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後で効く 冷酒と 彫刻家の独り言

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彫刻家大黒貴之のオピニオンや独り言をまとめています
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#現代アート

ある女性作家の作品と60年後のオールドマスター

彫刻家の大黒貴之です。 アート作品の変遷とは実に不思議なものである。 通常、世間に出回っている商品は一定の期限が来ると商品価値は減少していき特売品やバーゲンセールとなるか、それでも残った商品は在庫になっていく。 アート作品が一般商品と決定的に違うのは時間の経過ともに価値が高まっていく可能性があることが1つ挙げられるのではないだろうか。 「彫刻家して仕事をしています」と自己紹介すると、何人かの人たちから、 「美術作品は後世に残っていくからいいねぇ」と言われることが稀にあ

専門家とはどういう人のことをいうのだろうか:あと「仕事中の彫刻家」のこと

彫刻家の大黒貴之です ある日ラジオから「専門家とはどういう人のことを言うのか?」という話題が聞こえてきました。 その話によると「専門家とは自分に何ができて、何ができないのかを知っている人」だといいます。 なるほど、それが結果的に1つのことに特化していくことだというのは一理あるなと思いました。 僕が彫刻家と言い始めたのは2002年からでした。ベルリンのギャラリスト、セミヨンさんが「君は彫刻家なんだよ」と言ってくれたのが、大きな切っ掛けの1つでした。 また関西のある彫刻

縁起の間 -⽩梅・⽯楠花・彫刻・⾦⽊犀

彫刻家の大黒貴之です。 2020年、東京のMARUEIDO JAPANで開催された個展に合わせて執筆したテキスト「両義の間にある揺らぎ「間-振動」-⾃然 時間 ⾔葉 数字 縁起 ⽣命彫刻、ドローイング、インスタレーション 」から抜粋したものです。 ・・・・・ 10 代、20 代の頃は、⾃宅にある庭の樹にはそれほど愛着も無かったが、近年、何故か急に⼼を惹かれるようになっている。 中でも⽩梅と⽯楠花、それと⾦⽊犀の 3 本の樹々が特に気に⼊っている。⽩梅については、私が幼

テーブルに「つく」こと、或いはそこから「たつ」こと

彫刻家の大黒貴之です。 「雑感ノート-20190107-」より インターネットが一般向けサービスとして日常に張り巡ったのは確か1995年頃だったと記憶している。 それ以前、情報はテレビ、新聞、書籍などのメディアか人からの見聞など、アナログなものだった。今のようなSNSなどもなかったし、また情報も簡単に手に入る環境でなかった。 学生の頃、「現代アート」とは一体どういうものなのかよくわかっていなかった。美術雑誌やそれに関連する本はあったが、なんだかよくわからない小難しい表

究極の純粋性とは?ミニマルアートの旗手ドナルド・ジャッドが辿り着いた境地

彫刻家の大黒貴之です。 今回はミニマルアートについての話をします。 ミニマルアートとは、1960年代前半から70年代初頭にかけてアメリカに台頭してきました。作品の素材や作家の手跡などを徹底的に排除して鑑賞者の目前にある作品を「モノ」として提示し、作品自体の純粋性を問いかけたアート概念です。 その例として、ミニマルアートの旗手ともいえるドナルド・ジャッドを紹介したいと思います。ジャッドが1965年に発表した「スペシィフィック・オブジェクト」という概念は彼の思想が凝縮された

アーティストのセルフブランディング : 作家ができること、できないことを考える

彫刻家の大黒貴之です。 これからは個人の時代だと聞くことがしばしばありますが、これは同時に個人で全ての責任を負うことを意味していると解釈しています。 ですので、アーティストも自身で情報を発信したり、記録を残すことは少しずつでもやっておくほうがいいのではないかと考えています。 その意味で、情報が整理されて蓄積されいくWebサイトやブログ、またnoteのようなプラットホームはとても価値あるものだと思います。 一方で、1人でできることには限界があることもまた確かなことです。

現代アートの作家として生きていく人、やめていく人

彫刻家の大黒貴之です。 日本にはたくさんの芸術・美術大学、或いは芸術学部があります。 そこから毎年数多くの学生が卒業していきます。 学生時代にこんな話を聞いたことがあります。 「作家(アーティスト)になる志を持って学校を卒業した学生たちは、 5年後、100人中10人になり、それからまた5年後には半分になる」 つまり、22歳で大学を卒業したとして、32歳になるときには、95%の卒業生が作品をつくることをやめているというのです。 経済的、もしくは環境的にやめざるを得な

