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死ぬまでつくった人たち|第1話|10ドルあれば映画は撮れる|ジャン=リュック・ゴダール

 去年、ゴダールは自ら命を絶って亡くなった。スイスの法律では利己的ではない理由の自殺は認められている。ゴダールは身体に複数の疾患を抱えていた。2、3年ほど前のインタビューで、2本の脚本を手がけていてその作品が完成したら、映画人生を終えてもいい、というニュアンスのことを語っていた。その脚本を書ききったときに

「さよなら映画」

と言える日が来ると。

 ゴダールへの追悼の文が著名人たちから次々と寄稿された。蓮實重彦が書いていたことを要約すると、映画界に革命をもたらしたゴダールに

「革命など起こそうともしていない、ただ好き勝手に撮っていただけだ」

 と最大の激賞をした。保坂和志は、ゴダールは身体が動かなくなったら動かなくなったなりの映画を、死んだら死んだなりの映画が撮っていると書いた。ゴダールの映画をどれだけ観たかとか、どれが好きかとかはでなく、その人の人生にとってゴダールが必要かどうか? が重要な存在だと。
追悼文ではなく、ずいぶん前に語っていたことだが、中原昌也はゴダールについて書いてほしいと依頼があっても、書きたくないので逃げ回っていると漏らしていた。だいたいこういうこと書けばいいというゴダール批評型みたいなのがあり、その型は意外と小さく狭い。蓮實重彦はその型をつくったうちの一人なんだけど、その型を自身の追悼文で完全に打ち壊した。蓮實重彦の文章は、殺気と優しさという相反するものが奇跡的に共生した爽快さすら感じる言語の塊だった。ゴダールとは蓮實重彦がそうしたように誰かの作品に「使われる」概念のような存在だ。そういう人はゴダールを最後にすっかり居なくなったと保坂和志も追悼文で綴っていた。

「10ドルあれば映画は撮れる」

 とゴダールは語る。10ドルなら映画で儲からなくても他の仕事をすれば誰でも手に入れることのできる金額だ。60年代からゴダールは映画を撮り始めた。当時、高額だっただろうフイルムと違い、いまならデジカメやパソコンなんならスマホでだって映画は撮れる。

「10ドルで撮れる」というのはゴダール流の商業映画というシステムに対する皮肉なのか若い映画を志す者たちに発破をかけるためのハッタリもしれないが、わたしには

つくりたい人にとって金銭的な壁はない。

 というメッセージに受け取った。壁は金銭だけではない。ゴダールはフイルムがまだまだ主流だったころにビデオカメラで映画をつくった。近年はスマホやインスタのエフェクトを使ったような映像も作品中に現れ始めた。
 映画監督という職業にもこだわってなかったようだ。ゴダールはロッセリーニが映画界で仕事が出来なくなり、テレビに移行して素晴らしい仕事をしたと賞賛した。ロッセリーニにを見習い「テレビなんて……」と映画界から馬鹿にされていた時代にゴダールもテレビで仕事した。ゴダールがまだ生きていたらスマホのタテ画面に合わせてショート動画をつくりTikTokでそれを発表して「これは映画だ」と批評家たちに言わせただろう。TikTokが新しいメディアだから良いという訳ではない。どんなメディアやシステムもいずれ消え去るのだから、発表する場やシステムにはハナからこだわっていないというだけだ。
 ゴダールは映画の内容もさることながら、技術や媒体選びも権威になびくことはなかった。わたしはこれからもゴダールのようにありたいと思うし、これから映画に限らず何かを作り出そうとしている若い人たちにもそうあってほしい。わたしを含めたオッサンのやっていることを脱構築してほしい。変化を拒む旧世代のやっていることは絶えず新世代にはダサい。あなたたちが新しくしていることこそがいまの時代をキラキラさせるのだ。
 ゴダールは年老いても若い反骨精神を忘れず脱構築と変化をし続けた。そう綴ると彼を偉人化しすぎている気がする。ゴダールが撮った映画『勝手に逃げろ/人生』という邦題が示すとおり、単に人生から逃げていただけかもしれない。しかしその


「勝手に逃げろ」

 はゴダールが体感した生き延び術だったのかもしれない。この地獄のような社会から逃げろ。逃げて逃げて逃げまくれと。
 ゴダールはいま死後の世界まで逃げ切って、粒子や風を使って映画をつくっているのかもしれない。

