39歳で大学院に入ったら優秀な人工知能が登場したので、わざわざ大学院で学ぶ意義を再考した
今、仕事をしながらイギリスの大学院生をしています。イギリスの修士課程は「taught courses(教科書や論文の情報を知ることが主のコース)」「research courses(研究者としてのトレーニングが主のコース)」があり、自分が選んだのはtaught courseの方です。大学院生をしていると、興味があって学んでいるとは言え、ときどき興味のない分野にも出くわします。そして、そんな分野でも試験やエッセイがあるのでそれなりに大変です。人工知能(AI)がどんどん優秀になってきているので、どんな情報でも大学教授レベルの正確さで答えてくれる様になる日はそう遠くなさそうです。せっかく大学院に入って勉強しているけど、この学び(知識を得ること)はもしかしたら不毛なのではないか?と思ったので、今日はその問いについて思ったことを書きます。
Taught Coursesの存在意義はなくなった?
Taught Coursesでは、知識を身につけることに多くの時間を費やします。もちろんそれだけではなく、批判的に自分や他人の主張を評価したり、論を組み立てる訓練をしたり、研究をすすめるための実習をしたりするのもありますが、費やす時間の主は教科書や論文を読む時間です。知識の量を増やすことでは、人間は機械にかないません。それは元々わかっていたことですが、ChatGPTに触れ、その知識を活用する手段が驚くほど進化したことを知り、専門知識を自分が身につけることの意義を見失いかけました。
AIが素晴らしく発達したら、知識はいらないのか?
AIがすごく発達した世界を想像してみました。その世界は、世界中の天才たちが非常に安価で自分のために/みんなのために、言われたとおりに働いてくれる世界とほぼ等しいと仮定しました。では、自分はその天才たちと何をするのか?他の人達は天才たちと何をするのか?
天才たちとうまく付き合える人は、天才たちの力を借りて、楽しめることをしたり、称賛されることをしたり、儲かることをしたり、他人を支配しようとしたり・・・それぞれの立場での欲求を満たすために行動することでしょう。天才たちとうまく付き合えない人のいくらかは、天才たちとうまく付き合える人に手助けをしてもらって間接的に天才たちの力を借りるのでしょう。そして、残りの人達は天才たちがいても関係ないと我が道を行くのでしょう。
自分はどうしたいかと言ったら、天才たちの力を借りてでも借りなくてもいいけれど、なにか喜ばれることをしていたいです。天才たちの力を借りたほうがより多く喜ばれる何かを実行出来るのであれば、力を借りたいです。先の読めない環境の中で、「仕事がどうなるか」と考えるとわからないことが出てくるけれど、軸はそこからブレません。そう考えるとシンプルです。
天才たちの力を借りるとしても、何をするかは自分が決めるわけですが、それを決める時には教養があったほうがよりよい選択が主体的にできるでしょう。さらに、天才たちの力を十分に活用するためには、天才たちとスムーズな会話をするに足りるだけの専門知識があったほうが良いでしょう。
以上から、AIが発達した世界で、①AIを何に使うか、②AIをどれだけ使いこなすかという2点において、自分の専門知識と教養はあったほうが良いということは言えそうです。そう考えるとこれまでと学ぶことの重要性は変わらないと思えてきます。(学ぶ方向性は、狭い分野の細かい知識よりも様々な概念を理解することに重点を置くように修正が必要かも知れません)
もっと根源的なポイント - 知ることは喜びだった
ChatGPTの優秀さに驚き、AIによる生活の変化をイメージしながらあれこれ考えていたら忘れかけていたけれど、落ち着いて考えてみたら、知らないことを知るということはそれ自体が喜びだということを思い出しました。自分が興味のあることを知るために、他人やAIと優秀さを競う必要はないという当たり前のことを見失っていました。
見失った理由の一つはAIをライバルのように感じたことですが、内省してみるともう一つ大事な理由が見つかりました。それは、大学院でこれまで取得した単位の成績が当初の予想より良かったことです。入学時、英語が苦手なので成績は「優・良・可・不可」で言うところの「可」が取れればいいと思っていたけれど、やってみたら想定より良い成績が取れそうだということに気づき、欲が出てしまいました。それによって、本末転倒(本=学ぶこと、末=良い成績を取ること)状態が発生し、学ぶことの喜びを忘れ、知識のインプットとその活用の方に意識が集中していました。そのタイミングでChatGPTを知り、知識の価値が下がったように感じ、学ぶことの意義を見失いかけたというわけです。
元々大学院で学ぼうと思った理由は不要になったのか?
大学院で学ぼうと思った理由は以下のとおりです。(詳しくはこちら)
①より良いコーチングをするために、心理学の素養を身に着けたい。
②コーチングの有効性やスキルの裏付けを科学的に知りたい。
③将来的に、コーチングをもっと多くの人が使える環境を作りたい。そのために、科学的研究が進んでいるイギリスの情報を持ち帰りたい。
今振り返ると、①と②についてはAIの進化には関係ありませんし、体系的に学べる場所として、相変わらず大学院が一番効果的だと(今の所)思います。③については、将来さらにAIが進化して学術的な情報を多くの人が理解しやすいように教えてくれるようになれば、自分が大学院で学んでいることは相対的に重要性が低下するかもしれませんが、それでも自分がAIを活用して発信をする際に役立つでしょう。また、AI時代にどのようなことが学術的に議論されるか/議論すべきかという新しい興味も湧いてきます。つまり、元々大学院で学ぼうと思った理由が消えたわけではないし、更に興味が持てる話題が増えたということになります。
まとめ
以下の理由で、やっぱり知識を得ることに意義はあるというのが今の所の結論です。
AIを何に使うか、AIをどれだけ使いこなすかという2点において、自分の専門知識と教養はあったほうが良い。
自分が興味のあることを知るために、他人やAIと優秀さを競う必要はない。
元々大学院で学ぼうと思った理由が消えたわけではない。
おまけ ChatGPTによる見解
プロフィール
藤田 大樹(ふじた だいじゅ)
Brain−Plus代表
【専門分野】
ビジネスコーチング/メンタルヘルス
【学歴・資格】
京都大学総合人間学部卒業
名古屋大学大学院理学研究科博士前期課程修了 理学修士
University of Strathclyde MSc Psychology with a Specialisation in Business 在学中
国際コーチング連盟 PCC(プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ)
EAPメンタルヘルスカウンセリング協会 EAPメンタルヘルスカウンセラー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?