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<評論>「脱絶望論―平成と民営化されたパノプティコン」


―1章―「民営化されたパノプティコン」



―即位礼正殿の儀―

 令和元年一〇月二十二日午後、皇居宮殿正殿・松の間にて「即位礼正殿の儀」が執り行われた。東京は午前中雨であったが、儀式の執り行われる正午前後には雨は止み、東京中心部には大きな虹が掛かったという。世界の指導者が参列する中、八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉といわれる三種の神器が天皇に捧げられ、令和天皇のお言葉の中でその即位が宣言された。安倍内閣総理大臣の寿詞のあとで、「天皇陛下、万歳!万歳!万歳!」という万歳三唱が唱えられ、陸上自衛隊による礼砲が東京の空に響き渡った。
 この儀式により三一年にわたった平成という一つの時代は完全に終わり、令和という新しい時代に突入したことになる。しかしこの令和という新しい時代を迎えるまでの三一年間は、世界は混迷と激動の時代だったと言えるだろう。世界は冷戦終結からグローバル化に向かい、様々なテロや戦争、不況を経験した。また新興国が台頭し、世界の勢力図は大きく塗り替わり続けており、高度情報化社会も到来し日々変動が続いている。日本社会においてもバブル崩壊以降「失われた三〇年」とも言われる長期の低迷を続けており、少子高齢化には歯止めがかかりそうにもない。このような激動の世界を、平成という時代は駆け抜けていった。
 
 わたしたちは今、平成という時代の最後の審判、つまり「平成という時代の判決文」を待っている。そしてそれは、傍聴席からの観覧ではなく、われわれは「被告人」として、時代の証言台に立たされている。裁判官への宣誓のあと、われわれは自らの口で語りださなければならない。嘘、偽りなく、私たちが見てきた「平成という時代」の全てを語り尽くさねばならない。わたしたちにはどのような最後の審判が下され、わたしたちの罪に、どのような判決文が読み上げられるのであろうか。

―ポストモダンと欲望、生権力―

 平成という時代は一言で言うなればポストモダンの時代であった。ポストモダンという時代は大量生産・大量消費の消費社会が浸透したのちの時代、つまり必要なものが必要な人々に行き渡った後の時代と言える。この必要なものが行き渡った時代というのは、原理的に資本主義の危機と言える。この資本主義の危機に対して恣意的に発明されたのがポストモダンの時代だ。
 ポストモダンの時代を簡単に述べるならば、差別化と記号化による欲望の再生産の時代だと言えるだろう。ライフステージに合わせたステータスとして商品を記号化し、著名人を起用した広告や神話的なブランドストーリーを流通させ、本来は不要な買い替えやランクアップの購買を刺激する仕組みは八〇年代から構築されバブル期に頂点を迎える。
 東西冷戦の終結、バブルの崩壊以降、ポストモダンは質的変化を迎える。バブル崩壊以降の不況によりモノが売れなくなり、モノに対する消費からライフスタイルやコトの消費に戦略を変更した。この戦略の変更は九〇年代以降の社会に大きな影響を与える。
 ライフスタイルやコトを消費させようとする場合、喚起すべき欲望も変化する。他者との差別化やライフステージの確認ではなく、その人の人生の意味と価値、アイデンティティーを証明することを欲するように欲望喚起のシステムを構築しなければならない。この人生の意味と価値の証明を欲望させるためには一筋縄ではいかない。その人間の自己同一性まで洗脳するような「神話」が必要となる。それにはメディアによる広告だけでは十分でなく、資本主義社会はメディアと生権力との結託を余儀なくされた。

