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生きづらくない人| 第1回 |理解しえないことを肯定すること

 横浜にある家系ラーメン店。時代は八○年代だろうか。行列が出来ている。店主は五○代のおじさん。パンチパーマにねじり鉢巻。お店には行列が出来ている。ラーメン屋のおじさんは、店員さんがミスをすると蹴る。取材に来たアナウンサーにも怒鳴る。奥さんにも、子どもにもガミガミする。ぼくはネットでその映像を見ていた。
 おじさんのあまりに大柄な態度に、胸くそが悪くなる。動画を消そうと思ったら、おじさんのインタビューが始まる。おじさんの背後にそびえたつ、一等地に三階建のビル。インタビュアーは「すごいですね」とうそぶく。「どうやったら、こんなビル建てるくらい儲かりますか?」と質問する。
「そんなもん簡単だよ。寝ないことだよ! おれはこんなもん、建てたくてやってるんじゃねえ! 美味しいラーメンを、みんなに食べてもらうためにやってんだ!」
 真昼間。おじさんは軽トラの荷台で仰向け。二の腕で目を伏せて、仰向けで爆睡している。おじさんは誰にも見られてない場所で休む。その後も、おじさんは誰かれ構わず怒鳴り散らす。なんだかおじさんを痛快に感じてきた。まあ、他者に攻撃的なのは良くはないとは思う。だけど、それをも越えた魅力をおじさんに感じた。昭和という時代には、こんな豪快に自分の思うままに生きた人が、たくさんいた。
 ぼくはこのおじさんと、ある人を重ねて見ていた。

 Kさんは死んだ。通夜の会場。だだっ広い駐車場には車でいっぱいだ。ぼくたちは少し遅れて着いた。警備員は「いっぱいだから、無理です」と白い息を吐きなが言った。父は強引に駐車場に突っ込む。隅に駐車スペースではないが、車が一台止められそうなところがあったので止めた。「そこは……」と警備員が言ったが、ぼくたちの剣幕に言い返せるほどの理由もなく「どうぞ!」と大きな式場に手をかざした。真っ暗な駐車場。会場からの明かりに吸い寄せられる。会場は芸能人の通夜? ってほど、参列者で溢れかえっていた。
 翌日は葬儀。坊さんの間の抜けたお経。こんなもんで、死者は成仏できないだろう。ぼくは不謹慎かも知れないが強くそう思ってしまった。
 喪主はKさんの息子のSくんがやった。最後の挨拶。何千人もの人が見守る。ぼくは昨日の通夜からずっと居心地が悪い。ぼくはKさんと、仲がいいといえる関係は築けなかった。Kさんは死んだ。遺影は笑っている。SくんとKさんも対話しているところを見たことがない。

 「わたしにとって父は、一言でいうと恐い存在でした。とにかく何時も怒っています。理由はわかりません。ときには暴力を振るわれることもあります。母は怒鳴られていました。出かけても、店員さんやそこら中の人に激昂する。わたしは父に怒られないようにするには、どうしたらいいか? そればかりを考えて、びくびくと生活していました。行動する基準は怒られないかどうかです。友だちの家に遊びに行くと、その子たちのお父さんはみんな優しかった。わたしはいいなあ、何で自分のお父さんは……。と嘆くばかりでした。父はとにかく他者に厳しかった。とはいえ、自分に厳しいかといえば、そうでもないのです。結構、だらしないです。自分には甘すぎるんです。わたしは、ずっと何故なのか考えました。答えは見つかりませんでした。
 でも……。なんかわからんのですが、めちゃ人に好かれるですよね。通りががりの草野球の試合に混ざったり。相手チームも引き連れて、家で大宴会をしたり。取引先や、工場の近所の人たち、父に怒られても怒られても会いに来るんですよ。理由はやっぱりわかりません。ですが、今日会場に訪れてくれた皆さんの顔を見てると、少しだけわかる気がします。ときおり父が見せる、底抜けに明るい少年のような笑顔を思い出します」
 Sくんの言葉が一瞬つまる。目には涙が溢れている。
「今はKの息子に生まれてよかったと心底に思っています。皆さんありがとうございました」

