150万字綴り終え、改めて亡き友を想う

※自死の話題を含みます。苦手な方はご遠慮ください

 この投稿で今年の元旦からの累積投稿文字数が150万字を超えました。単行本15冊分以上の量なので、我ながらよく書いたなと思います。

 元旦の投稿にもある通り、そもそもnoteを書き始めたのは、大切な友達の自死がきっかけでした。

 コーチングカウンセリングを生業にして20年弱。そんな僕が、数少ない友達の力になれなかったこと。そのショックは思ったよりも大きくて。。。。何も手につかない日が続きました。

 何かをしないと普通でいられない。このままではまずい。。。そう感じた僕は「朝晩読経する代わりに、毎日人の役に立つような文章を書いて公開しよう」と決めたのです。

 そして1日2時間とれば4,000字程度は書けるだろうと皮算用し、それに少し足した年間150万字を書くことを目標にしたのです。

 「年内に150万字の供養碑を建てる」

 そんな決意でスタートし、予定より早い294日目での結願でした。ありがとう

 ※今後はこのまま24年末までに180万字を書いて、一区切りとすることに決めています

決して癒されることのない気持ち

  彼を失ったショックは未だ癒されてはいません。一緒に出かけた場所、入った店、食べたもの。。。。なんでこんなことで、これほどまでに感情が揺れるのだろう。

 そして、それであれば、もっと彼に向き合い話をすれば良かったとの後悔。それをしなかった自分を責める気持ち。

 それでも、毎日書き続けること。それを誰かに読んで貰えること。そのことが、庭の落ち葉掃除のように、心の中に沈んでいこうとする思いの、浄化になっていました。

 彼とだけ、話せたことがあった。彼とだけふざけ合えたことがあった。彼との間にだけ存在したお互いを敬う気持ちがあった。

 それを幸せに感じてきた自分も、彼と一緒にどこかへ消えて、もう戻ってこない。その自分も悲しんでいるし、その自分を失った僕も悲しんでいます。

 本当に人間とは、誰かとの関係の中でしか「自分でいられない」んだな。と痛感します。

 そして、わかった気になっていた自分を顧みて、反省する一年でもありました。たくさんの人の相談に乗ってきて、わかった気になっていたけど、全然わかっていなかったな。これからもそうだろうな。

 それでも、コーチングカウンセリングをしたり、こうやって何かを綴って発信することを続けていくんだろうな。そうやって生きていくんだな、と思います。それが人生か

いつまで時を戻したいか

 コーチングでクライアントにきくことがあります。

 「戻せるなら、いつまで時を戻したい?」
 「そこまで戻せるなら何をする?」

 戻せるなら3年前までは戻したいな。僕はもう、そのときには彼の調子が悪いのを知っていたから。

 彼は僕に相談してこなかったけど、もう一度戻ったら、彼に

 「どうした?顔色良くないよ。俺に嘘はつけないんだから。さぁ、相談して。あなたはなんでも自分でできる人だけどさ、でも相談してよ。友達なんだから」

 というんだ。もちろんそれでも、彼がどこまで相談してくれるか分からない。でも

 「あ、これだ!これが辛かったんだ」

 ってのが明らかになるまで、諦めない。(俺は絶対諦めない。それを自分に証明したくて、毎日睡眠時間を削ってでも文章を書いてるわけです)

 運命論者はいうかもしれない。

 「そんなことしたって、運命には逆らえないんだよ」

 万万が一、そういうこともあるかも知れない。だけど僕たちコーチにはそんなこと関係ないんだ。

 運命なんてものがあるとして、抗えるだけ抗おう。大抵は何とかなるもんだ。

 って僕らは思ってるから。。。。

 それなのに、あの時、僕は動かなかった。

 「なんとかなるだろう」と思っていたから。
 「彼なら自分でなんとかしちゃうだろう」って思っていたから。

 あの時の自分に喝を入れたい

 そうかも知れないけど、違うかも知れないだろ!!!
 なんかあったらどうすんだよ!!!
 違ったら違ったで、笑って済ませろよ!!!
 大好きだから心配しすぎちゃった!とでも言っておけばいい!!
 おい!!!!!!気になるなら、声かけろ!!!
 杞憂に過ぎないかも知れないけど、お前の愛情は伝わるから!!
 愛情を伝えることを恐れるな!!
 ヤツだって不器用なりにお前に愛情を示してくれただろう!!
 だから、お前も不器用でもいいんだよ!!
 不器用で頑張ってる同士だから、通じ合ってたんだろう!!
 今行け!!ヤツは拒絶しない。されたなら、よっぽど弱ってる。
 それなら、なるべく早目にまた行くんだ。それだけだよ!!
 さぁ!!行け!!

