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同一の主 13

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.19-20。)

ある日のことです。

幼稚園の職員会議を終えて、教会堂の前まで来ますと、1人の青年が立っていました。その前の日曜日の礼拝に出席された方で、牧師と個人的に話したく思い来られたところでした。

その方と事務所で話していますと、電話がかかってきました。電話の主は、2年ほど前に、数ヶ月、教会に求道してこられていた方で、もう一度次の集会から、出席したいとのことでした。

その日、1通の手紙を頂き、夜、帰宅してから読みました。あるご婦人からで、自分の悩みが記されていて、主の救いと助けが必要でした。

この日の3つの出来事を通して、以前アメリカの教会を訪ねた時の標語を思い出しました。

“Christ is the answer!”「キリストが答えである」

その教会の礼拝堂の正面には、そう書かれていたのです。

人生には色々な問題が起こります。1つ1つの問題は異なります。類似しているようでも、同じではありません。

しかし聖書には、こう記されています。

「同一の主が万民の主であって、彼を呼び求める全ての人を、
 豊かに恵んで下さるからである」

(日本聖書協会口語訳聖書 ローマ書10.12)

 同一の主が、万民の主です。
色んな人がいて、色んな問題があります。しかし、その答えは、キリストにあります。主にあります。
その主は、同一の主であります。

 牧師として、人々の全ての問題に、答えを持ち合わせている訳ではありません。また、そのような、万能な者でもありません。

しかし
「キリストは答えである」
とは明確に語ることができます。

「同じ主に、祈り求めていきましょう」
と紹介することはできます。

私ができることは、

「見よ、この人だ!」

(日本聖書協会口語訳聖書 ヨハネ伝19.5)

と、ピラトのように、主イエス・キリストを紹介するのみです。


<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり3分間のテレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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