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 Kさんは棺から抜け出して、スーとSくんの背後から抜けた。それから天井を抜けて空へと消えて行った。ぼくにはそう感じた。この世界は、わかりっこないことだらけだ。Sくんは決して理解しえぬものを肯定した。父の存在の全てを。ぼくは彼の言葉に目頭が熱くなった。

 Kさんと初めて会ったときのことを思い出している。その日は元旦だった。駅から着なれないスーツで歩いた。駅前のビル風は、スーツの中の皮膚にまで吹き抜ける。舗装されたばかりの綺麗なアスファルト。髭を剃りたての顎に、カミソリを失敗した血痕が残っている。
 ミワコちゃんの友人からも、何度かKさんのことは聞かされていた。
 「とにかく強烈やで……」
 ぼくは緊張して新幹線で何度も嗚咽を繰り返していた。きっと、ミワコちゃんのお父さんとも仲良くなれる。緊張まじりで自分に何度も言い聞かせた。
 Kさんはぼくたちを迎え入れた。玄関に立っている。頬はピンク色。顔の輪郭は赤ちゃんのように、丸っこい。コロコロしたダルマさんのような体型。耳はえべっさんのように大きい。
 「どうも! いらっしゃい!」
 底抜けに明るい笑顔だった。小躍りするように廊下を歩く。Kさんのひょうきんな風貌や仕草に、ぼくは何だか拍子抜けした。恐いと聞いていたから。こんな面白そうな人ならすぐに仲良くなれそうだ。ぼくが作家活動をしていると言うと。
「作家は変人じゃないといかん! お前はただの普通の奴や! 話してても全く面白くない! 酒も飲めん奴に、何を書くことがあるんや!」
 これか……。いきなりKさん節が始まった。ぼくは、にこやかに合図を打つのがやっとだった。緊張して上手く話すことも出来ない。作家活動をしながらバイトしていたことが気に食わなかったらしく「二足のわらじで、何ができる!」と痛烈に批判された。突かれると痛いとこばかり。飲めない酒を飲まされる。これでもか! と言わんばかり。ぼくの当時ダメだったところを全て指摘された。箸の持ち方。食事の礼儀作法。すぐに指示に従うと「お前には自分の意思がないんか!」と責め立てられる。
 Kさんは流し込むように酒を飲み。延々喋りつづける。眠くなったらコタツで眠り大いびき。夢のなかでも元気。寝言で多分ぼくたち? の文句をごにょごにょと、つぶやてから大きく寝返りを打つ。大声で叫ぶこともある。こちらはKさんが寝ていても落ち着く暇はない。とにかくKさんが衝撃すぎて、ミワコちゃんのお母さんや兄弟がどんなだったとか、ちょっと憶えていない。ミワコちゃんの弟SくんやJくんは「だいちゃん、すごいと思うは、怒らずに最後まで聞けて。俺が彼女の家に挨拶しに行って、あんな親やったら絶対無理やわ」と言ってくれた。彼らの優しさに救われたのを憶えている。とにかく散々な結果だった。
 ミワコちゃんと結婚できるかなあ。ぼくたちは絶望的な気分で、Kさんの家を後にした。

 ぼくとミワコちゃんの両親が、顔合わせすることになった。初対面のことを思い出すと嫌な予感しかない。ぼくたちはKさんがこのまま怒りつづけるのであれば「もう結婚しません」と告げるつもりだった。
 Kさんが、ぼくの両親と会った瞬間、犬がシッポを振って寄ってくるような感じ。ワンワンと懐いてくる。ぼくの父が何を話しても「さすが! ヒロシさん! 大ちゃんお父さんを見習えよ!」と父を褒めた。予想を反して両親の顔合わせは、楽しい時間で終わった。Kさんの行動はいつもこちらの予想を裏切る。意図的なのか無意識なのかはわからない。Kさんのイメージが一定の場所にとどまることはない。

