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平野紫耀の演技に惹かれて、今更『クロサギ』を見た。

まずは説明

ごきげんよう。春休み中のちょこです。春休みが暇すぎて、色々な映画やドラマを見漁っています。その中の1つが、この『クロサギ』。

「世の中には三種類の詐欺師がいる。人を騙し、金銭を奪うシロサギ。色恋を餌にするアカサギ。そしてこの世で一羽だけ、シロサギとアカサギだけを餌とし喰らう最凶の詐欺師がいる。詐欺師を騙す詐欺師――その名は、クロサギ。」

TBSクロサギ専用サイトより

現Number_iの平野紫耀さんが主演を務めている2022年に放送された金曜ドラマです。見よう見ようと思っては、つい忘れて今日まで来てしまった訳ですが、私ちょこ、ついにシーズン1(10話分)を見終わりました。本noteでは、その感想と、『ツキヨミ』の歌詞について触れていきたい所存です。

※ネタバレが含まれる場合がございます。読み進めてくださる方は十二分にお気を付けくださいませ。注意は致しますが、責任は負いかねます。ご了承のほどよろしくお願い致します。
※原作を知らない筆者が、ドラマを見た時に抱いた感想を書いただけです。色々間違いがあるかもしれません。申し訳ございません。

それでは行きましょう!!


全体を通しての感想

あの、まず言わせて欲しいのですが、、、

「面白い!!!!!!!!!!」
滑稽とかそういう訳では全くなく、単にストーリーとしてめちゃくちゃ興味深い。それに平野さん(含めた出演者の方々)の演技力が高すぎて、恐れ多いというか、「すごっ」というのがシンプルな感想です。
これをリアタイしなかった自分、損している!!!もったいないぞ!!!と思いましたね笑

でも逆に大学生になって、自分の精神が少しずつ成熟してきた”今”見るからこそ、見えてくる視点もありました。

信じること、信じられることって難しいよね。

平野さん演じる黒崎は、過去に色々あり、その過去が、詐欺師を喰う詐欺師にしている訳です。現代では、様々な詐欺が横行しています。きっと気づかぬうちに皆、一度や二度は詐欺に遭っているのかもしれません。危ない目にあうこともあるでしょう。ネットで出会った人は素性が明らかにされないこともあり、不信感を抱くこともあるけれど、ネットだからこそ、真の友達に出会うことができるという人もいると思います。
直接会って、徐々に関係を深めていくのと、ネットで出会って距離を縮めていくのでは、同じようで同じではありません。ここは人によって違うかもしれませんが、私はやはり何故か直接出会った人の方が安心感があります。
でも、直接出会う人が全て善良な人でもなければ、ネットで出会う人が全て悪人な訳でもないのに、何故なのでしょうね。

このドラマを見ていて、「信じる、信じられることの難しさ」を凄く痛感しました。私が信じられる人、その人は本当に信じられる人なのか。私がその人に置いている信頼と同等の信頼を果たして相手は持ってくれているのか。人に期待するものではないとわかっていつつも、ついそんな事を考えてしまいました。
人間の恩も縁も永遠ではない。だからこそ、信じている人に裏切られることもあるかもしれません。何でもない人に裏切られるのと、信じている人に裏切られるのとでは受けるダメージが違いすぎます。だからこそ、人は信じることに臆病になるのでしょうね。

「家」ってそんな意味があるんだな。

被害者が詐欺に遭い、家を取られそうになる場面があります。でも皆さんかたくなに、家を守ろうとするんですよね。もちろん人それぞれ事情があるため、全ての人にとって家が安心できる場所ではないと思います。でも、ドラマの中での家の立ち位置は、常にかえって来れる場所。全てを失っても、それでも意地でも守りたい場所。そこさえあれば、団らんや幸せな空間があるだけではなくて、言いたいことが言える、喧嘩ができる場所でもあるのです。私はまだ大学生で、家に対して特段深い意味を考えた事もありませんでした。でも、確かに何かあったときに返る場所があるということ。どんなに喧嘩しても、喧嘩をする場所があるということ。家族という見えない枠、法律でしか、戸籍でしか枠組みのない実体のないものを、家という実体のある箱が明確化してくれているのかもな、と思いました。

これだけは言いたい。平野さんのモグモグタイムよ。

特段追っかけをしているという訳ではありませんが、ダークな部分もある『クロサギ』の良い柔和剤というかなんというか。美味しい物を美味しそうに食べる姿が印象的でした。強さの中にある優しさをその場面からは感じ取りやすくて、結構お気に入りです笑
おだんごもおはぎも食べたい!!


