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ステージで初めてのダンス発表

私はコロナ禍の中、障害者福祉施設に転職した。

転職先では毎年、障害者アートコンクールに参加していて
夏ぐらいから絵の練習をし、秋に作品を出展し、とある日にコンサートが行われるような大きな会場で飾られていた。

 
私含め同僚は今年も利用者と色々なモチーフを描く練習をした。
その練習の一環で職員が描いた絵はリーダーにより施設に飾られた。
利用者の絵を飾るならまだしも、職員の絵を飾るとは恥ずかしい。なのに意に反して、絵はしばらく飾られることになった。

 
今年はコロナが5類になったとのことで
障害者アートコンクールの他に、ステージにてダンス発表と販売出店が決まった。
どうやら私が転職する前は本来はそういった大規模な福祉イベントだったらしい。

アートコンクール以外が行われるのは4年ぶりらしかった。

 
プライベートでも行くコンサート会場で販売をするのはいつかの夢の一つだったが
まさかステージに立つことになるとは思わなかった。

 
施設内のダンス発表会の時も私は最前列の利用者の支援担当だったが
今回もダンスは最前列の担当となった。気づいたら担当を任されていた。

他の職員はステージ前列に立ちたくない方がほとんどだったが
私はせっかくの機会だし、どうせなら最前列でステージに立ちたかった。

 
私は緊張するタイプのくせに
ステージでは割と目立ちたい方だった。

学生時代は演劇で主役をやっていたし
合唱部時代はステージに立つこともあった。
習い事のピアノの発表会の時だってステージで披露した。

 
ただ、さすがに今回はステージの規模やステージの場所が有名どころすぎて
興奮と共に緊張感はあったが。

 
月に一回ダンス教室があり、みんなで踊れる曲はいくつかあったが
今回はとあるJ-POPの曲に決まった。
その曲は私が好きなアーティストが作った曲だったので
その曲でステージで踊れるのは嬉しかった。

そのアーティストの初ライブ参戦場所で、まさか仕事で踊る日が来るとは思わなかった。

 
私は春に骨折し、仕事を休んでいた期間があり
そのせいでみんなから出遅れた形でそのダンスの練習に参加したが
なんとか追いつけたのでホッとした。

 
足が完治する前はなるべく体を動かさないようにしていたが
新施設長や同僚から「踊ってきていいですよ。」と言われた時は苦笑した。
よっぽどウズウズして見えたのだろうか。

私は体育が苦手だし、授業のダンスもかっこよく踊れなかったけど
社会人になり、障害者福祉施設で働くようになってからダンスが好きになった。

曲に合わせて思い思いに動く利用者を見ると、下手でも楽しく踊ってもいい気がしたのだ。

 
思えば体育の授業では周りと合わせるのが基本だ。

だけど、福祉施設のダンスは自由だ。
一応基本の形はあるけど、多少ズレたり我流でも許される。職員すら。

 
数年前の私は、私が未来で洋楽やK-POPに合わせてダンスするようになるとは思いもしなかっただろう。

 
障害者アートコンクールの絵を出展した後は、ダンス練習により力を入れた。

 
ダンス教室では行くたびに振り付けが微妙に変わるのだが
発表会に向けて毎日のように振り付けや立ち位置が変わり
前日にさえかなり変わったので私はため息を吐いた。

前日にまで振りを変えたら当日しくじるんじゃないか…

そんな気がした。

 
前に働いていた施設とは大違いだ。
前働いていた施設では、私が責任者をしていた事業に関しては、発表会前は一ヶ月間毎日15分歌やダンスを練習をした。
振りや立ち位置は基本的には変えなかった。

ひたすらに毎日練習し、本番に備えた。

 
あの頃に比べて、なんて今は行き当たりばったりなのだろうかと内心思った。
施設が変われば、やり方も変わる。
あの頃は私が責任者としてしきっていたが、今の私には力がない。

