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なぜ「君の名は。」は"なんかいい"映画なのか。

まずはじめに良心的な僕から一言お伝えしておくが、今から書くことは映画の批評でもなんでもない。言ってみれば僕の極めて個人的なメモのようなものである。そして、これは僕の以前の投稿となる「最近のロボットはつまらない」という各所で話題沸騰中の爆裂おもしろい記事を読んでいただけた方はお分かりだと思うのだが、文章が長い。まー、長い。松木安太郎が解説してるときにありがちな日本代表のアディショナルタイムよりも長い。スキマ時間でサクっと読める短い記事や投稿でバンバンシェアを狙うのが通例のこのご時世の逆を行く、時代錯誤甚だしい見事な駄文である。個人的には先ほど書いた通りメモ書きや日記的な位置づけなのでまぁよしとするが、興味本位でこの記事にたどり着いてしまった人は、ある種の覚悟を念頭に読み進めた方がいい。

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いきなり話は大きく変わってしまうのだが、僕は現在、広告の学校のようなところに通っている。あまりこの投稿の趣旨には関係がないので詳細は割愛させていただくが、そこでは業界の著名クリエイティブディレクターの方々が週替わりでクリエイティブの作り方・考え方について講義をされる。その訓示の中には、当たり前だが、ほとんどの講師が共通して「これは大切だ」と語ることもあれば、人によって考え方が異なるものもある。そんな中、多くの講師が口を揃えておっしゃることの1つに、「なんかいいよね」という考え方を(クリエイティブや、そうでなくてもいわゆる企画系の仕事をしていきたいのであれば)やめなさい、というものがある。要するに、自分が"なんかいい"と感じたモノ、コトに対して、なぜそれが"いい"と感じたのか、その理由をしっかり考える癖をつけなさい、ということだ。企画やクリエイティブ(特にマーケティングや広告に関わるもの)の仕事というのは、最終的には人の心に訴え、人を動かすことを目的としている。ありとあらゆるクリエイティブには多かれ少なかれそのための戦略が背景にあるわけであり、物事を表面だけで消費せず、その裏側に隠された"なんかいい"と思わせるための戦略までしっかり感じ取ることが、自分がいざ発信する側の立場になった際のアウトプットの質を大きく左右する、というものだ。まったくもって異論はない。

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確かに、どちらかというとそういう視点を持って生活しているほうだと思う反面、いざ具体的に実践してみると案外難しいのも事実であり、僕は一歩踏み込んだ分析の練習を行なう上での格好の"なんかいい"事例探しに躍起になっていた。そんななか出会ったのが「君の名は。」である。

興行収入100億円超えの大ヒット映画なのでこちらも詳細は割愛するが、まさにこの映画、絶好の「なんかいいよな」映画なのである。シンプルで細かいことは気にするな的なストーリーながら、巧みな構成で物語が展開していくその流れに、見終わった後の若者たちから口を衝いて出るのは、「なんか良かった〜! 感動した〜!」という曖昧模糊とした感想。いったいこの現象は何なのか。

そんなこんなで、この「なんかいいよな」を真面目に分析してみる取り組みの記念すべき初回として、この題材を取り上げてみることに決め、その結果、《なぜ「君の名は。」は"なんかいい"映画なのか。》というタイトルに至った、というわけだ。

では早速、「君の名は。」が"なんかいい"理由を紐解いていきたいのだが、いくつか先に断っておかなければいけないことがある。まず一番大きいこととして、これから列挙する内容は、僕の個人的主観に基づくものだということだ。なのでどれが正解、というものではないし、私はそうは思わない、ということも大いにありうる。あくまでここで大切なのは、自分自身があの映画を見てどう感じたのか、なぜ"なんかいい"と思ったのかを自分に問いただしながら改めて整理・理解を試みることなので、そこはご注意いただきたい。

さらにその特性上、皆さんに読みながら楽しんでもらう、といったようなことは二の次なので、超絶おもしろい故に記事のシェアが1,000を超えた前回の投稿に比べれば、やや単調で落ち着いた内容になっている。

また、極力ネタバレ的な要素は控えたつもりではあるが、やはり映画の内容を振り返って"なんかよかった"箇所を挙げていく、という試みである以上、避けては通れない部分もある。したがって、今後この映画を観ることを楽しみにしている方は、自身の判断で読み進めてほしい。

そしてもう1つが、ヒットはいくら作品そのものが良くても生まれるものとは限らない、ということだ。ヒットを生む映画の理由には、作品そのもののクオリティー以外の要因、例えば各種メディアでのプロモーションやPRの戦略、監督や出演俳優の固定ファンなども大きく影響する。特に今回の「君の名は。」は、プロデューサーが日本屈指のヒットメーカー・川村元気氏ということもあり、このあたりも非常に巧みに行われている。ヒットの理由として、作品そのものではない要因も非常に大きいところがあるが、今回この場ではあくまで作品の中身に絞った"なんかいい"理由探しにとどめさせていただきたい。