 ゴダールは経済的な成功にもほとんど無縁だった。お金に興味がなかったとも思えないが、 ゴダールが経済的に成功した映画は『勝手にしやがれ』だけだ。あとは『気狂いピエロ』がアメリカでヒットしたけど、フランスの配給会社が国内では観客動員がとぼしかったので権利を手放した。『気狂いピエロ』の経済的な成功では権利の問題で、ゴダールには殆どお金は入ってこなかったと本人が語っている。
 ゴダールはたった1作品の経済的成功しかなくても、テレビ、シナリオ、批評、講演などの仕事と並行して映画を撮り続けた。ヒット作や利益を生み出し続けるだけが創作の延命になる訳ではない。ゴダールを敬愛したドゥルーズは「ゴダールは映画界の労働「力」にならなかった」と語っている。

 60年代後半から70年代のゴダールはラディカルだった。商業映画から離れて政治的な映画を作りまくった。匿名性をもとに集団で制作をする「シガ・ヴェルトフ集団」を68年に結成。
 当時のカンヌ国際映画祭は、映画版オリンピックのようなイベントだった。各国が国を上げて代表作品を出品し、上映の前には国歌を演奏して賞を競うのだ。敵対する監督の作品を酷評し合うこともあった。五月革命のさなかカンヌ映画祭に、ゴダールはトリュフォーらと乗り込み中止に追い込んだ。映画でバカバカしい争いごとをされるのにウンザリしていたからだろう。カンヌ映画祭をハックしたのだ。後にも先にもカンヌ映画祭が中断したのはこの年だけだ。ゴダールたちが映画祭を中止に追い込んだ影響で、カンヌは無名の監督の作品も上映する期間を設けるようになった。権威や中央集権的なものをアクションによって壊滅させ次世代に映画を繋げたのだ。

 79年にはシガ・ヴェルトフ集団も解散して商業映画に復帰する。好景気に浮かれる80年代も彼は淡々と映画を撮り続けた。90年ごろからゴダールはフランスからスイスの人里離れ場所に移住した。60才になったゴダールは政治からも商業映画からも離れて、もっと自分勝手に気ままに映画をつくりたいと思ったんじゃないかな。それから10年かけて『映画史』という、4時間半におよぶ大作を手がける。わたしがこの映画を観たのは20年くらい前。まあ、はっきり言って内容はほとんど覚えていない。記憶にあるのは休憩が2回あって、午前中に映画館入り上映終えて外に出ると夜になっていたこと。映画館だけで1日を終えたのは初めての体験。しかも相手はゴダール映画だ。たしかクリスマスイブとかに観た気がする。恋人もいない独り身のクリスマスだったが、ゴダール映画で1日が満たされたのが誇らし気分だった。こんなにも長大で映画史という世界に「引きこもった」を映画を観たことがない。400本以上の映画を切断して貼り合わせる。その壮大な映像のブリコラージュにゴダールの語りが入る。映画への愛、社会への憐れみ。観ているとわけもわからず涙がでた。政治からも商業からも離れたゴダールはどこに向かうのだろうか。

ゴダールは物語をしっかり丁寧に語ることより、西部劇でガンマンが酒場に唐突に現れて大暴れしたら理由もなく去ような断片のみで構成される映画に惹かれるそうだ。不思議なことに、その断片は、物語の前後を想像させて全体を生きたと感じさせるものを持っている。大袈裟に書くとゴダールの映画は断片しかない。断片と断片が編集によって繋がっているとも思えない。断片は断片のまま。だからこそ生まれる誤解を、ゴダールが人生に必要な人たちが使って、おのおのが生きるために必要なものをつくり出す。結末やオチを期待してたらゴダール映画を楽しめない。観ているシーンの「いま」その瞬間が面白いのだ。晩年のゴダールは物語を語ることからも逸脱して、好き勝手に断片を撮ることを選んだ。ゴダール映画は断片で構成されたポエムのようだ。

つくり続けるためにメディア、映画的な物語、政治的な変革、経済的成功に執着することをどんどん捨てていった。勝手に逃げろならぬ、勝手に捨てろだ。知らんぷりするのではない。ある種のこだわりをあきらめることが、ゴダールを自由にしている。

ゴダールが死んで久しぶりに彼の映画を観たいと思った。『気狂いピエロ』『ワン・プラス・ワン』は若いときに擦り切れるように何度も観た。再見したかったが、手元にはビデオテープしかなく再生するデッキがない。DVDで持っていた『男と女にいる舗道』を観た。
 覚え書きなので間違えているとこもあるかもだが、主演はアンナ・カリーナ。彼女の役は家賃も払えない貧困に苦しんでいる若者。彼女は娼婦なって金銭的には自由になった。だけど何かが満たされない。街角のカフェに入りアンナは唐突に座っていた見知らぬ老人に話かける。老人はカフェで本を読みふけっていて気軽に話かけられる風貌ではない。本当にゴダールの映画は唐突だ。このシーンには年老いて死んだゴダールの亡霊いて、元恋人のアンナ・カリーナに話かけているようにも、わたしの目には映る。老人はアンナに『三銃士』は読んだことあるか? とたずねる。アンナはテレビでならと答える。老人は

