一日が過ぎるのが早いと感じ始めたら、それはきっと日常に慣れ始めた証拠。予測不能な日々はそれほど早く過ぎていかない。予測不能であると予測することで発揮されるレジリエンス。エビデンスは無い。

今の仕事に就いて8年目になる。

大学で教えるようになって8回目の四月だし、8回目の七月だ。

これまでならば、「もう七月?!」と驚いていたところだが、今年は少し事情が違う。

長い。

もちろん物理的な意味では8回目の三ヶ月も1回目の三ヶ月も変わらないだろう。でも、体感時間は随分長く感じている。

その理由について、勝手に考えてみた。エビデンスは例によって無い。

誰でも、楽しい時間は短く、苦しい時間はなかなか進まないという感覚を持ったことはあるはずだ。地球の自転速度に変化が無いのだから物理的な状況は変わっていないはずなのに、体感時間が違うのはおそらく精神的な状況に因るのだろう。

脳や身体へのストレスのかかり具合で体感時間は変わってくるようだ。

これは本当に勝手な憶測だが、体感時間がストレスによって変わるのは、脳が働く度合いによるのではないかと思っている。

ストレスが強い場合、脳みそはそのストレスに対処するため頑張って働かないといけない。すると、意識は常に集中しなければならず、覚醒の度合いが強くなるんじゃなかろうか。

その状況に耐えられなくなり、集中を諦めてしまうと、強烈な眠気がやってくる。それが退屈な授業で安らかに眠る学生が大量発生する理由だ(エビデンスは無い)。

しかし、日々の生活や仕事など、途中で放棄できないことについては何らか対処しないといけないので、意識は覚醒を続ける。だから、時間も長く感じられる。

逆に、日々の生活がルーティン化して脳にストレスがかからない状態、考えなくても動けるくらいに日々起こることが予測可能になると、脳は徐々に怠けるようになってくる。

四月から新生活が始まり、三ヶ月もすれば大体のことには慣れてきて、知らず知らずのうちに脳は活動を抑制するはずだ(脳はいつだって怠けたがる)。

そんな感じで過ごしているうち、あっという間に半年、一年と経過するという寸法だ。

今年度の三ヶ月が長いのは、引越し、新天地での仕事、コロナによる授業形態の刷新、子育てなどなどが一気に重なり、えげつないストレスがかかっている結果ではないかと思う。それだけ、今までに対処したことがない、だから予測不可能な日常に対して脳みそと身体が頑張っている証なのだ。

でも、そんなストレスですら人の脳と身体の適応能力は凄まじいものがあり、早くもこのてんやわんや自体を、「今日も明日もてんやわんやなんでしょ?」っていう感じで予測可能なものにしたがっているようだ。

ここに来て、一日が短く感じるようになってきた。

日々予測不能なイベントが起こる、と予測することができるようになったことで、確かにメンタルはだいぶ楽になっている気がする。

明日も明後日もイベント自体は予測可能ではないが、自分がジェットコースターに乗っているんだということを知っていれば、「とりあえず振り落とされないようにする必要がある」という対策は取れる。

環境自体にはあまり変化は無いが、少なくとも環境が見えるようにはなっていて、日々が短く感じられるようになってきたのは、僕のレジリエンスが発揮されてる証拠なのかどうなのか。

エビデンスは無い。

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