 ぼくたちは結婚して、東京から因島へ引っ越した。ときおり、ミワコちゃんの実家に顔を出す。あんまり行きたくはなかった。飲めない酒を飲まされ説教を食らうのは辛すぎる。
 「どうすんねん! お前はどうやって生きてくねん!」
 キンキンに冷えた透明のコップ。Kさんは黒ラベルの瓶ビールを注いだ。今から七年ほど前。ぼくに作家活動での収入はほとんどない。Kさんには選択肢がいつも一つしかない。 
 「作家で食えるようになれ!」
 これだけだ。ぼくは、白でも黒でもないもっと滑らかなグレーもある気がしていた。たとえば本はあんまり売れてないけど、できる範囲で自給自足して生活するとか。生活のコストを抑えて、やりたいことをやって豊かに暮らすこともできる。Kさんは自分と違う考えを頑なに否定する訳ではない。相手から引き出したいのは、Kさんが感じることができる強度だ。行動や考えに個体としての強さや深度があるのかを問いたてる。人間を試している気がする。
「じゃあ、お前はここに蜜柑の木が一本あったとしたら、どう育てるんや?」
 ぼくが正直に自分が掴みかけていた、世界の感触を語った。
 「何にもしません。育てません。木は自分の力で、自由に育ちます。ぼくは見守るだけです。それから豊かな実りをありがたくいただきます」
 Kさんは「よっしゃ! 正解やな!」とビールを一気に流し込んだ。あまりに勢いよく飲んだので、お尻を滑らせて椅子ごと床にこけた。
 「お前は坂本竜馬になれ!」
 と腰を抑えて床から起き上がりながら、叫んだ。ぼくは意味はわからないがやってみます、と勢いで答えた。
「作家はなあ、狂ってないといかん! お前に足りんのは狂気や。狂って世界を変えろ! 人に合わせるなよ、自分を生きろ!」
 ぼくは「はい!」と答えた。Kさんとの会話が楽しくなっていた。Kさんから受けた影響は計り知れない。
 
 旅行先のホテルのレストランで、見知らぬ観光客たちと盛り上がって、全員に酒とご飯を奢る。Kさんは豪快な昭和のおじさん。めっちゃわがまま。亭主関白。彼らは時代に自由を許された。まるで赤ちゃんのように、中心が自分自身にあった。ひとむかし前の社会には、彼らのような豪快な人たちが出入りできる、許容や揺らぎがあった。
 ある日。夕飯を食べ終わると「よし行くぞ!」と言って、夜の道を歩いた。Kさんとその妻のZさん、娘のミワコちゃん、ぼくの四人。住宅街の一本道。鈴虫が鳴いている。蛍光灯の光。夜のグランド。道路を挟んで向かいに、お店の看板。ピンク色に道路を照らす。夜空に星はない。変わりに、街の灯は星屑のように光っている。木製の重たいドアを開けて、お店の中に入る。ステージがある。だだっ広い。おじさんおばさんたちで店内はむせ返っている。古くさくも煌びやかな照明。カラオケのチープな伴奏。エコーの深くかかった歌がスピーカーから響く。酒を酌み交わす大きな声。黒髪でカツラのようなパーマのママが、お手拭きを持ってくる。ぼくたちは席に着いた。
「ツマミ適当に持って来て! あと三橋美智也の『赤い夕陽のふるさと』お願い」
 ママは伝票に書き込む。ステージでマイクを握る人たち。一曲終わると、次の人へ。誰も特にステージを見るでもなく、テーブルごとに大声で雑談している。Kさんがステージに上がった。
「どーも、どーも!」
 歌声が響いた瞬間。雑談していた人たちもステージを観る。けっして歌が上手い訳ではない。何故か心地よい。しゃがれた太い声。赤と青の照明。カラオケの伴奏に合わせた映像が、テレビモニターに映し出される。どこかで見たチープな夕暮れの風景。歌声と絡み合って、新たな心象風景が浮かぶ。沈みかかる太陽。赤に近いオレンジ。赤とんぼの影。蚊に噛まれた皮膚。体のなかに血が流れる。息を吸う。小川のせせらぎ。風が吹いた。太陽が沈む。Kさんの歌を聴くと、懐かしいような、それでいてまったく知らない風景に包まれる。歌い終わると拍手が起こる。
「よっしゃ! ここにいる全員に、わしが奢ったる!」
 Zさんに上着の裾を引っ張られて、ステージから引きずり降ろされた。

