豊島紀 ㉕豊島が飛車を振った
豊島が飛車を振った。タイトルと同じ文言を本文に書くのはスマートじゃないが、書いてしまう、豊島が飛車を振った。
6月5日のNHK『クローズアップ現代 最年少名人・七冠 藤井聡太の強さに迫る』を見ていたら、藤井聡太の将棋AIとの対し方について師匠の杉本八段が語っていた。
「AIの答えというものを決して何か妄信するわけでもなく」
「何でその手なんだということを見て新たに自分で考えて消化して」
「理解しているからうまく使いこなせているのかな」
「もともと持っている深く読める能力とAIが融合したという気がします」
それで、藤井聡太が「AI超えの一手」すら指すスゴイ棋士なんです、という話になっていくわけですが、この、杉本さんが言ったのとほぼ同じことを豊島も言っている。それは豊島が藤井聡太について言ったのではなく、自分自身のこととして語ったのだ。NHK『アナザーストーリーズ 名人がAIに負けた日 人間vs将棋ソフト』で。2020年11月放映。
豊島が対人研究をいきなりやめて、将棋ソフト相手の研究しかやらなくなった(関西将棋会館の棋士室にぜんぜん来なくなっちゃった、何やってんですかねえ〜、結婚でもしたのかもしれないし〜、ととぼけた顔で言う山崎先生登場。いい味出していた)、そんな思い切ったことをした豊島がどのように将棋ソフトと対しているのかという話で、
「(ソフトを)全部信用してしまって受け入れているだけだと」
「受け身になると自分の感覚が狂っておかしなことになる可能性がある」
「自分はこっちが正しいと思ってて、ソフトはそれは違うと思ってて」
「でも意外と自分が思いついた手を指してみたら」
「途中で評価値が逆になったりとかして」
「自分の指し手が(AIに)認められたケースとかもありましたし」
「(AI)と意見を戦わせるみたいなことは多かった」
豊島も「AI超えの一手」を発見してるのである。そうやって豊島は「人間とでは得られない新しい手を次々と身につけていった」、そしてタイトル取れるようになりましたという話で、ほぼストーリーは藤井聡太と同じ。
同じだからどうこうということではなくて、現代のプロ棋士はAI研究をしなきゃやっていけないし、その研究の仕方というのもAIの言いなりになるんではなくAIとも細かい話し合いを延々と続け──つまり「マジメに地道にコツコツ」やらなきゃダメだし、そういう地味な作業が豊島も藤井聡太も大好きでぜんぜん苦になりませんよ、だから強くなりましたよ、って話だ。他の強い棋士だって同じだろう。『クローズアップ現代』が、つっこみの足りない、浅いデキだったなーと思ったが、今、将棋についてこれ以上の分析はたぶん出てこない。あとはもう人間対人間のドラマとして描いていくしかないだろうな。
(だから『NHKスペシャル 四冠誕生』で、主役の藤井聡太だけじゃなく竜王失冠した豊島を引きずり出してきたのは、番組としてぜったい必要だったし、それができたからあの番組は成功したのだ。『NHKスペシャル 羽生善治 52歳の格闘 〜藤井聡太との七番勝負〜』は敗者羽生にスポットライト当てたけど勝者藤井聡太が出てこないので食い足りなかった。『クローズアップ現代』は藤井も渡辺も出ていないし、30分番組でそもそもそんなつっこんだ内容にはなりえない)
さて。
そんな今だからこそ衝撃的だった、「豊島が飛車を振った」。
これが、藤井聡太が名人を奪取した翌朝のことだというのも熱い。私は携帯中継を見ていて、ちょうど「そろそろ始まったか。豊島先手だし、話題の先手角換わりか」
と、見た局面がちょうど三手目を指したところだったというのも熱い。スマホの画面見た瞬間、
「えーーーーっ!」
て叫んだし。目を疑った。飛車がなんでこんなとこにいるんだ。いや、意味があってそこにいるんだけど。だんなが休みで背後でゲームやってたのが私の叫びに驚いて立ち上がってましたからね、「なんやなんやなにがあったんや」「と、とと、とよしまが飛車を振った!」
「どこに」と冷静にきく夫。なんでそんな冷静でいられるんだ。私は動転してたので「いち、に…」と確認してから言った。「さんげんびしゃ!」