『ツキヨミ』の歌詞について

以前から、耳にする機会はあった『ツキヨミ』。かっこいい振り付けがあることも存じ上げております。ただ、歌詞にそこまでフォーカスして聞いたことはありませんでした。(逆に言うと、そのレベルの私ですら、耳に残る両曲。)でも、この『クロサギ』を見終えた後に聞く『ツキヨミ』ひと味もふた味も違います。

※以下の見解はあくまで個人の感想です。真偽や実際の情報とは一切関係がありません事をご了承ください。

まずはこちら

別々に持ち寄った寂しさに 愛なんてくだらない名前つけて 誤魔化して 何になる?

King&Prince 公式YouTube「ツキヨミ」YouTube Editより
作詞:いしわたり淳治 作曲:中村泰輔 / TomoLow
Choreographer:RIEHATA

人がそれぞれ抱えている気軽に人に言えない何か。それを「寂しさ」と表現して、それを別々に持ち寄るとする。その先にあるものが愛だなんて最もらしいことを言うけど、それは愛なんて言葉で片付けられるほど簡単なものでも、前向きなものでもない。という意味だと私は解釈しました。ドラマの中で明言こそされていないものの、寂しさにあたる感情はよく出てくる気がします。それは人それぞれ形も量も違うけれど、皆心の底にはさみしさを抱えている。それを愛だなんて、ありきたりな、儚く壊れてしまいそうな一言で簡単にひとまとめにしてしまってはいけないと大学生ながらに思いました。特に黒崎は「愛」、を知らずに生きてきたのかもしれないから。もしくはどこか遠いどこかに置いてきてしまった、置いて行かざるをえない状況におかれてしまったから。

すべて捨ててきた 心なんて 愛なんて 生きる邪魔をするだけ もしも叶うなら ろくでもない俺を消してくれ

King&Prince 公式YouTube「ツキヨミ」YouTube Editより
作詞:いしわたり淳治 作曲:中村泰輔 / TomoLow
Choreographer:RIEHATA

この歌詞。切なすぎませんか。多分本当に全てを捨ててきたのだと思います。何も手には残っていない。そして、自分が詐欺師であることも自覚している。だからこそ葛藤に押しつぶされそうになりながらも、でも他に方法がない。もし、正義で、法律で、警察が、助けてくれるならその方が良いってわかっている。でも、それで今この状況が解決しないだろう。そんな葛藤が見える黒崎の感情が全面にでている様に思えて仕方ありません。

もつれた嘘 絡まる有象無象の人の業で濁る希望 

King&Prince 公式YouTube「ツキヨミ」YouTube Editより
作詞:いしわたり淳治 作曲:中村泰輔 / TomoLow
Choreographer:RIEHATA

「希望」
希望があれば人は生きていける。そんなこと、綺麗事かもしれませんね。そもそも希望とは何でしょうか。

でも、ドラマを見ていて、氷柱が、静かにともし続けた希望が誰かを突き動かすのかもしれないと思いました。本当は希望がなかったとしても、あるかもしれないと思うことはタダだし、その可能性に救われる人がいるかもしれない。
現実の世界で考えてみても、嘘は一度つくとその次に発する何かもまた嘘になると言う人がいます。希望が見えても誰かの何らかの思惑で嘘によって、その美しい、純白の希望が嘘で塗り固められてしまうことも多いでしょう。それでも、何かにくじけそうなとき、もはやどこに向かっているのかもわからなくなっているとき、「希望」があるだけで私は生きていける。
私にとって希望とは何か。「有なみ。」
多くは求めないから、ただ、自分を、相手を、他の誰かを照らす何かであって欲しい。

いやーーーー『ツキヨミ』の歌詞深いって!!!!上手く言語化できない部分も多くあるけど、もう一度歌詞を意識しながら聴いてみようと思います。


そんなこんなでこのnoteを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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