多様性は社会を強くする②
*2023年に下書き、保存していたものを公開します。
■時間通りに運ばない
10月25日も前日に引き続き、Give Something Back to Berlinが主催するイベントに参加してみた。
こちらは毎週開かれる料理教室「Social Cooking」。教室というよりは、用意された複数のレシピをグループに分かれて作るだけのシンプルな催しだ。
午後5時からと聞いていたので時間通りに行ってみたが、やはり誰もいない。私もヨーロッパでの生活経験があるのでわかる。南欧を中心として、いろんな人が時間には緩いのだ。日本とは違う。
「みんなで食材を買いに行っているから待ってて」とホストのボランティアに言われ、部屋の中で待つことになった。
他にも参加希望のロシア人女性が部屋の前で待っていたようだ。定刻を15分ぐらい経ったところで私のところに歩み寄り、声をかけてきた。
女性「ソーシャルキッチンのために来たの?」
私 「そうだよ」
女性「なんでこんな時間になっても誰もいないの?本当にやるの?」
私 「食材を買いに行っていると聞いたから、あと10分ぐらいしたら始まるんじゃないか」
女性は納得したように、元の場所に戻っていった。
午後5時半ごろになり、ようやく参加者とボランティアの計3人が到着した。「さあ、机と椅子を並べましょう」。ボランティアの女性が音頭を取り、みんなで準備にとりかかる。
ところが、ここで問題が発生した。
この日はほぼ同じ時間帯に、同じフロアでギターレッスンも開かれる予定だった。このフロアには大きな部屋と小さな部屋があり、ボランティアの間でどちらがどちらを使うか、という議論が始まったのだ。
「ミーティングで大きな部屋はギターで使うと決めたじゃない」
「ソーシャルクッキングには20人が来るんだ。ギターレッスンにはそんなにたくさん来ないでしょう」
公開で(というか、数人の面前で)のやりとりが1分ほど続いただろうか。最終的に、中年の女性ボランティアが電話で誰かと何やら交渉していたが、結局負けてしまったらしい。ついに、ソーシャルクッキングは小さな部屋を使うことになったのだった。
気づけば、最初に私に声をかけて来たロシア人女性はいなくなっていた。痺れを切らして帰ってしまったのかもしれない。
多民族が集まるこの空間では、ことは時間通りに運ばないのが常だ。
余談だが、ドイツの鉄道は遅れることが多い。「あと何分で到着」という表示すらあてにならず、時間に正確という神話は過去のものとなっているような気がする。実は、この手の表示がロンドンでは正確だったりするから、不思議なものだ。
それにしても、ドイツ人と待ち合わせするとほとんどが指定の時間にやってくる。この点においては、日本人と近いものを感じざるを得ない。
■多国籍料理
この日用意されたレシピは4種類。読んでも全く何の料理かピンとこないが、中東料理のようだった。グループに分かれて作業を始める。
私はインド出身のアキールと一緒にスープを作った。ああだこうだと話しながら、カリフラワーやジャガイモ、玉ねぎを鍋に放り込み、スパイスなどと混ぜて煮込んで全てを溶かしていく。
アキールは金髪の丸刈りが少し伸びたような髪型に、黒縁のメガネをかけている。聞けば参加し始めたのは3ヶ月前。年齢は25歳だ。大学でシステムとコミュニケーションの勉強に励んでいるらしい。8年も在籍しているというのは内緒だが、学費が極端に安いドイツでは割と多いタイプだったりする。
ユーザー同士で会話できるオンラインゲームで日本人と話すことがあるらしく、「ナイスー」という日本の体育会で使われそうな和製英語を面白がって連呼した。なぜか中学のバレー部だかの練習風景が頭に浮かび、思わず一緒に笑った。
アキールは手際良くジャガイモを切り、クミンなどのスパイスを次々と入れていく。レストランでの勤務経験があるというだけある。