内心思うことはあっても、私は口にしなかった。

 
行事の打ち合わせをしたり、準備をしたりとリーダーは日々忙しそうだった。

その日はダンス発表の後にグループごとに外食に行く予定だった。
コロナ禍で職場で外食をするのは初めてのことだった。
午前と午後で支援グループは変わる。

なかなかにてんこもりな一日になりそうだった。

 
当日の朝、私はアレルギー反応で鼻水が止まらずに焦った。
朝薬を飲んだらきいてきたのでホッとした。

天気予報は一日晴れであたたかいようだったのでホッとした。

 
朝、掃除をした後、販売担当の職員や送迎担当の職員は先に出て、私は施設に一人残り、利用者を出迎えた。
一人、また一人…と利用者が集まってきて、遅番の職員も出勤してきた。
みんな集まったところで、会場へと移動になった。

人が多い場所が苦手な利用者は走って行ってしまい、私は急遽朝から走る羽目になったが
途中で新施設長とバトンタッチし、本来の支援配置に戻ろうと会場内をまた走った。

 
私担当の利用者は先に他の職員と会場入りしたらしい。

会場内には既に他の障害者福祉施設や特別支援学校の方が溢れていて、私はキョロキョロしながら施設のみんなを探した。
私は息を切らしながら利用者の隣に座った。

 
その際、前列の方がじっと私を見てきた。
慌てて入ってきたから目立っていたのかもしれない。

今日は支援グループごとに動くことになるため

「今日は真咲さんと過ごそうね。」

と利用者に伝えた。
利用者は今日どの職員と過ごすかを知らないため、現地で伝えることになっていた。

 
その声と名前に確信したのだろう。
私を見ていた方は口を開いた。

「○○(前働いていた施設名)のともかさん…ですよね?」

「?はい、そうです。」

「私、Aです。Bの母です。」

声を聞いても私はすぐに分からなかったが(髪型やメイクが当時と違かったし、マスクをつけていた)
名前を聞いてすぐにハッとした。

 
言われてみればそうだ、この顔と名前は…!

そう、私を見ていた女性のAさんは前の職場の保護者だった。
Aさんの子どもであるBさんは、私の担当利用者だった。

 
担当したのは三年に満たないくらいだし、私が退職前にBさんは退所し、別の施設に移動していた。
だから会うのは久しぶりだ。最後に会ってから五年以上時間が経っていた。

 
Aさんの横にはBさんがいた。
Bさんはくるっと振り返った。
Bさんはマスクをしていてもすぐ分かった。

 
私ははしゃいだ。喜んだ。
まさかこの広い会場で前列の斜め向かい側に
元担当利用者と元保護者がいるなんて。

「前に△△(障害者音楽発表会)でともかさんを見掛けて、あれ?って思って。今はこちらで働いているんですね。」

…驚いた。
まさか数ヶ月前に姿を見られていたとは。

 
音楽発表会の時は会場はもっと広かったから更に人はいたし
私はAさんにもBさんにも全く気づかなかった。

 
よくよく話を聞くと
Aさんは私の転職先の施設や利用者を知っているらしい。

なるほど、音楽発表会の時に私を見掛けたのもたまたまではなく
知っている利用者の姿を見たら、横で支援をしていた私に見覚えがあったのだ。多分。

 
今日は様々な障害者福祉施設や特別支援学校の方がアートコンクールもしくは販売もしくはダンス等の発表で関わっている。
AさんやBさんもその関係で来ていたらしい。

私はAさんから、いつからここの施設で働いているか尋ねられ、三年目だと伝えた。

 
Aさんから見たら、意外だったのかもしれない。

Aさんが知っているはずの私は前の施設でバリバリ働いていて、とても辞めそうには見えなかったはずだ。

私でさえ、まさかあのタイミングで退職するとは思いもしなかった。
他の場所で働く自分なんて想像さえつかなかった。

 
ダンス発表前にアートコンクールの展示を見に行った。
例年、展示を当日見に行って誰が入賞したかを知るが、今回は初めて前日主催側から連絡があり、誰が入賞したかを知っていた。

