子育てで神話を伝えるということ
こうゆうご家庭で育った方は結構多いのではないかな?と思うのですが、子どもの頃、お米の中には神様がいるから、残しちゃダメだよと親によく言われたものでした。お茶碗のお米は一粒残らず食べるというのが実家では当たり前でした。
そのほかも箸の使い方のマナーや、箸置きを必ず使う、肘はつかない。両手を出してきちんと手を添えて食べる。姿勢正しく。などなど、割と細かく言われる家庭で育ったのと、ご飯のたびにうんちくを面白く語る父親だったので、自然と大事にするべきことを教わっていたんだなと思います。
当時、あさりちゃんという漫画だったか、タブーな箸の使い方というのが書いてあって、これか!お父さんの言っていることはと必死に覚えて、わたしも食卓で知識を披露した覚えがあります(笑
(上記サイトを見たら、やってしまってるのある・・・と思いました汗)
子育てをしていく中で、楽な方向へ行ってしまったこともあるのですが、やはり子どもに伝えていきたいことは、昔から伝わることだなと思います。食卓のマナーもですし、あとは、良いことも悪いことも天の神様(お天道様)ってちゃんと見ているんだよということ。この言葉を知っているだけで、道を大きく踏み外すことってそんなにないと思うのです。お米にも神様が宿っているから、きちんと最後の一粒まで食べて欲しいと思いますし、その他の物、おもちゃもお皿も洋服も家も人も皆々神様が宿っているから大事にしようねということ。
そうゆう風に伝えると子どもも、神様いるからね。と自然に受け入れている感じがします。
日本では1990年代に新宗教のとある事件が起きたことで、宗教や神様をタブー視するような慣習ができてしまったように感じますし、わたし自身も神様という言葉を発するのに気がひけるような時期があったように感じます。
なのだけれど、日本は古来より親が子どもにそうやって、目に見えない存在がいることを教えることによって自然や人や物を大切にするような慣習があったと、わたしは思うのです。
最近のライフワークとして、古事記の読み聞かせをやっているのですが、お話を通して神様が身近になることによって、子どもたちも目に見えない力をたくさん感じて生きることができるのではないかなと思うのです。実はわたしたちが知覚できることって数%です。人は自分で全部やっていると思い込むことによって感謝を忘れる生き物だし、人を頼れなくなってしまう。そして、争いも起きるのではないかと思うのです。
もちろん何でもかんでも人にお願いしてばかりでは、自分自身の成長もありませんので、自力ももちろん必要です。そして、人のお役に立てるようなことをたくさんやっていくことも大事だとも思います。
自然とたくさんの神様がいるということを伝えることができるお話。それが古事記なのかなとわたしは思います。
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