2022/10/01 音声入力になかなか慣れられない件
コンピュータの技術が進歩してきて、音声入力なるものの精度がとても高くなってきた。英語などの表音言語の音声解析と比べて、日本語のような表意言語の音声解析は、漢字変換もしないといけない分、技術的に難しいんだと思う。
コンピュータ側の進歩は十分進んできているのだが、それに人間側がなかなか追いつかない気がしている。
というのも、私の場合はコンピュータに向かって話しかけて音声入力をするというのがどうも慣れない。恥ずかしさと頭の中のまとまりのなさが影響しているんだろう。
私の場合は、人が周りにいるときに、たとえそれが家族であったとしても、コンピュータに向かってブツブツと話すのはやっぱり恥ずかしいと思う。この点に関しては慣れだと思う。
というのも、私はオンラインで言語を教えているが、以前は、家族にレッスンの様子を聞かれていると思うだけで集中できなかった。でも、外国生活をする中で、自分が思っているような間取りの家に必ず住めるとも限らない。ビンボーフリーランスならではの悩みで、レッスン用の個人オフィスを準備できなければ、家族がいる空間でレッスンをするしかない。
意外なことに、家族の前でレッスンをすることに1か月もすれば慣れてしまった。
音声入力を難しくさせる別の問題は、頭の中のまとまりのなさ問題。文章を書くのが苦手な私は、「文章を練る」という作業に時間がかかってしまう。
言いたいことの骨子ははっきりあるんだけど、それをどのように文章化するかというところでゴニョゴニョする時間が必要なのだ。実際このnoteを書いている今も、書いては消し、書いては消しを繰り返している。
そんな文章力のない自分が、音声入力で1発で伝えたいことを文章にできることがあるわけないと考えてしまうのだ。というよりも、それができたら苦労しないんだよね。
音声入力の難しさについてのネガティブな考えをつらつらと書き綴ってきたものの、これも時代の流れだから、そろそろ慣れていくべきかなとも思っているんですが。
蘇る「メール」が登場した時のもどかしさ
音声入力をするときのもどかしさについて考えていると、この感覚って昔に感じたことがあるような気がしてきたのだ。
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