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奈良時代・平安時代の甘味「甘葛」とは

はじめに

女子栄養大学の社会通信教育の「栄養と料理専門講座」の『食文化概論』を勉強していたとき、わからない単語が出てきました。

それは、「甘葛(あまずら)」です。

テキストの食事文化小史の「古墳 奈良時代」の調味料の項目のところに
「甘味については、水飴を飴(あめ)、蜂蜜(はちみつ)を蜜と呼んで利用し、ほかに甘葛汁(あまずら)などがあった。
中国僧鑑真が日本に渡来した際に砂糖をもたらしたが、当時はもっぱら薬用として使われた。」(6ページ)
と記載されています。

「水飴」、「蜂蜜」、「砂糖」は現代でも食べるもので想像が出来るのですが、「甘葛」はどういうものかわかりません。

辞書で調べたところ

コトバンクによると、
「深山に生える、つる草の一種。また、それから採った甘味料。秋か冬に、切り口から液汁を採取する。」
とのことです。

ツルの切り口から出る液汁のようです。

ウェブで調べたところ

もっと理解したいと思いウェブで調べたところ、奈良女子大学大学院の国際社会文化学専攻で再現実験を行なっていました。(2010年度)
内容は細かく、写真も多めでウェブで報告しています。一読の価値があります。

甘葛はツタの樹液(「みせん」と言う)を煮詰めて作られるとのことです。
ツタの樹液は1〜2月が糖度のピークのため、甘葛は寒い時期にしか作れないようです。

この報告では、太いツタを長さ30cmにノコギリで切りそろえて、そのツタの先に自転車のタイヤチューブを差し込み空気を送り込みます。
空気を送ると樹液が出てくるので容器で受けます。(ゴミも出てくることがあるため容器の上には濾し布を被せます。)

集めた樹液を鍋でアクを取りながら煮詰めます。
無色透明がだんだんと飴色に、そしてトロリとなったら甘葛の完成、とのことです。

この報告を読むと、甘葛という甘味料を作るにはかなりの労力が必要とわかります。

補足

私は文学部卒業ではないため詳しくは述べられませんが、歴史を調べる上で重要なのは一次資料です。
日本の食べ物については、平安時代の中期に成立した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』が和漢の物名の百科字書で、よく引用されます。
『倭名類聚抄』にも「甘葛」が記載されています。

『倭名類聚抄』は国会図書館のデジタルコレクションで見ることが出来ます。
[8][45]をクリックして、36/43ページの「千歳蘽汁」が「あまずら」と読むそうです。

また、清少納言の『枕草子』に「削り氷にあまずら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる」と甘葛について書かれています。

おわりに

ツタには甘い樹液があり、その樹液を集めて煮詰めたものが「甘葛」ということがわかりました。
平安時代の文献にも出てくるため、この時代の甘味としてはスタンダードだったようです。

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