「やっぱりなあ! 世の中、金やろ! お前のやってることは全部間違ってる!」
 拳を強く握り机をドンと叩いた。Kさんからの問いは突然始まる。
 ぼくは怒った。ぼくはKさんから品定めされるために、生きている訳ではない。もっともっと自由になりたいから、創りつづけているんだ。お金のためでもない。Kさんが自分よりも若造に噛み付かれたのは、初めてだったのかも知れない。Kさんは少しだけ怯んだ。
「お前のやりたいようにやれ」そのあと、和やかにKさんと話した。Kさんたちが人生で振舞った自由さ。それとぼくは同じように踊れない。まったく違うヘンテコな踊りで、気ままに生きるだけだ。
 翌日になると、コロッと態度が戻っていた。
 「やっぱり世の中金じゃ!」
 瓶ビールの入ったケースをドンとぼくの胸に押し当てた。
 「お前が運べ!」
 それからは、以前にも増して攻撃的になった。ぼくたちはどうしようもなくなって、実家から逃げた。

 Kさんは豪快な人だ。しつこい銀行の営業マンに、包丁をチラつかせ「もう来るな!」と机に突きさして凄んだこともある。311のときも地震後、すぐに車を走らせて支援に行った。お店の店主を気に入ると並ぶ商品全部を買う。遊び場がない子どもたちのために、一億かけて公園をつくった。困った人に、数千万単位のお金を貸して返ってこなかったことも多々ある。Kさんは後悔や返せなかった人たちに文句を言ったことはない。

「どうぞわしを使ってください」これもKさんの口癖だ。「なんでお前はわしをもっと利用しないんや? やる気あることにはなんぼでも金ならやるぞ」

 ぼくは何度も言われた。結局、Kさんに頼ったことはなかったけど、心の支えにはなっていた。もし、一文なしになってKさんがいれば大丈夫だ。

 「使命を持って生きろ!」
 口癖だった。Kさんの会社が地域に与えた経済効果も測り知れない。誰かに渡したエネルギーは帰ってくる。ぼくの目の前に百万円をドンと置かれて自由に使えと言ってくれたこともあった。
 「わしは独立したのは、四十歳のときや! お前も遅くはない! 流れは自分でつくれ!」
 きっと期待してくれていたのだと思う。
 それからKさんは社長の座を退いて、Sくんに引導を渡した。もう七○歳。なんと新しい事業を始めた。数億で物件を買って、ビルを改装した。総工費は数十億くらい? 料亭のある旅館を運営し始めた。やっぱりKさんは元気だよなあ。もう老年に差し掛かっているのに新しいこと始めるなんて。
 ところが事業は上手くいかなかった。Kさんは「あの旅館は嫌いや。行きたくない」と言い出した。結局、一年ほどで旅館は閉めた。
 
 Kさんとの対話を思い出す。
 「お金をな……たくさん持ったらどうなるか分かるか?」
 ぼくは「持ったことないので、わかりません」と答えた。
 「わしはなぁ。怖いんや。失うのが怖い」
 ぼくは「じゃあ、やっぱりお金のために生きたくないです」と言いかけて辞めた。
 「お前は、好きなように生きろ。わしはもう何も言わん」
 それから、まさか本当に何も言えなくなるとは思わなった。この日がKさんとの最後のまともな対話となった。
 
 Kさんは脳梗塞で倒れた。車椅子で入院する生活。お見舞いに行っても、頷くだけで喋ることはない。二年ほどそんな生活がつづく。
 深夜にZさんからミワコちゃんに電話が。Kさんは危篤だと言う。ぼくたちは翌日、車を走らせた。何とか一命を取り留めた。お見舞いに行ったけど寝ていて話せなかった。因島に帰る前に、もう一度だけお見舞いに行った。ミワコちゃんがKさんの手を握る。病室の窓は広い。大阪の街を一望できた。無限に広がるビル群。自転車を走らせる子どもたち。カラスはビルの上を舞っている。ミントブルーの大空には雲一つない。
 「ありがとう」
 ミワコちゃんの手を強く引き寄せてKさんはそう言った。娘のゆもちゃんがKさんの手を取る。
「ゆもちゃん、ありがとう」
 ゆもちゃんの隣にあったぼくの手を取り、たぶん今のKさんが出せる最大限に大きな声で言った。病室の空気は、パチンと弾けて揺れた。
 「ありがとう! 大ちゃん!」
 Zさんは驚いている。Kさんが、誰かに感謝しているところを、初めて見たそうだ。
 
