルレアリスムの特徴としてコラージュと自動記述の二点を挙げ、それは日本で最初に仲田定之助が雑誌『美術新論』1928年5月号で「超現実主義の画家」として紹介したエルンストの作品(雑誌に掲載された画像)に如実に現れているとします。
コラージュの典型として「美しき女庭師」(1923)、自動記述の例として「光の車輪」(1926)。それらが仲田の記事では見開きに並べられていたのです。これら最初の紹介記事が日本人画家たちのシュルレアリスム解釈に大きな影響を与えたに違いないと見られます。
もうひとつ、フロッタージュという自動記述の方法で制作された「光の車輪」は画面全体に大きく眼だけを扱った作品です。速水氏はモチーフとしての「目」に文字通り注目します。その代表例として上げられるのが靉光「眼のある風景」(1938)と北脇昇「周易解理図(泰否)」(1941)そして福沢一郎「驚けるダイアナ」(1930)です。
さらに『レボリューション・シュルレアリスト』誌12号(1929)に掲載された「Je ne vois pas la [femme] cachée dans la foret」というブルトンはじめ主だったシュルレアリストたちがマグリットの裸婦の周りを全員目をつぶってとりまいている写真を速水氏は取り上げ、それを逆説的な目へのこだわりだと証明するのです。なるほど、たしかにシュルレアリストは目にこだわっています。
最後に福沢一郎の絵画に対する画像解釈も行われましたが、いずれも技法的(手法的)なシュルレアリスムの分析ということでは非常に興味深い内容でした。
弘中氏は1934〜1940年にかけて若い画学生たちが結成した小さなグループについてその主なものを紹介されました。とくに帝国美術学校の「JAN」について。帝国美術学校(1929年開設)は武蔵野美術大学と多摩美術大学の前身ということになります(1935年分裂)。作品もほとんど残されていない若者たちの熱っぽい活動の一端がうかがえました。そして彼らのなかにも少なくない数の戦死者がいたことも教えられました。
掲げられたグループとその主な構成員のリストのなかに、私が武蔵野美術大学で教えを受けた先生たちの名前があったのには驚かされました。あの先生たちにもそんなシュールな青春時代があったのかと思うと、どうにかして当時の絵を見てみたいものだと強く感じました(そのためにはまず絵が発見されなければなりませんが・・・)。
「シュルレアリスムと日本」展については下記の紹介をご覧ください。
石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─18
『シュルレアリスムと日本。そして、京都』
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53523888.html?fbclid=IwAR1WE8hIiPdFr_cUbXqyyiQmfNCu3ywoNUXtU9osZuza8aV5ljnhyRQ9zUc#more