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自然に生きる 21

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.29-30。)

自然に生きるとはどういうことでしょうか。

それは、何事に対しても、あるがままに相対していくことです。そして、何事もあるがままに受け入れていくことです。

禅僧でも、良寛さんはよく知られています。
子どもたちと手まりをついて遊んでいる良寛さんの姿は、無邪気な宗教者の姿の典型でしょう。

この人が、大地震があって、友人を見舞った手紙の中で、こう書いています。

「災難に遭う時は、災難に遭うがよく、死ぬ時には死ぬがよく候う。これはこれ、災難を避け逃るる妙法にて候う」

1828年12月 三条大地震の時に安否を問う手紙への返信から

と。

人は自分の力では、どうしようもないこともあるのですし、その時、見苦しく振る舞うことなく、敢えて、それを受け入れていくことは、大切なことです。

聖書のヨブも、財産や子どもを災難で失い、また病気で苦しんだ時に、

「主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」

(日本聖書協会口語訳聖書 ヨブ記1.21)

と告白しています。

パウロも

「私は貧しき道も、富むことにも、飢えることも、飽くことも、あらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。私を強くして下さる方によって、何事をもすることができる」

(日本聖書協会口語訳聖書 フィリピ書4.12-13)

と言っております。

「裸にて 産まれてきたに 何不足」

小林一茶

母の胎を出発した原点に、また立ち帰るのが一生の終わりです。

自然に生きるとは、そのサイクルに従うことで、敢えてそれに逆らわないでいくと楽であります。

とはいえ、欲望のある生身の人間です。
悩み苦しみもだえるのは、仕方のないことでしょうが、やはり「自然」に生きようと心に語りかけ、神に委ねることを学ぶことであります。
万事の中に、神はおられるのです。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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