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性的境界線をハッキリさせる方向へと、世の中は舵を切りました。

男のくせに。女の子なんだから。
今の若者は。大人なのに。

常識という枠組みがあって、逃げた者はフレームアウト認定。多様性は一向に進む気配がなく、何かの枠組みにはめ込まなきゃ落ち着かない人々が散見される。
Z世代といえば「多様性」
多くの人が聞いたことあるであろうこの連想ゲームは、ただの幻想なんじゃないかって、思う。



 教育の分野にしばらく脚をつけていた影響で、理解するとは何かについて理解するために多くの時間を費やしてきました。学生時代は予備校でアルバイトとして働き、分かりやすく説明するために紆余曲折しました。何千回、何万回と質問対応をしていく中で分かった“理解する”のに必要不可欠な要素。
それは「他との違いを認識すること」です。
別の言い方をするならば、何かの枠組みを当てはめて他との境界線をハッキリさせるということでもあります。私は枠組みを当てはめて理解することの威力と大切さを知りました。知ってしまいました。


だからこそ、今、もどかしいんです。

昨今、国会を中心として巻き起こっているLGBTQに関する問題。性とジェンダー問題。
正直、ただ直感に任せるなら、LGBTQなる概念は作らないほうが良いと思うんです。
だってその枠組みに当てはまらない人がまた出てしまうじゃないですか。マイノリティの中のマジョリティが生きやすい社会を創るという点では素敵ですが、その枠組みから外れる人はどうしたって出てきてしまう。
そういう人はますます肩身が狭くなる。
だから、
1番大切なのはLGBTQのようなフレームを作って理解するのではなく、フレームレスに互いを受け入れることなんじゃないかって、境界線を無くすことなんじゃないかって思うんです。

一方で理性に任せるなら、LGBTQという概念は必要かもしれないとも思えてくる。枠組みに当てはめることでマイノリティを多少なりとも理解することはできます。そして理解することは安心することに繋がる。
それは受け入れられやすくなるということです。人は分からないことに恐怖や嫌悪を感じやすいから。人間の心理に対応したLGBTQという仕組みを使ってのラベル付けが選択肢に入ってくるのは妥当かもしれません。
ふと、どこかの本で読んだ言葉を思い出しました。
「構造改革とは外科手術のようなものだ。痛みを伴うが、必ず良くなる。」

世界は、LGBTQへの理解をどんどん推し進めています。きっとそれが正しいのかもしれません。しかし、喉元まできている違和感を、私はまだ言語化できずにいる。もどかしいです。
それに、もしかしたら、理解すらされたくないと思うマイノリティの人たちも少なく無いかもしれません。これ以上に複雑な事を日々考え、決断している政治家や官僚という仕事は凄いなと思います。小学生みたいな感想ですみません。

LGBTQ。
皆さんはこの概念を手放しで歓迎して良いと思いますか。
私にはまだ分かりません。
分からない事ばかりです。
理解することについてあれだけ考えたくせに、
結局『理解』とは程遠い場所にいるような気さえします。みんなで推し進める「多様性」は、どうか目的地に着けますように。

乱暴ですが最後に。
みんな違ってみんなどうでもいい。
どーせみんな、何かで、どこかで、マイノリティの中のマイノリティなんだし。
Twitterで出会った言葉達です。
あ、もうXだったね。

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