 それから、一ヶ月あまり。Kさんは死んだ。葬儀が終わったとき。Zさんが喪服を着替えながら言った。
「お父さん、大ちゃんにありがとう! って言ったとき。わかってたんちゃうかな。もう自分が死んでしまうことな。お父さんは最後に、何かを肯定したかったんちゃうかな。やっぱり頭ごなしに否定するの楽しくないもん。お父さんは、大ちゃんだけじゃなく、自分をふくめた世界そのものを肯定したんやと思うわ」
 棺の中には、ビニールに包まれた黒ラベルのビールも入れられた。式場から棺は手で持って運ばれる。火葬場は目の前にあった。ゆもちゃんが「燃えたら、おじいちゃんはどうなるん?」何度も訊く。ゆもちゃんと外に出て火葬場の外から空を眺めた。火葬場から出た煙は、空に舞い上がって消えた。消えたはずなのになくならないものがある。それが何なのか。ぼくにもゆもちゃんにもわからない。
 家族や近しい親族と、骨を拾った。Sくんは「このうるさい口がなかったら困るやろう」と顎の骨を骨壷に入れた。
 
 お父さんが生きていたら、いまのぼくにどんな問いを発するだろう。雲が空に消えて、何かに変容した。コップにビールが注がれる。お父さんの姿が浮かぶ。四十九日。Kさんはほんとにいないのかな。気配はまだまだある。遺影は笑っている。ぼくには怒っているようにも見える。ゆもちゃんの従兄のAくんが、悪さをして怒られた。Aくんはおじいちゃんの遺影に走り写真を覗いて「おじいちゃん怒ってないよ」と笑う。
 Kさんの遺品の寝間着をもらった。まだ新しいのに、Kさんの匂いがする。甘くて酸味のある香り。ミワコちゃんとゆもちゃんの匂いに似ている。似ているが、もっともっと濃い匂い。Kさんは死んでもまだ生きている。生を全うした者は死んでからも、さらに勢いを増して動く。Kさんの寝間着を着ると、ぼくの匂いと混ざる。
 ぼくに「お前は箸の使い方が悪い!」とお店で怒鳴ったあとに、酔っぱらって千鳥足で歩道橋を渡る。歩道橋の上でおしっこが我慢できなくなって「地球は全部トイレじゃ!」と言ってその場でおしっこを垂れ流した。おしっこの水は透明で、雨のように路面に降った。野球のつもりでKさんと試合をしていると急に、サッカーのルールになったりする。無限の自由。生き方に形はない。Kさんは生きた。生き切った。怒りたいだけ怒った。泣きたいときは泣いた。大声で笑った。腹が減ったら飯を食った。飲みたいだけ、浴びるようにビールを飲んだ。

 ミワコちゃんが生前のKさんを想い出す。
「わしは鳥を全員知っとるんや。全部ツレや。わしが呼んだら歌いに来るし、返事するんや」
 住宅街にいるはずもない、綺麗な青い鳥がときたまベランダに来た。
「あいつらは熟れた柿が大好物や。ほら見てみい、ここに置いたら鳥たちが来るやろ」
 Kさんはさえずりのモノマネも上手かった。まるで本物の鳥が鳴いているみたいだったそうだ。

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 アトリエの窓から空を見上げる。ウグイスは下手くそに鳴いている。ほーほへ。森には無数の鳥たち。ちよちよ。ききき。山のリヴァーブに鳴き声は広がる。Kさんと最後に会ったあの日より、空はさらに深いミントブルーだ。Kさんの声は、まだぼくの内や外で鳴っている。人間と人間の関係は死をもって終わりではない。夕暮れの空には歌声が響いている。 

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