「この施設は好きじゃない。」と言った利用者 その①
某障害者福祉施設の就労移行支援の利用者Aさんが、うちの施設を利用することになった。
就労移行支援とは、施設に通いながら施設外就労…障害者枠の就労等を目指す事業で
利用者はそこに二年間しか在籍できない(場合によっては三年まで在籍可)。
二年を過ぎると、就労継続A型やB型の事業に移行するのが通常である。
前の職場にも就労移行支援事業があったが
これがなかなかに厄介だった。
就労移行支援を利用できるような人は軽度ではあるが
なかなかに二年以内に施設外就労に繋がらないのである。
まず第一に、障害者枠で働けるほどの軽度の人は最初から内定をもらっているか、就労継続A型を利用している。
軽度は軽度でも、何らかの課題があって就労に繋がらない人達の集まりが就労移行支援事業なのだ。
というのも
働く能力はあっても会社に行くまでの足がないのである。
利用者は運転免許を持っていない方がほとんどである。自転車を乗れない方も少なくない。
自宅付近にバス停や駅がない方も多いし、仮にバス停や駅が近くでも、会社付近に出勤や退勤時間に合わせた時間にバスや電車があるとは限らない。
また、会社の人みんながみんな障害者に理解があるとは限らなかったり(一定期間の補助金目当てで採用する会社も中にはある)
施設での作業時間より会社での就労時間が長いため体力や気力が必要だったりもする。
内定をもらい、働き出してもまた施設に出戻ることも少なくない。
仮に利用者が就職し、上手くいったとしても
施設側としては利用者が減るため、補助金が減る。
そして、利用者が定員割れしていても補助金が減ったり、作業が回せなかったりと弊害がある。
就労移行支援とは実に損な事業なのである。
前の職場で数年後にその事業をやめたように
周りの施設も次々に就労移行支援をやめていった。割に合わないからだ。
Aさんは就労移行支援に在籍期間中に施設外就労が叶わず、期限が迫っていた為、いくつかの施設を見学し、実習した。
やがて期限が来て退所するしかなくなり、手続きをした後、私の職場である福祉施設利用の運びになった。
だが、なかなかにAさんは難しいケースだった。
どうやらAさんの母親も障害があるようだった。
世の中には施設に通っていない、手帳を持っていない隠れ障害者がたくさんいる。
利用者の親が実は障害者だった、ということは割とよくある話だが
こういったケースはとにかく厄介だった。
なかなかに福祉サービスに繋がらなかったり、常識や価値観にそもそものズレがあったりするからだ。
フェイスシート等から経歴を見るだけで、なかなかにため息を吐きたくなるケースだった。
実際、契約時は毎日登所するという話だったが
いざ利用開始すると休みがちであった。
また、毎回連絡帳では文句や苦情を書かれた。
「○○って言わないでください。」
「注意しないでください。」
「好きでこんな施設利用しているわけではないし。」
「無理強いしないでください。」
「この前○○って言われて傷つきました。」
毎回こんな感じだ。
挨拶をしても無視されるし
配慮しても何かしら言われ
仕事上何かを伝えると文句を書かれ
職員は非常に気を遣った。
やりたい放題、言いたい放題といっていい。
相談員さんに現状を相談しようとしても逃げているのかなかなか連絡はつかない。
相談ができなかった。
“好きでこの施設に来たわけではない。”
この言葉を見た時
じゃあ他の施設を利用すればいい、と思った。
施設なんて至る所にたくさんあるのだから。
でも、確かにAさんは来たくて来たわけではない。
就労移行支援のルール上辞めざるを得なかったわけで、前の職場を辞めたくなかったけど退職するしかなかった自分と重ねてもしまう。
職員がAさんに気を遣うように
利用者もAさんに気を遣い
そうして配慮に配慮を重ねて半年以上が過ぎた。
そして変化が生まれた。
最近は特定の利用者ならば気を許す姿が見られた。
そして私はAさんと作業をする日が増えた。
私と何人かの利用者で談笑していると、それに対してリアクションをするようになった。
そして段々と、他の利用者や私と談笑しながら作業ができる時間が少しずつ少しずつ増えていった。
「話しながら作業が楽しいです。」
利用開始してから半年以上が経ち
ようやく初めて連絡帳でポジティブなことが書かれるようになった。
そしてとある事が起きた。
Aさんが手作りのプレゼントを利用者に持ってきて渡そうとし、新施設長が規則だから渡せないと言ったのだ。
前の職場ならば、利用者が個人的に利用者や職員に何かを渡すのは許可されていたが
今の職場は全員に渡すもの以外は許されなかった。
どちらもそれぞれにメリットやデメリットがあるし、どちらが正しいかは分からないが
私はそのやりとりを聞きながら言い方があるだろうとは内心思った。
新施設長が去った後、「ねぇ何を作ったの?よかったら見せてもらえない?」と私はAさんに言った。
それは凝ったもので、上手だった。だから私は褒めた。
「すごいね、こんなの作れるんだね。時間かかったんじゃない?集中力あるね。○○さん(他の利用者)を思って作ったのが伝わるよ。」
そんな風に伝えた後、規則だから渡せない、残念だね、と伝えた。
Aさんはパァッと顔が明るくなった。
人に何かを伝える時、特に伝えにくいことを伝える時は言葉を選ぶ必要があると私は思っている。
この件により、Aさんは私に心をだいぶ開くようになった。
Aさんと会話量がグッと増えた。
Aさんの服装や持ち物を褒めたり、そこから話題を広げると嬉しそうだった。
そしてある日の連絡帳で
「真咲さんと話せるのが嬉しいです。今日もたくさん話したいです。」
と書いてきた。
私は涙が込み上げた。
Aさんちからの連絡帳でネガティブなことが書かれなくなっただけでなく、名指しでこんなことを書かれる日が来るなんて思いもしなかった。
挨拶だけの日々もたくさんあった。
目も合わせてもらえない日もたくさんあった。
何かを伝えても、言い訳をされたりして突っぱねられたりした。
気を遣って嫌な思いをして、言えない言葉ばかりたまっていた。
だけど最近は少しずつ融通がきくようになった。
相変わらずなところもあるけれど
少しずつ態度に変化が出てきた。
最近は私の好きなものについて色々質問してくるし
自分の好きなものについても色々伝えてくれる。
「作業しかしたくない。個室がいい。周りと話なんかしたくないんですけど。」
そんな風に言われた日の先に
こんな未来が待っているなんて思わなかった。
福祉職はこれだから面白い。
何日も何週間も何ヶ月も何年もかけて
利用者が徐々に変化したり、成長が見られる時がある。
Aさんは知らない。
シレッと働いている私だって
本当はこんな施設来たくなかったと何回も何回も思ったことがあることを。
私達はある意味似たもの同士の仲間だ。
だけどこんな瞬間があるから
私は今日がいい日だったと心から思うんだよ。
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