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世紀末のロマン主義者~ジュゼッペ・シノーポリ

ジュゼッペ・シノーポリという指揮者をご存知でしょうか。彼はイタリア出身で、20世紀末の音楽界において独自の存在感を示した人物です。彼は精神科医で、作曲家でもあり、電子音楽なども手がけました。彼の演奏は細部にこだわり、自分なりの語り口を持っていましたが、それが好みの分かれるところでもありました。今回は彼の演奏するマーラーの「交響曲第5番」について考えてみたいと思います。

マーラーはオーストリア出身の作曲家で、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍しました。彼は「交響曲」というジャンルを変えてしまいました。音楽は構造的にも内面的にも非常に複雑で特殊になりました。「交響曲第5番」は1901年から1904年にかけて作曲されました。この作品はシノーポリの独自な解釈が際立っていると言えます。

テンポは全体的にゆっくりめで、冒頭のトランペットのソロからリズムに癖が感じられます。彼は細部にこだわり、自分なりの語り口を持っていますが、それが好みの分かれるところでもあります。フォルテの部分ではオーケストラが冷静に爆発するような音を出しますが、それがすぐに消えてモノローグの世界に戻ります。シノーポリは作曲者の意識の流れを追って音楽を進めますが、その足取りは重く、解放されることはありません。ロンドのフィナーレでも基本的には同じで、次の「悲劇的」を予感させます。リズムの舞踏的な側面はほとんどなくなっています。「5番」の1楽章は「葬送『行進曲』」の形をした自我の亡霊がうつろにゆらめきながら立ちつくしていて、その意識の裂け目に、強烈な他者の記憶が重ねられるような感じです。

シノーポリは「西欧の没落」を背負って苦悩します。音楽を自我として解釈し、表現します。爛熟した20世紀末の新ロマン主義者です。心理の深層を直接つかみ出そうとします。現代の表現主義者です。彼が好んで演奏したロマン派の音楽は、こうしたアプローチで拡大される要素を持っています。シノーポリは作曲者の意識に重ねて、自分自身の深層の流れを見つめながら、孤独なパントマイムを演じます。作曲家としてのシノーポリも「新ロマン主義」の流れにいます。「スーヴェニール・ア・ラ・メモアール」やオペラ「ルー・ザロメ」が知られますが、音楽活動の中心に作曲を据えていたとは言えません。また作品自体もマーラーになぞらえるべきかどうか、私はわかりません。

この文章はブログ記事として書いてみました。シノーポリという指揮者について紹介し、彼の演奏スタイルや解釈について分析しました。マーラーの「交響曲第5番」を聴きながら読んでいただけると、より理解が深まると思います。シノーポリは2001年に亡くなりましたが、彼の演奏は今でも聴く価値があると思います。

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