読書感想〜のんきな患者〜

■今回読んだ本


梶井基次郎の「のんきな患者」を読んだ。
僕の気分的に分厚くて難しい本を読む気にならなかったので、今回は短編小説を選んだ。

梶井は1932年に亡くなっており、著作権が消滅している。
現行のルールでは、作者の没後70年で著作権は消滅する。
(厳密に言うと、2018年以前に亡くなった作家は没後50年であり、梶井の場合はこちらが適応されており、1983年から著作権が消滅している。)
そのため、誰でも無料で読むことが出来る。
いわゆる青空文庫というやつだ。

明治の文豪が書いた小説がタダで読めるので、金欠な皆様にオススメ。(勿論そうじゃない方も)

■感想(ネタバレあります)

主人公の吉田は肺が悪い。
それで自宅療養しており、常に横になっている。

病人になったことで看病してくれている母親や、一緒に住んでいる猫、本当に効くかどうかわからない治療法を真剣に勧めてくる人との関わりを通じて起きる心情の変化が書かれている。

病状が悪化するのではないかという不安や苦痛を、どうにかして和らげるために、気を紛らわせる方法を見つけたりする場面。
僕は健康体だけど、将来のことを考えて不安になりやすいという点では吉田と共通しているところがある。
僕と吉田の違いは、僕の悩みは行動すればある程度解決するのに対して、吉田の病気は自分ではどうすることもできない部分が多くて、その分不安や苦痛が増しているのかなと感じた。

吉田が、看病してくれている母親に対して、自分が持っている辛さを言葉で主張しないと伝わらないことに直面し、もどかしさや葛藤を描いたシーン。
病気ではなくとも普段の生活でも感じられる部分があって、共感できる部分が多かった。

自分と他人は分かり合えないから、コミュニケーションが存在するのだけど、それが面倒なときも多々ある。
殻を破ってコミュニケーションした方が最終的には生きやすいのだけど。
コミュニケーションしないと、自分の脳内で勝手に相手が悪者になっていくケース(心理学における認知的フュージョンの一例)があって、吉田もそのパターンなのかなと推測した。

この本の中で、主人公の吉田が思いっきり殻を破ってコミュニケーションする場面は登場せず、勇気よりも面倒臭さの中で生きていく様子が描かれていて、これも人間らしさの一つだなと感じた。

でも、猫が吉田の布団に入ってきた時は、猫を鬱陶しがって横にどけた。
言葉が通じる人間に対して自分の心の声を伝えようとすることは出来なくても、言葉が通じない猫に対しては、無理やり猫を移動させるという手段で自分の心の声を現実にした。

言葉が通じないことから生まれる割り切りなのか。
言葉を使ったコミュニケーションというのは、自分の心の声を言語化して、勇気を持って声に出すというハードルがあって、そのハードルが存在しない猫とのコミュニケーションは楽な部分があるのかもしれない。
猫は人間の言葉を話せないし、人間の方が強いからある程度好き勝手に出来るという部分もあるのか。
実際、吉田は自分の病状とそれに付随する不安や苦痛で頭がいっぱいで、他者や猫に対する配慮をする余裕はなかったから、それも猫を動かせた一つの要因かもしれない。

個人的に梶井基次郎の小説は、日常の些細な感情を言語化することをメインにしているところが好きだ。あの有名な檸檬もそう。
読んでいて、「そうそう!この感情を的確に言葉にするとそうなるんよ〜」ってなることが多い。
「その感情を言語化出来るのすげえな」って感動しながら読めるのは、梶井の持つ魅力だと思う。
かといって人間が持つ弱さを執拗に抉ることはせず、ライトに描かれているので、読んでいて辛くなりにくい。

1932年に書かれた小説の主人公の心情と、2022年に生きる自分の心情が重なる部分があって、生きてる時代は違えど、悩むことや感じることは似ている部分もあるんだなと感慨深く思った。


この記事が参加している募集

サポートしていただけますと、とても嬉しいです。