懸命に生きている

 僕はコーチカウンセラーをしている。そしてコーチカウンセラーの人たちん相談にも乗っている。少なくとも17年間この仕事をしてきた。関わった相談件数を足していくと2万ケースを超える。

 僕が見てきたのは、懸命に生きている人たちだ。例外なく、人は懸命に生きている。それぞれのスタイルで、それぞれの生存戦略で懸命に生きている。

 粗暴な、投げやりな、無気力な。。。そんな生存戦略で生きるひともいるし、

 快活な、熱心な、愛情深い。。。そんな生存戦略で生きるひともいる。

 僕の目にはそれらは全部懸命なように見える。命を燃やして、生きているように見えるのだ。

 いくつで人生が終わろうと、どんな理由で終えようと、生きている間は命を燃やしている。そう見えるのだ。

 僕が読経の代わりに、noteを綴ることを選択したのは、僕が出会った懸命に生きる人たちのことを紹介したかったからだ。

 「みんな懸命に生きてるな。。でも私だって、そうだよね」とか
 「すごいな。懸命だな。でも俺だって、本当はそういきたい」とか

 そんな風に思ってもらえたらいいな。と思って書いている

 「こうしたらいいんだ」「こう考えたらうまくいきそう」

 そんな情報が、もし読んだ人の苦しみを和らげるんなら、そのために書きたいと思っている

 具合の悪い日も、本当に時間のない日も、何もアイディアが出ない日も

 無から有を捻り出すつもりで、ただ書き続けてきた。自分は何かできるんだ、そのことを忘れたくないし、忘れて欲しくないからだ。誰かのために少しでも何かしたいと思っている人間がいると思い出してほしいからだ。

触れ合うのは尊いこと

 生きているといろんなことがある。こんな気持ちになるんだったら、触れない方が良かったと思うものもあるだろう。

 だけど、そのこととは別に、何かに触れることはそれ自体が尊いことだと思う。

 それは子どもを育てながら思ったことだ。なんでも触る。なんでも舐める。なんにでも鼻をくっつける。大人から見たら汚いものでも、お構いなしだ。

 大抵、興味深そうにしているか、キャッキャしている。時には、怪訝な顔や不愉快な顔を見せたり、大泣きしているときもある。

 それでも彼らは、世界と触れ合うことをやめない。

 幼稚園の息子は、友達が自分のお茶に靴下を入れてきたことを咎めない。

 「まだよくわかってないんだよね。きっと」とか言ってる。

 すげーな、と思う反面、そのレベルに不衛生なことを自分でもすることがあるので、別の意味でも、やっぱりすげーな、と思わされる。

 感情はあっても、良い悪いが薄いんだ。それよりも、

 あらゆるものに触れ、感じ、それに反応する。それが生きるということだ

 彼らを見ていると、そんな風に思うことがある。

 僕らはいつから、触れることをやめてしまったのかな。不愉快になるかも知れないものにだって、触れてみたっていいのに。やっぱり嫌かもしれないし、思ったより面白いかも知れない。ましてや愉快になるものなら、もっと触れていたらいいのに。。。どうして僕らは動物的な生き方から、これほどまでに離れてしまったのだろう

 満喫する。全身で感じる。浴びる。

 僕らはそれができるくらい強い。思ったより強い。色々なものに触れるのは、自分の内側にある強さに触れる体験でもあるはずだ。

ずっと寝てたっていい

 永遠の眠りについた君に。

 一年とかあっという間だね。少しは休めたかな。とにかく休むことを知らない君だったから、ゆっくりと癒されるには、少なくともこれくらいの時間は必要だったかな。

 もっと、長い間寝てたっていいし、ずっと寝てたっていい。僕が会いに行ったって、顔見せなくてもいいし、機嫌悪くたって良い。なんの理由もなしにそうしてていい。

 本当は、ずっとそうだったんだよ。君も僕も。不器用だから、そう自覚しているから、不器用なりにいろんなことを気にしてきた。そうして自分をすり減らしちゃった。

 別に休むのに理由なんかいらなかった。だから気の済むまでゆっくりとしてて良かったんだ。休んだら、どっかで立ち上がったりうろうろしたりするもんだし、そこからはなんとかなるもんだ。

 君のおかげで、そのことが少しだけ腑に落ちたから。僕も僕なりにやってみるね。そう。そのこともあって、先日ちょっと大きな決断をしたよ。どうなるか分からないけど、信じた道を進んでみようと思う。

 あとさ、こうやって、毎日文章書いてることが、本当のところどんな意味があるか分からないけど、ある程度の人には読んでもらってるし、何かを感じてもらっているみたい。そしてそれは、その人だけでなく、その周りにだってなんらか影響しているはず。

 それなら案外悪くないね。でも僕は強欲な方だから、もっと多くの人に見てもらえるように、工夫するね。

 まだ見てないなら、いつか、君にも見てもらえるといいな。でも、繰り返しになるけど、それよりもゆっくり休んでよね。魂のコップに、少しずつエネルギーがたまり、溢れ始めるまで。。。

 そして、いつかまた会おう!きっとその時がくる気がする。僕も時間ができたら、明け方の桜木町にでも、君の姿を探しにいくから。








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