では、その前提のもとで、思いつくがままに「君の名は。」が"なんかいい"と感じた個人的理由を挙げていきたいと思う。

1. 映像美

彗星があんなに綺麗なわけない、以上! と言ってしまえばそれに尽きるのだが、とにかく映像が美しい。アニメで表現できる限界までこだわったかのようなその映像は、観ていて単純に気持ちがいい。綺麗な映像、綺麗な景色は人を無条件に幸福な気分にさせてくれる。当たり前のような話だが、そこにあのレベルまでこだわってものづくりができるのは本当に素晴らしいと思う。東京の実写との映像比較がテレビで行われていたが、わざと実写の3割増しくらいに美しく見えるよう描かれていたのが印象的だった。

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2. 映像演出

1の映像美をより際立たせる技法と捉えることもできるが、グッと視野を振る演出や、タイムラプス映像のような演出など、要所要所で映像の演出が凝られており、絵の迫力が増している。また、次で挙げる劇中歌に合わせた演出も多用されており、まるでミュージックビデオを見ているかのような爽快感も生んでいる。

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3. 音楽

これも多くのメディアで取り上げられているが、やはり音楽を担当したRADWIMPSによる楽曲群のクオリティーや、歌詞の親和性を生かしたその使い方、使いドコロが素晴らしい。人気バンドが数多くいる中でのRADWIMPSというチョイスも絶妙である。また、主題歌および劇中歌の4曲以外のBGMもすべて担当していることで、世界観も本編を通じて一貫されたものになっている。やはり、いい映画にはいい音楽がつきものだ。久石譲の音楽がジブリ映画やキタノ映画に欠かせない理由である。

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4. リアリティー

これは1の映像美にも通じる話だが、街の描写にはリアリティーへのこだわりが感じられ、「あっ、ここ知ってる! あー、ここ、あそこじゃん!」的な楽しさが随所に訪れる。架空の世界ではなく、徹底してリアルな街を舞台にすることで、観る側の共感をうまく刺激しているのだ。「シン・ゴジラ」などもまさにそうで、「うわぁ、あそこ破壊されてる〜!」「私の家のあたりも壊されちゃうのかな?」と楽しみながらご覧になられた方もたくさんいるはずだ。また、このリアリティーによって、聖地巡礼といったこれまで見られた現象もさらに拍車がかかっているように思われる。

同様に小道具もリアリティーが高く、スマホを介したメモや文章のやりとりなども、そのリアルな描写が徹底されており、このあたりは岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」に登場する架空のSNS「Planet」でも同じような効果が見て取れる。

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5. 声優陣のリアルな演技

音楽同様、これもいくつかのメディアで取り上げられていたが、主人公2人の声の演技がとても素晴らしい。男女の体が入れ替わるという難しい役柄ながら、"っぽさ"がうまく表現されており、声だけで中身が今どちらなのかが瞬時に判別できる。これも、違和感なくストーリーを楽しめる大きな要因だと思う。個人的には、それらに加えて奥寺先輩役の長澤まさみの声の絶妙な色っぽさがとても良かった。

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6. 視点の両面性

1つの物事を両面の視点で捉える技法の楽しさがうまく使われた映画のように感じた。男女それぞれからの視点はもちろんのこと、特に印象的だったのは、一番の盛り上がりを見せる終盤のシーンにかけての、彗星の"行方"を知っている主人公たちと、そうでない天体観測やお祭りムードのその他大勢との心情の対比である。片方の視点しか持ち得ない日常生活においては無い、複数の視点から俯瞰的に物語を捉えられるある種の超越感が、物語のラストスパートをより盛り上げているように感じた。最近観た「怒り」という映画においても、普段我々が立っている「容疑者の指名手配を行なう者」側の視点と、普段気にも留めない「指名手配犯と思われる人間に遭遇した者」側の視点が混じり合い、観るものの感情を強く刺激するストーリーが印象強かった。

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7. 都会と田舎の対比

2人の主人公が暮らす場所は見事に都会と田舎の対比となっており、とりわけ都会暮らしに辟易とした感情を多少なりとも持った人間にとっては、田舎のシーンはまるで「となりのトトロ」や「サマーウォーズ」の舞台のようにみずみずしく映ったことだろう。昨今の移住ブームにもうまく合わせたオアシス性が、観る側の深層心理を刺激していたように感じる。

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8. フェティシズムの表現

男女の体が入れ替わる、という設定はもちろんだが、入れ替わった主人公が自分の胸を揉みしだいたり、口噛み酒という"特殊な製法"のお酒を飲み交わしたりと、微エロやフェティシズムと捉えられかねない表現が登場するのだが、胸を揉むというシーンは終盤になるにつれ見事に笑いに転化されていくし、口噛み酒も神聖かつ物語の進行のカギを握るものとして絶妙な線でストーリーに落とし込まれている。観る側の感情を刺激しつつも色濃く映らないその表現の持っていきかたはとてもうまいように思えた。