彫刻について考える:ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻論とフォールド・ドローイング

彫刻家の大黒貴之です。 2020年、東京のMARUEIDO JAPANで開催された個展に合わせて執筆したテキスト「両義の間にある揺らぎ「間-振動」-⾃然 時間 ⾔葉 数字 縁起 ⽣命彫刻、ドローイング、インスタレーション 」から抜粋したものです。 ・・・・・ 彫刻とはどういうものかと尋ねられれば「現実」と「行為」だと答えるだろう。 絵画は平面性の中にイリュージョン(幻想)を形成させるのに対して、彫刻は三次元のものが目前に厳然として「在る」ことが挙げられる。現在では彫刻

【アートをぶっ壊す!】ネオ・ダダって何?ジャスパー・ジョーンズとラウシェンバーグの反発

彫刻家の大黒貴之です。 今回はネオ・ダダという1950年代末にアメリカで起こったアートの動向をロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの作品をベースにしながらお話します。 ネオ・ダダは、抽象表現主義の後の潮流に乗った動向で、第一次世界大戦時にヨーロッパで隆起したアート運動「ダダ」に類似していることから「ネオ・ダダ」という概念を当てはめられたと言われています。ダダとは、ルーマニア語で二重の肯定を意味します。 彼らは日常的なテーマや物質を絵画に取り込んだネオ・ダダ

芸術家に必要な3つの大事な要素を考える

彫刻家の大黒貴之です。 アート作品はいかにして後世にまで残っていくのでしょうか? 「巨大アートビジネスの裏側-誰がムンクの「叫び」を96億円で落札したのか」(石坂泰章【著】)によると作品が制作されてから60年後が、その大きな節目になるのだといいます。 それは以下のようなプロセスを踏んでいくそうです。 1.ある人が最初に作品を購入する(購入から最初の1ヶ月後にも鮮度が保たれているかどうか) 2.作家の世代が第一線から退く(作品制作から約30年後の評価) 3. 作品を購入

抽象表現とはなんぞや?ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティング

彫刻家の大黒貴之です。 今回はアメリカ抽象表現の旗手として活躍したジャクソン・ポロックのストーリーを中心に抽象表現主義のお話をします。 第二次世界大戦後、世界のアートの中心はパリからニューヨークに移りました。抽象表現主義は、戦後から1950年代にかけて台頭した動向で
アメリカ戦後美術の流れが構築されていく基盤的役割を持つことになります。 ドリッピングからアクション・ペインティングへポロックは人の夢や深層心理を表現するシュールレアリスムの作家たちに
大きな影響を受けます。

なんで便器がアートになるの?コペルニクス的転回・デュシャンの「泉」

今回は、現代アートの父ともいわれている マルセル・デュシャンのお話をします。 彼は、現代アート界に衝撃を与え、その後のアートワールドにも多大な影響与えました。デュシャンは、アート界にある問いを投げかけました。 その装置として、彼は便器を選びました。 どうしてその便器がアート界に多大な影響を与えたのでしょうか。 最初は全く見向きをされなかったデュシャンの便器 今からさかのぼること、100年前の1917年、
ニューヨークのアンデパンダン展という
誰でも参加できる公募展が開催

あなたのモノやコトが後世に残るためのたった1つの必要なこと

彫刻家の大黒貴之です。 僕は「何十年、何百年と長い時間の圧力に耐えて
残っていくものが本物である」と考えています。ですので、現時点で、それが「本物」がどうかは、実のところわからないというのが正しいのだと思います。 マーケット上でまるで株券のように
アート作品を売買す様子や100万円単位で値段が吊り上がっていく
オークションの様子には確かに違和感がありますが、
マーケットとは、何千万円、何億円もする作品が
売買されてる市場のことだけではありません。 アートマーケットという

本物とはどういうものだろうか?消費されず時代を超えて残っていくもの

「流行」という言葉がありますが流行とはその時代の「ハヤリ廃り」です。 一方で時代を超える本物が世の中には存在しています。 例えば、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ、ボッテチェリ。
モネやゴッホ、セザンヌなどの印象派の巨匠。ピカソにマチス、ポロック、マルセル・デュシャンなどの20世紀の巨匠など。
葛飾北斎や伊藤若冲、日本や世界に昔から伝わる仏像や画。 上に挙げた例は、一例にしか過ぎないのですが
これらは「本物」だと思うのです。 なぜなら、それらは多大な「時間の圧力