三手目に三間飛車という、その対局を豊島は勝ったわけですが、豊島の振り飛車将棋がどの程度の完成度であったかについては、プロ棋士山本博志五段による以下の感想を貼りつけておく。
東大方面のことは雲の上すぎてわかりませんが、三流美大出身者としてはいきなり藝大合格されたら嫉妬のあまり「殺す(-"-)凸」となりそう。しかしそもそもプロ棋士が「居飛車(振り飛車)しか指さない、指せない」なんてことはあるわけはなく、豊島だって電王戦の頃には「若き天才オールラウンダー」という惹句をつけられてたわけでどっちも指せるにきまっている。だからそんなに驚くことはないはずなのに、豊島が飛車を振ったら地球の将棋ファンが一万人ぐらいは「エエエーッ!」と叫んだと思う。
それはたぶん、「将棋におけるAI研究の最前線は角換わり」が「常識」みたいになってたからで、そこに「圧倒的角換わり強者」の藤井聡太が出現、手も足も出なくなり、王将戦あたりから「角換わりには持ち込まない」という流れが出てきて、叡王戦名人戦はついに角換わりが一局もなく終わった。それでも叡王も名人も藤井聡太が勝っちゃったわけだが、少なくとも「藤井聡太と戦うのなら別の道筋を行け」と考える棋士がいて当然である。
ここで、『アナザーストーリーズ』の話にちょっと戻る。この中で、豊島が「どうしてAI研究に軸足を移したか」について語っている。
「ソフトはわりとはっきり言ってくれるのもいいところだと思います」
「人間だったらそんなに否定とかその手はありえませんみたいなことは言わないじゃないですか」
「人間関係というか相手に気を遣うことも多少はある」
この話から、前段で書いた「ソフトといかにつき合ったか」の話につながるのだが、前のエントリに書いたABEMAトーナメントの、チーム豊島でのあの雰囲気を見てれば「対人やめて機械を相手にしたい」豊島の気持ちは痛いほどわかる(笑……っちゃいかんが笑ってしまう)。基本的に礼儀正しく物静かで前に出ていくようなタイプではない、けれど勝つことをマジメに追求するあまり正直なことをついぼそっと言ってしまうという、そういう性格だと「人間相手にその手はありえないとか言っちゃってあとで後悔」とかその逆とか、いっぱいあったろうなー、それでストレスけっこうたまったりしたんだろうなー。「豊島は司令官タイプじゃない」と書いたけどそれは「戦略を立てるのがヘタ」なのではない。戦略、戦術の立案には誰よりも長けてるが「人に命令する」「人を動かす」のがたぶんすごく苦手ってこと。だから人じゃなくて「木の板」を駒のように、というか駒ですね文字通り、それを好きなように切ったり捨てたり成りこんだりするという将棋が強いのだ。豊島に将棋があってよかったと思う。
で、そんな豊島が、この流れの中で飛車を振ってきたから熱いのである。私は豊島が対人研究やめて、AIで序盤研究を研ぎ澄ますのはほんとにカッコいいと思っているしそういうところが豊島の魅力だと思っているが、同時に「チョー苦手でもなんでもいいからこの際、はいつくばってでも、藤井聡太に勝つために──現在の将棋のラスボスは藤井聡太なので──誰かとガッツリ組んで振り飛車の研究とかやる姿も見たい」とか思ってしまっていた。そこにきた三間飛車ですもん。気持ちも燃え上がりますよ。
じっさいに誰かと研究とかVSやってるかどうかは知らない。ファンが期待してるのは菅井さんとやってることかもしれない、菅井さんは豊島とはまったくタイプの反対な「人懐っこいファイター」だから、そういう人と一緒にやるのはすごくいいと思う。そうだったらいなと思う。が、そこはまあどうでもよくて、重要なのは、
豊島が動いた
ことだ。豊島が動いた。そして何万人(多少盛りました)の心が動いた。それが藤井聡太が名人を獲って七冠になった翌日だということ。豊島は菅井さん以上に熱いファイターだ。あんな大人しそうな外見なのに。
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