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ただいることがケアになれ(7月に書いた台本の話)

7月に中野の小さな劇場で『メゾン・ド・レモンに住むつもり』という短編集を上演しました。そのときに書いた台本の話をします。

この文章は

の内容のネタバレ、というか、見るときの方向性みたいなものを与えてしまう可能性が大きいので、よろしければこれらを見たあとに読んでいただけるとうれしいですし、見たあとでも、その裏で台本を書いた人がなにを思っていたかを知ることをノイズに思う方は、そっと「もどる」や「とじる」を選択していただけるとうれしいです。


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さっそくめちゃくちゃうえまきあんなの話をするよ

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引き返すならいまだよ

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はじまるよ

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わたしはここ3年くらい気分が落ち込んでいることが多く、それにともない精神も身体も「そんなことで?!」と思うようなことで疲弊してしまう状態でした。薬を飲めばアルバイトには行けるけれど、アルバイトは超疲弊案件なので、帰るなり横になりじっと次のアルバイトに備えているみたいな生活をしていました。今は比較的調子がよいですが、ふとしたことでまたあの頃みたいになるなという不穏さはあります。

バイト先に岸さん(仮名)という人がいました。岸さんはわたしのことをたくさんほめてくれる人でした。ある時、岸さんはご家族に心身が辛い状態の人がいるとわたしに言いました。仕事には行くけれど、家では全く表情が動かない、と教えてくれました。また別の日に、わたしはわたしの体調の話を岸さんにしました。笑顔でいることに制限時間があって、バイトの時間でそれを使い果たしてしまうから、帰ってもなにもできない、みたいなことを言ったと思います。

わたしがその職場をやめるとき、岸さんがLINEをくれました。わたしの仕事に対する労いと「表情の動かない家族を見ながら、うえまきさんの笑顔の制限時間という言葉を思い出しています。ありがとう」という内容のものでした。

こんな言い方よくないけれど、病んだ甲斐があったなと思いました。

欠勤したり、浮かない顔で出勤したり、ごめんなさいばかり言ってケアされ続ける日々だったから、ケアする側の岸さんにほんの少しでも与えられた(と思えた)ことが、うれしくて、それまでよりどっしりと立てる気がしました。

しかも、わたしは何もしてない。自分の状況を言っただけ。患うことはしんどいけれど、その状態を言葉にすることはそんなにしんどくない。少なくとも岸さんに話をしたあの時は、なんにもしんどくなかった。

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何かをする、してあげる、というケアは「できる」という能力を前提とするもので、ケアする側に回る人やケアされる側に回る人が固定されやすい感じがする。それはなんかいやだ。

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そのままでいることがケアになったら最強だな

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が形を変えて「瑛士さん」と「レモンジャムJAM」になりました。

「瑛士さん」ではバイト先のエイ(に人間の足が生えた人)になにかしてあげたい(ケアしてあげたい)と思う"のりこ"に"まゆこ"は「あなたにケアはしきれない」と伝えながらも、最後までのりこの話を聞きます。話を聞ききる、というケアがそこにはあるんじゃないかと思っています。

台本を書いている過程で、のりこをもっと励ますような、事態を解決に向かわせるような展開のバージョンもできました。でも「なんか変だな」と思って冨岡に相談したところ「のりこの状況は詰んでいるのでは?」と言われ、たしかに、と思い台本を書きかえました。詰んでいるなら詰んでいるままでいいなと思ったので。最後にジンベエザメ(大きいもの)、しかもオス(敵わないもの)が現れて、ぼそっとしゃべっておわります。

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まゆこ→のりこのケアの話が「瑛士さん」だとしたら、「レモンジャムJAM」はのりこ→まゆこのケアの話だと思います。

不調のまゆこの家に、のりこがやってきて、ご飯とかもってくるわけでもなくただやってきて、急にピクミンをやりはじめる話です。ピクミンを投げる音が、まゆこにちょっとだけエネルギーをチャージします。

のりこは何がしんどいとか聞くこともなく、かなり何もしないでまゆこをケアする

という話にしたいと思って書いたはずだったけれど今思えば、のりこは
・携帯を機内モードにするなどシャットダウンモードのまゆこの家に上がり込む(閉じてる人に入っていくのってかなり大変だと思う)
・まゆこのどんよりした空気に巻き込まれずにゲームをはじめる
と、かなり難しいことやってますね。でも、のりこがそれを難しいと思ってないなら、何もしてないに等しいかもしれないです。

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「できる」は価値だけど
「できる」だけが価値じゃないと思う。

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今回書いた台本は、のりことまゆこがケアをし合っているところに落ち着きました。何もしてないけど、お互いの役に立っています。

だれかの役に、立たなきゃだめなのかな

みたいなことを今は思っています。結局価値から逃れられてない。

何もしないし役にも立たない(もちろんケアにもならない)、をそのまま受け止めていける感じの台本を次は書いてみたいです。かわいげとゆかいさを忘れずに。

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存在を、評価するなよ

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というのは脚本を書いたうえまきの見解で、一緒にやってくれた俳優の冨岡はまた、別の考えを持っていると思います。渡された台本をどう読んで、どう立ち上げるのか、は冨岡次第だと思っていたので、稽古場でもここに書いたことの全部は伝えてないです。

あくまでうえまきの話として受け取ってほしいなーというお願いです。

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ほかの話もあるよ🍋


これからもよろしくお願いします。

上牧晏奈

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