 ミシェル・フーコーの『知への意志』(渡辺守章訳 新潮社)には生権力について、こう述べられている。

 “具体的には、生に対するこの権力は、十七世紀以来二つの主要な形態において発展してきた。その二つは相容れないものではなく、むしろ、中間項をなす関係の束によって結ばれた発展の二つの極を構成している。
 その極の一つは、最初に形成されたと思われるものだが、機械としての身体に中心を定めていた。身体の調教、身体の適性の増大、身体の力の強奪、身体の有用性と従順さとの並行的増強、効果的で経済的な管理システムへの身体の組み込み、こういったすべてを保証したのは、規律を特徴づけている権力の手続き、すなわち人間の身体の解剖―政治学(アナトモ・ポリティックス)であった。
 第二の極は、やや遅れて、十八世紀中葉に形成されたが、種である身体、生物の力学に貫かれ、生物学的プロセスの支えとなる身体というものに中心を据えている。繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿、そしてそれらを変化させるすべての条件がそれだ。それらを引きうけたのは、一連の介入と、調整する管理であり、すなわち人口の生―政治学(バイオ・ポリティックス)である。
 身体に関わる規律と人口の調整とは、生に対する権力の組織化が展開する二つの極である。 “※①

―民営化されたパノプティコン―

 ミシェル・フーコーは主体とその身体を社会的に管理し、規律を植え付ける社会的構造、すなわち「生権力」の構造を明らかにした。その生権力の構造はポスト構造主義、ポストモダンの黎明期にあたって、権力が社会を支配する方法として大きな役割を果たすものとして認識された。しかしながら、ポストモダンが徹底された時代、すなわち平成という時代の日本において生権力は国家権力から離れ別の仕方を取る必要があった。
 生権力は国家における被支配者の監視の役割を果たす。ミシェル・フーコーは監視塔「パノプティコン」の構造を明らかにし、たとえ直接に監視をしていることは見えなくとも、被支配者=囚人にとっては監視されている「かもしれない」という潜在意識が結果的に被支配者を支配し、現前しないかたちで支配することができる構造を明らかにした。
 前述したように、しかしながらこの平成の日本という、ポストモダン以外の時代を想像することも許されないほどの、徹底されたポストモダン社会においては、権力は国家からはなれ、つまり支配者と被支配者という構造を離れ、被支配者が被支配者を監視するという「相互監視社会」が形成されている。そう、ネットワークという形を通じて。つまり、平成の日本におけるポストモダン状況において「パノプティコン」は「民営化」されたのだ。

―就活サイトに委託された生権力―

 以下に挙げる、民営化された「パノプティコン」あるいは「民間に委譲された生権力」としての具体例については、ひとつのフィクション・メタファーであると考えていただきたい。ここでは仮に一企業をサンプルとして挙げるが仮にその該当企業が存在しなかったとしても結果的には別の企業が別のかたちで我々の欲望を管理したことであろうと思われるからだ。
 「就活」。これは我々を支配する最も強力な生権力の別の異名である。我々はそのライフコースを進もうとするとき、必ずこの生権力の身体検査を受け、適性検査も行い、検品・検査・納品基準との差異がない最適な商品として、その形相・精神・身体が最適化された状態で「出荷」されることを生権力に要請される。ここでの生権力の持ち主は国家ではない。国家から「業務委託された」就活サイトというシステムによって、最適化は実施される。
頭髪、リクルートスーツ、履歴書、職務経歴書、企業説明会、インターン、書類選考、一次面接、適性検査、二次面接、三次面接、最終面接。そこでは国家から業務委託された就活サイトの強力な生権力によって「すべての人間的属性を剥がされ、それによって人間Aになる」。
 テンプレートに基づいた定型的な履歴書、非の打ちどころのない志望動機、想定問答によるシュミレーション、それだけでは不十分だ。整った整髪、スーツのコーディネート、お辞儀の角度。そこでは、就活というものに挑む(あるいは従属する)過程において、あらゆる身体的要素が計算され規律化され、テンプレート化されている。
 
