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理解できるものを求め過ぎた!

映画「ボーはおそれている」を観た。
結論、まったく意味が分からない。
だが、とにかく興味が湧いた!
不愉快なのに心地良かったのだ。

とても神経質なボーという男が母親の死がきっかけで実家に帰る道中で悲惨な出来事に連続して会うという物語。

だいぶ要約してます。
脳みそ焦げて頭から煙出るんちゃうかなと鑑賞しながら思っていた。
登場人物の言動が意味不明なのに物語は成立したように進む。
これは現実なのか?それともボーの夢か?
いや、もしかして自分が映画館で寝てる?
夢うつつなのかもしれない。
現実では有り得ない話なのに何故か身近に感じたりもした。
3時間の長尺。絶妙に飽きさせない。

「ヘレディタリー 継承」「ミッドサマー」とヒットを飛ばしてきたアリ・アスター監督だ。
何かのメタファーや社会的なメッセージが込められているのだろうと思い、雑誌「映画秘宝」での町山氏とのインタビューを読んだ。

…意味わからん。
いや、ユダヤ教が絡んでいること等は理解した。
だが、なぜなんだ。なぜこの映画をつくろうと思ったんだ。

考えて、ふと思った。

理由を求め過ぎている。

分かろうとするのは傲慢である。

そもそもポッコーンを食べながら映画を見てお茶を飲みながら雑誌を読む、この時間が好きだ。

過去にも「アステロイド・シティ」という映画でも感じた。寝ることで補完される映画もある。

理由を求め言語化しないといけない、ある種の強迫観念みたいなものが蔓延している。
その根底にはSNS文化がおそらく起因しているだろう。

もっと自由に楽しんでいいはずだ。
整えられたものより歪なもの。
理解出来ない不愉快なものこそが誰かの記憶に残り後世に残っていくと思うから。

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