私の職場の利用者は何人か入賞していたし
私が一緒になって頑張った利用者の作品が入賞したと聞いた時は嬉しかった。

 
飾られた絵の前で利用者の記念撮影をした。
入賞した利用者はとても喜んでいたし、入賞しなかった利用者は悔しがっていた。

他施設や特別支援学校の絵は上手なものやアイディアが素晴らしいものがあり
私含め職員は感心しながらじっくり見た。

来年のコンクールの参考にしたかった。

 
アートコンクールを見た後は控え室に移動した。

控え室では最後の練習をしたり、モニターで他の出演者の様子を見た。
私はBさんの発表をモニター越しに見た。ウルッと涙ぐんでしまった。

 
出番前は緊張していたが、控え室に入ってからはバタバタで
緊張している利用者の話を聞いたりしているうちに
あっという間にステージ横にスタンバイの時間になった。

司会者に促されるまま、ステージに慌てて登場した。予定では私が最初に利用者とステージに行く予定だったが
いざ行ってみたら控え室が逆位置だったため、私は最後の方にステージに出ていった。

いくら練習を重ねてもリハーサルはなかったため
ぶっつけ本番でステージに立ち、自分らの立ち位置を確認した。
スポットライトがまぶしいし、想像以上に人がいた。

 
ダンスの時間は5分に満たない。
曲が流れてからはあっという間で、本当にあっという間だった。
前列の私は後ろがどうなっていたか、自分より遠い位置の人がどうなっていたか分からないまま、あっという間に終わった。

会場は見知らぬ人達が手拍子をしたり、ダンスを真似たり、盛り上がったり、盛り上げてくれた。

 
ステージから立ち去った後、達成感で喜ぶ利用者と喜びあったり、練習より上手くできなくて悔し泣きする利用者を慰めたり、駆け寄ってくれた保護者と話をしたりした。

 
ダンス発表後は何人かの利用者は保護者と帰り、何人かの利用者とは再びイベントを楽しんだ。

今日出勤ではなかった同僚が駆けつけてくれたり、ダンスの先生も見に来てくれたりしただけでなく
元同僚も顔を出してくれて久々に話した。
嬉しかった。

 
退職しても気にかけてくれるその姿に
私は自分を重ねた。

どんな理由で辞めたとしても
退職した職員は大抵が、利用者のことは大切に思っている。会いたいと思っている。

 
その後はグループごとにお店に移動し、お昼となった。
他のお店は混んでいたらしいが、たまたま私担当のお店は空いていた。
普段は混んでいるので、本当にラッキーだった。

また、急遽利用者が休みになったり、途中で帰ったことで外食支援は思いのほか楽だった。

 
昼食後、私は施設に残る予定だったが
現地に残っていたリーダーの仕事を急遽手伝うよう言われ
私は向かった。

 
リーダーと今日のことを話したり、一緒に仕事ができて嬉しかった。
リーダーとは離れて仕事だったので、今日はほとんど話したり関わったりはできていなかった。

二人で施設に戻った時はもう利用者はみんな帰っていた。
書類作成や片付け、今日の反省会をした。

 
今回の販売は売上をあまり期待していなかったが
まさかの今年度最高額でみんなで度肝を抜かれた。
喜ばしい。

 
想定以上に平和な一日だった。
職員みんなそれぞれに自分の役割に不安や緊張があったが
思いのほか上手くいった。
それは職員の連携が上手くいっていたからというのもあるだろう。

誰も怪我なく、大きな事件もなく終わり
みんなで安堵した。

 
帰り道は足取りも心も軽い。
大きい行事が終わる時の達成感や解放感は堪らない。

 
今月はまだ大きな行事が控えている。
来月もだ。

平行して準備を進めているが
来週は更に本腰を入れるようだ。

 
また次に向かって頑張ろう。

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