 このような時代の流れの中で、多くの人々は、生権力の命令に従属することでしか生存戦略を見出だせず、さまざまな支配を受けた。それはまず、ライフコースの占領であり、空気への迎合であり、エイジズムへの服従として現れた。まず最初に訪れるのは職業生活におけるライフコースの占領としての、生権力の圧力だ。就職をするにあたって、新卒一括採用の洗礼があり、次に第二新卒採用の足切りがあり、その後には転職回数は三回までという壁がある。生権力はこのような採用システムの形態を取って、製品としてふさわしくない人間を不良品として製造ラインから除外していく。製造ラインから除外された人間は、より下層の暗黒企業に廃棄品として横流しされる。無事就職に辿り着いたとしてもそこでは「空気を読む」ことを求められ、過重労働やパワーハラスメントといった組織の上限関係、企業文化に受け入れられる為の洗礼を受ける。そこでの不条理な文化への洗礼を経て、空気へ迎合する事を身体的に理解し、従順さを身に付けることで辛うじて被支配者は生存することができる。そして排除を逃れた人間は、今度は逆に相互監視システムの一員となり、自らの生存を防衛するために新たに製造ラインに加わった人間に対して過重労働やパワーハラスメントを再生産する。空気を読まない人間への排除を目的とした、被支配者間での支配、「パノプティコン(相互監視システム)」はこのようにして強化されていく。
 また辛うじて排除を逃れた被支配者はまた、自らの生存を防衛するために「三〇歳までにやっておかなければならない○○の事」といった生存マニュアルを読み漁り、パートナーを探し、結婚、住宅ローンなど、被支配者の生存マニュアルという教典に従順に従ったライフコースを目指しエイジズムに服従していく。
 フーコーはこのような身体の規律化を「アナトモポリティーク」すなわち「身体を従属させる規律」として考察している。

―「空気」という相互監視システム―

 前述したように、ライフスタイルやコトを消費させようとする場合その人の人生の価値やアイデンティティーを証明するような欲望を喚起しなければならない。その人生の価値を欲望させるシステムは次のように構築される。素材は人間の中にある焦燥感や孤独感・敗北感のようなものを活用する。その欲望は例えばこのように喚起される。

「年収一〇〇〇万円以下の配偶者との結婚は、負け組である。」
「孤独な人間は、キモい人間である。」
「仕事のデキない人間は、ダメな人間である。」

 このような言説を隠喩や暗喩、象徴・アイコンやイメージ、その他さまざまなレトリック=修辞学を用いてメディアに流通させ、若者を中心とした消費者に焦りや孤独への不安、自己価値への不安を焚きつけ、人生の価値を証明しようとする欲望に目覚めさせる。つまり単独者としての存在することへの恐怖と、競争からの脱落することへの恐怖を植え付けることによって、その存在の深部から、原油のように燃焼する価値証明の欲望を採掘するのだ。そうすることにより、低賃金でもデキる人間を目指して文句を言わず働き、収入が少なくても見た目をより最適化させる消費をする、生権力に対して従順な人間を大量に生産し統制する。そして、その生権力の支配に従わないものは「空気を読まない人間」として、相互監視のシステムに吊るし上げられ、排除されるのだ。
 相互監視のシステムとして「空気を読む」という行動様式は二〇〇七年に「KY」という言葉で流行語大賞になった。デフレ下の縮小する日本経済において、大量にいる先行世代の圧力の中で、不況下に放り出されることなく生き延びていくために、弱者生存の行動様式として定着した。デフレ時代に社会に放り出された人々にとって空気を読むという行動は生存のための必要最低条件であり、空気を読めない人間は社会からの排除の対象となった。二〇〇三年頃から、いわゆる「ニート」という「若年無業者」の存在がクローズアップされる事になったが、その原因として「空気を読む」という環境適応要件への不適合が背景にはあったと言えるだろう。
 この空気を読むという弱者の相互監視のシステムとしての「パノプティコン」は監視される側、すなわち、被支配者の中に新たな支配者層と被支配者層を作り出す。それは弱者男性・強者男性・弱者女性・強者女性という可視化された階級(カースト)であり、それらのカーストは、その中で延々と繰り広げられる階級闘争を生み出した。
 