ここで、私は自分がいかに食に興味を持ってこなかったかを改めて感じた。スパイスの種類や食材の名前など、わからないことだらけだったのだ。旅をしながら世界中の料理を食べてきたのに、その成り立ちについては全く関心を持ってこなかった…。なんと貧しい感性だろう。
だから今回作った料理の名前もわからない。継続的に参加することで学んでいきたい…。自分の経験値を上げていきたいと思ったのは、せめてもの救いだろうか。
■膨れ上がるグループ
全てが出来上がるとプレートに自分で料理をよそい、各々食べ始める。おかわりも自由。すっかり日本の学校給食の様相を呈していた。
見渡すと、先ほどまではいなかった顔ぶれもいる。食べに来るだけの人たちだった。大きな部屋でギターレッスンを終えた人たち、REFUGIOでドイツ語カフェを終えた人たちも続々と集まり、当初10人ほどだったのが一気に30人ほどに膨れ上がっていた。
多様な光景に改めて感心する。ベルリンの面白いところだ。
私は責任者のリカルダ、異文化交流が好きなだけのドイツ人、IT系の仕事をしているエジプト人たちに囲まれながら、ただただ目の前の食事を堪能した。味を語るボキャブラリーの貧困は、深刻な問題だったかもしれない、などと思いながら。
とにかくこの会は、作って食べて、おしゃべりをする。ただそれだけの空間なのだ。
■三々五々
時計の針が8時を回ったころ、インド人のアキールが「この後、友達と1杯飲むけど行かないか?」と誘ってくれた。家が近いと本当に楽だな、と思いながら快諾した。
友達とは、ギターレッスンに参加していたポーランド人のトミーだった。彼は金色の長髪をなびかせたカート・コバーンのような風貌。サーフィン好きで、ラブアンドピースな性格だ。見事なまでに誰とでも分け隔てなく接する姿勢に心から尊敬する。
3人で隣のバーへと移動した。
この日は偶然にも月に1度のオープンマイクイベントが開かれていた。ビールはヘレスもピルスも1パイントで4ユーロと安い。ロシアのウクライナ侵攻の後、極端に物価が上がるヨーロッパでは特にそう感じたのだった。
バーのステージでは楽器を持ち寄った演者たちがジャムセッションをしていた。酔っ払って床やテーブルをカホン代わりとばかりに叩く者もいる。そんな姿に苦笑しながら、客側も受け入れているようにみえる。ドイツ語と英語が飛び交う空間は、ベルリンならではだ。
そもそも、ベルリンとは何なのか。答えなど持ち合わせていないし、探すべくもない。ただ、もし答えを探していたならば、さらに意味がわからなくなっていたかもしれない、とは思う。
いつだったか、誰かが「ベルリンはアーティストが多いから延々と開いているクラブにも需要があるのだ」と言っていた。「ロンドンも似ていると言われるが、あそこではなんだかんだで月曜から金曜まで働く人が多いから、自制心が働いているのだ」とも。
急にそんな会話を思い出した私は、一緒に入店した2人や店で出会った人たちに別れを告げ、翌日午前1時に差し掛かったタイミングで店を後にしたのだった。
アキールからワッツアップにメッセージが入っていたのは午前3時半だった。「無事に帰ったかい?」
終わらない街、ベルリン。
ベルリンを題材にした小説を読んだ。その名も「Other People's Clothes」。Calla Henkelというアメリカ人作家のデビュー作だった。
私はベルリンという街をもっと知りたかった。でも、わからない。この街は美しい。しかし、観光して景色を眺めて喜ぶのとは違う。ここにいる1人1人が、この街を美しくしていると感じたのは実は初めてのことだった。「多様性は社会を強くする」のかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。わかったようでわからない…のではある。
Other People's Clothesを読んだところで結局、ベルリンという街がわかるわけではない。
でも、そこには答えのような、そうでもないような一節があった。
Every night you miss in Berlin is a night you miss in Berlin.