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9. 自然災害の絶望感

物語のキーとなるのが、"ある自然災害"なのだが、それが起こったときのやりようのない絶望感は、我々が2011年の悲劇を直に経験したからこその感覚だと思う。ある災害が起きたことによる現地の惨状、報道、被災地から遠く離れた地域のなんとも言えない他人事感、記憶の風化、そういったものを実際に生々しく経験したからこそ、物語後半の主人公の気持ちに共感でき、瞬く間に引き込まれていったのだと思う。

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10. テンポの良さと上映時間のちょうどよさ

いわゆる"アニメっぽい"オープニングに始まり、4曲もの主題歌がバランス良く配置されることでメリハリが生まれており、作品全体のテンポがすごく心地よく感じた。また、冒頭に書いたことにも繋がるが、最近はなんでもかんでも「手短にサクっと」がもてはやされるなか、新海誠監督もそのあたりは意識されていたようで、最初の段階では合計116分あった脚本を大幅に削って縮めたという。今の若い人にとって娯楽は映画に限らないので、映画館にいる時間は極力短い方がいいと感じていた、という理由だそうだ。だからこそ作品に不必要な気だるさや中だるみがなくなり、ライトにまとまりつつ見どころは盛りだくさんな印象になることで、またもう一度観に来ようかな、という、複数回視聴ニーズにもつながっているように感じた。

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11. アニメ映画としてのキャズム越え

これは"なんかいい"と感じた理由というよりは、ヒットした理由に近い。鬱映画好きな自分としては少し腑に落ちない部分でもあるのだが、終盤の"手に書き残した文字"であったり、細かいことは置いといてとりあえずハッピーエンドとなるストーリーであったりが、リア充層(一般若年層)の取り込みにつながり、これまで宮崎駿監督や細田守監督作品にとどまっていた一般層向けアニメ映画の表現の領域を一気に押し広げたのではないだろうか。また、宮崎駿監督が第一線から離れたことで生まれていた、世の中のポストジブリ映画への渇望感に見事に応える作品であったことも、大きな流れを生んだ一因かもしれない。

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さて、以上が僕が「君の名は。」を観て、"なんかいい"と感じた主な理由である。結論としては、映像や音楽、声の表現、演出に徹底したこだわりがあり、視点の両面性を持ち合わせ、都会暮らしの人間にはたまらない田舎のシズル感や、作品を邪魔しない程度のフェティシズムがあり、過去の強烈な実体験やリアルな日常を思い起こさせる共感要素も多く、テンポ良く、長すぎない上映時間に具材をこれでもかと詰め込み、世の中の渇望感に応えている映画は、僕が観たときに"なんかいい"と感じる、ということになる。いや、そりゃそうだろ、とも思いはするが、だからこそのこの大ヒットと考えれば納得もできるところだ。

冒頭に書いた通り、これはあくまで個人的な感想であり、"なんかいい"と感じた理由を書き出してみるという行為そのものに意味がある。実際やってみると案外楽しく、「まぁ、そうだよね」という前半の理由から、徐々に後半にかけて理由を絞り出していくにつれ、「あっ、この要素もそうかも!」という、改めて振り返らなければ気づけていなかった部分にも気づかされたのがとてもいい経験になった。やはり、それくらい真面目に向き合ってみないと隠れた理由にまではたどり着けない、ということだ。当たり前だが、今後毎度このように文章化するのも骨が折れるので、徐々に頭の中で整理・分析できるよう、この習慣を続けていければと思う。

ちなみに、別のライターの方が書かれたこちらの記事も、全く別の視点から僕なんかよりはるかに深く(斜に構えた視点から?)この映画を分析されていておもしろかったので、もし興味がある方はぜひご覧いただければと思う。

最後に、今回はじめて自分が考える"なんかいい"理由を書き出してみたわけだが、他の人はどんなポイントを"いい"理由として挙げるのか、いろいろ聞いてみたくなった。自分では気づけなかった"いい"ポイント、あるいは自分とは違う視点での"いい"ポイントを知ることも、クリエイティブの裏側を見る目を養う意味においてはとても大切なことのように感じる。

あぁ、なんかこんなことをつらつらと書いていたら、また「君の名は。」を観たくなってきたなぁ。

<このnoteを書いた人>
Daiki Kanayama(Twitter @Daiki_Kanayama
1988年生。大阪大学経済学部を卒業。在学中にインド・ムンバイ現地企業でのマーケティングを経験。ソフトバンクに新卒入社後、孫社長直下の新事業部門に配属。電力事業や海外事業戦略など、様々な新規事業の企画、事業推進に従事。創業メンバーとしてロボット事業の立ち上げを経験後、専任となりマーケティング全般を担当。2017年、プランナー兼コピーライターとして、活躍の舞台をブランディングを軸としたクリエイティブエージェンシー AMD ltd. に移し、CSVやSDGsに絡んだ新規事業、新商品サービスの企画、自社事業となるSOCIAL OUT TOKYOなどを担当。2020年、ビジネスインベンションファーム I&CO にエンゲージメントマネージャーとして参画。

受賞・入賞歴に、Clio Advertising Awards、Young Cannes Lions / Spikes、Metro Ad Creative Award、朝日広告賞など。


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