―幸福で、可愛くあらねばならないという強迫観念―

 階級闘争やカーストの形成は、メディアによって加速される。メディアの戦略は徹底しており、動物としての本能に基づいた、伝統的な価値観への服従を要請する。端的に挙げるならば拝金主義とルッキズムであり、平成の時代、ポストモダン化する日本の通奏低音として今なお影響力を持ち続けている。この拝金主義とルッキズムはSNS・ソーシャルメディアの時代に更に加速し、拝金主義の強者が拝金主義の弱者に「負け組」とレッテルを貼り、また、ルッキズム強者が弱者にマウンティングし、自らの顔面の偏差値や外貌の戦闘力を誇示することで、ルッキズム弱者から自己肯定感を吸い上げる「マウンティング・ヴァンパイア」として蔓延るような傾向はますます強まっている。

 この拝金主義やルッキズムは男性にも大いに影響を与えており「イケメン」というワードは九〇年代後半から大量に流通し、「イケメン・年収一〇〇〇万円」という条件を満たさない男性は、戦後社会には存在した「普通」という位置を与えられずに、一気に「下流」という最下層の人間と認定されるというプレッシャーを与え続けられている。
 このプレッシャーは男性に「デキる男」にならなければならないという至上命題を背負わせる。この男性に背負わせた至上命題は、二〇〇〇年頃の不良債権処理に伴う不況、〇〇年代のリーマンショックに伴う不況を、心身を壊し、鬱になるほどの過重労働によって乗り切るという、秘められた暗黙の大本営戦略=国家生存戦略を下支えした。多くの企業戦士たちは上司の顔色を窺い、最終電車や完全なる徹夜といった過重労働を進んで引き受けていった。「デキる男」という勲章を受け取るには、この困難をくぐり抜ける事が通過儀礼なのだという暗黙の空気による支配と重圧に、従属し適応する事を自らに課したのだ。このアナトモポリティーク(規律の生権力)は強力な被支配者の規律システムとして平成の社会を支配していった。(しかしながら、その戦線の途中で多くの脱落者が産み出された。皆さんは中央線が止まってしまった回数を覚えているだろうか?)

 他方、「年収一〇〇〇万円のイケメン」という通奏低音は、結婚市場という場においても宿命的に華麗なメロディーが乗せられ、一つの重厚な交響曲として壮大なハーモニーを奏でた。その交響曲は「あの無料の結婚情報誌」という舞台で演出され、オーケストラと指揮者を招いたコンサートのように、いかにも荘厳に、品性が良い、幸福の象徴として、いかにも甘美で華やかであるかのように演じられる。コンビニエンスストアに陳列された、大量の広告によって嵩を増したポストモダンの愛の聖典。欲望を喚起し思わず手に取らせる付録、逸脱することは許されない結婚に関する唯一の理想形の提示。

 しかしながら、このような画一的な理想のビジョンは結婚市場に必然的なある種の競争をもたらす。年収一〇〇〇万円のイケメンという層は絶対的に供給が少なく、理想のパートナーを求める旺盛な需要には十分に応えられない。その多くはルッキズム強者に奪われ、大半の人間には手元にはやってこない。しかしながら一度描いた理想は(生権力によって焼き付けられた欲望の焼き印は)そう簡単には振り払うことはできず、三〇歳に差し掛かることには年収八〇〇万円、三五歳に差し掛かる頃には年収七〇〇万円、四〇歳に差し掛かる頃には年収六〇〇万円と要求する要件を引き下げることを余儀なくされる。しかしながら、理想の条件を下げていったとしても、それらの条件が当てはまる異性はその年齢の時には既にパートナーを見つけており、そのような原理により、婚期というのは遅れに遅れ、気づいた時には晩婚化・未婚化・不出生という「負のバイオポリティーク(生―政治=人口統制システム)」に絡め捕られていった。
 