「ポルトスという巨漢の男がいて彼は生まれてから一度も頭をまともに使ったことがなかった。ただの一度もな。それでも楽しく生きていた。
ある日、家が火事になった。ポルトスはもちろん逃げる訳だが、このとき彼は生まれてはじめて考えた。逃げる自分の足を見て、なぜ右足と左足が交互に運動することで走ることが可能になるのかと。するとポルトスは走ることも歩くことも出来なくなって倒れ込んだ。建物は炎で崩れる。ポルトスは押し潰されて死んでしまった」

老人は

「真理とは考えることをあきらめることなのかも知れない」

とコーヒーカップを片手に語る。

「考えないないことが正しいのであれば、なぜ、人は言葉を使い表現するの?」

アンナは自問するように老人に聞く。老人は

「表現とは伝達の手段ではない。自分が考えるためにあるんだ。難しいことだが誰も傷つけない言葉を探すために。その言葉をつくることをあきらめないことが愛なのかしれない」

シーンはぶつ切りで唐突に終わる。

考えること。考えないこと。矛盾する二つの事柄をどちらも肯定する。この肯定はゴダール的な思想なのかもしれない。スマホのカメラで映画を撮ったからと言って、フィルムを否定する訳ではない。保守的なオッサンには社会を安定させるという良さもあるし、若者には不安定という新たな可能性がある。
どちらも等しく世界を豊かにしてくれるものなのだ。

対立や事故や天変地異や社会的な事件を、良いと感じるか、悪いもにするのか、すべてはあなたの心の感じ方次第だ。勝新太郎は

「完璧なものは偶然にしかできない」

と言った。ゴダールが医療にたより無理に延命することと、すっぱりと自分の意思で生命をもエディットすること、どちらも偶然とはほど遠い。「さよなら映画」と言い終えてスッキリわかりやすい物語に人生をしなかったのは、ゴダールらしいといえばらしい。生命もぶつ切りでエディットして次にシーンにつないだんだ。だけど断片と断片がつながっただけなので、物語はそこにはない。しかしわたしたちは断片から想像ができる。死んだ後もゴダールはまだまだ映画を撮り続けていだろう。一瞬の詩(死)と章(生)を書くために。そう考えるとゴダールの死は悲しさだけではなく、大きな希望を感じる。映画をつくること。小説を書くこと。音を鳴らすこと。絵を描くこと。エディットすること。切断すること。死ぬこと。再生すること。世界を作り直すこと。またばらばらになること。

 ゴダールにとって天国(死後の世界)とはどんなところだったんだろうか。ゴダール映画『アワーミュージック』の中での天国は、わたしのおぼろげな記憶ではこんなところだった。テロリストと間違われて殺された主人公オルガは天国を歩いている。のんびりと釣りをする人、読書をする人、ボールがないのに砂浜でビーチバレーをする若者たち。赤や黄色の花が咲き、森の中の小川で水の流れる音がする。川の先にはフェンスが貼らられていて銃を持った兵隊がいる。本を読んでいる少年が叫ぶ。

「弟が生まれたよ!」

 兵隊なのかゴダール本人の語りなのかは忘れてしまったが

「すべてはわたしたちの音楽だ」

 という声が小川のせせらぎの音とともに世界に響く。この映画の天国は、もはや天国でもなんでもなく、わたしたちが生きるこの現実世界そのものなのではないだろうか。わたしたちの感じ方一つで世界は天国にも地獄にもなる。この原稿を描いている隣で、小学2年生の娘が歌っている。アニメ『チェーンソーマン』の主題歌の一節の

地獄もいいところ〜♪

 を何度もリフレインしている。

ゴダールはどこかでこんなようなことを語っていたそうだ。

「この地獄のような社会で唯一、人間が抵抗できるのは子どもが生まれることだ」

と。子どもが生まれる瞬間こそ天国を体感できる。それは実際に出産する意味もあると思うが、何かを生み出し創造することでもあるはず。わたしたちは死ぬまでつくりたいはずだ。ゴダールのように。何だっていい。それはきっとあたなはすでに手に持っていて今からできることだ。意識と肉体を使って集中できること。ドゥルーズは、世界は最初からがんじがらめだが水漏れを起こしていると哲学した。水の通り道に逃走線はあると。その逃走線はきっとあなたらしい何かなんだ。その何かでからだと心を踊らせて、この社会の閉塞感から脱出しよう。それがわたしたちが出来る静かなレジスタンスであり最大限の抵抗なんだ。


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