―結末としての敗北者―

 このような競争は、二〇〇四年に流行語大賞にノミネートされた「負け犬」というポジションに対する恐怖を背景として成立する。競争にさらされた者の深層心理として、いわゆる「勝ち組」を目指してはいるものの、現実は甚だそれとは遠く、負け犬=負け組の烙印を押される日が刻々と迫っている状況に置かれると、焦燥感とともに勝ち負けの決定日、つまり、社会的階級を決定する裁判の判決日を延期したいという願望に駆られる。
自分が年収一〇〇〇万円のデキる男になれない事実、あるいは年収一〇〇〇万円の配偶者に出会えていない事実、つまり負け組の烙印を押される事態を直視することを避け、「私は『まだ』なれていないだけなのだ、出会っていないだけなのだ」という現実逃避の願望が生まれる。こうして、判決日の猶予期間は五年、一〇年、一五年と延期され、これ以上猶予が許されない段階になってはじめて、勝ち組になれなかったという起訴事実を認め、負け組との烙印を押される刑罰を受け入れる。そのとき、ネオリベラルと言われる情報資本主義社会において、勝つこと=時代に適応することに特化したグループにこのような謗りを受けることになる。

「それは、あなたの自己責任です。」

 このような、階級決定の裁きの判決日を猶予する願望に突き動かされて、多くの人々は、パートナーを探すことも、結婚することも、子供をつくることも延期をしていった。
そうして現在では、就職氷河期世代の一定以上の人々が未婚で子供がなく、単身または親世代と同居といった、親世代が持っていた理想の家族像とは乖離した形態で現在も生活をしている。これこそが生権力による「社会的堕胎」の完成形であり、そしてこの「社会的堕胎」を受けた人々は現在では裁きの判決を受け入れ、烙印を押されることを認めて、可視化されない幸福競争の脱落者として、ひっそりと生きているのだ。

―二〇〇〇万人の「不出生」と向き合う―

 結果として、端的に記述するならば、平成という時代は本来生まれるはずの子供が二〇〇〇万人生まれなかった。いや、正確には産めなかったという表現が適切だろう。彼らは低い収入、不安定な雇用、長時間労働にさらされ、結婚し、子供を産み、育てるという決断をできなかった。収入が低すぎて結婚できない、パートナーに恵まれない、出産という不確実性と襲い来る不安に打ちのめされ「社会的に去勢」する事を余儀なくされた。また仮にパートナーと出会ったとしても結婚出産までは踏み切れず「社会的堕胎」を余儀なくされた。
 「社会的去勢」「社会的な堕胎」の構造は以下のようなものと言えるだろう。彼らは権力、いや生権力の命令により、子供を作らず、安い賃金で働き、パートナーを作ることを諦め、現実とは別の仕方で欲望される二次元の世界で消費をする事を無自覚的に選択するように促された。それは「民営化されたパノプティコン」という相互監視のシステムによって、空気という規律の身体化「空気のアナトモポリティーク」が浸透し、その結果として、時代の空気に「最適化された」強者以外の遺伝子は残さない「負のバイオポリティーク(生―政治)」が作用したとも言えるだろう。
 しかしながら、ここで筆者には逡巡が生まれる。はたして、ここまでの記述は適切であろうか。評論とは一つの物語を立ち上げることであり、時に評論することは痛みをともなう。評論という行為は、混沌とした社会にひとつのコンテクストを与え、メタな視点で世界を捉えなおすという治療の契機となり得る。それはある意味では社会の病状を自覚させ治療する「薬」となり、またある意味では社会の病巣にメスを入れる、痛みを伴った「毒」ともなる。ジャック・デリダはその著書「散種」において、この薬と毒の両義性を持った概念として「パルマコン(薬物=魔法の薬)」という言葉を再発明した。痛みを伴う毒となりえる、批評=クリティーク。わたしたちは、この時代の罪状を裁判官に告白してきた。しかしながら、わたしたちのこの「罪」と「痛み」を告白することは、未来に対しての、何かしらの罪滅ぼしになるのであろうか。

―不出生という名のアウシュヴィッツ―

 わたしたちが告白してきた「罪」と「痛み」について、もっともよくあてはまる世代としては、一九七〇~一九八二年生まれの、就職超氷河期に社会に出た、いわゆるロストジェネレーションが挙げられるだろう。第二次ベビーブームに生まれた団塊ジュニア世代を中心として、日本の人口動態の二つ目の山を形作っているこの世代。彼らが生まれた時代は、平均すると出生率一.九二という大量生の時代だ。(人口動態調査より)
 結果的には彼らの多くは、結婚・出産という選択を諦めることを余儀なくされたのだが、ここで問いたいのは、もし彼らが、彼らが生まれた時代と同じように―つまり彼らの両親と同じように―ライフステージを歩けていたならば、どのような未来があり得たのかという問いだ。このような問いを持つことは、歴史学的には誤りであっても、社会的には必要な考察と言えるだろう。
 仮に、彼らが生まれた一九七〇年~一九八二年の平均出生率一.九二のまま、現在の平均結婚年齢としての男性三一.一歳、女性二九.四歳を基準として、三〇歳に結婚出産していたと仮定する。するとパラレルな空想のみで存在する二〇一二年には、今よりも三〇九一万人も多く子供が産まれていることになる。もちろん、すべての男女が結婚するとは限らないので、二〇一八年の生涯未婚率である、男性二三.四%、女性一四.一%を考慮したとしても、概算で二〇〇〇万人はくだらないのだ。前世紀最大の虐殺と言われるアウシュヴィッツ大量虐殺の被害者は約六〇〇万人前後だと言われている。日本におけるロストジェネレーションの「社会的堕胎」としての不出生二〇〇〇万人は、シンプルに計算したとしても、アウシュヴィッツの大虐殺の三倍以上の数にのぼる。
 逆説的な架空の問いではあるが、現在アウシュヴィッツの大量虐殺については、現地や様々な場所で展示され、知らしめられ、追悼され、慰霊されている。しかしながら、このロストジェネレーションの不出生によって失われた二〇〇〇万人の「逆・虐殺の被害者」は、失われることも、知らしめられることも、追悼され慰霊されることも許されない。
 このような、逆説的な「逆・虐殺の被害者」の霊を、わたしたちはどのように弔えばよいのだろうか。しかしながら、実際には霊というのも憚られるであろう。このようなスキゾフレニア的な、倒錯した統計的計算の中でのみ立ち現れる「存在しない生者」の存在を語ろうとするならば。


―2章―「逆説的な『夜と霧』の問題」

―ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」について―

 私たちの近代の歴史において、最も完全に破壊された世界を選ぶとすれば、あまり多くの逡巡をする必要もないだろう。義務教育で歴史を学んだものならば、ナチス占領下のヨーロッパにおいて大量のユダヤ人が虐殺された、最も狂った世界線、アウシュヴィッツの収容所について連想することは難しいことではない。ここでは、そのアウシュヴィッツの収容所を生き残った、精神科医で哲学者でもあるヴィクトール・E・フランクルの著作「夜と霧」について触れていこうと思う。
 現在、アウシュヴィッツの収容所については様々な機関によって現地や様々な場所で展示され、知らしめられ、追悼され、慰霊されている。アウシュヴィッツ収容所での出来事は近代の凄惨な歴史として語り継がれ、世界中の人々に記憶されている。フランクルの「夜と霧」は世界中で読まれ、その記憶の継承に大きな影響を与えて続けている。彼は自らの体験談として収容所での凄惨で残虐な実態を伝え、また精神科医として収容所の被収容者たちの心理の変化や反応、そして死した者と生き延びた者の精神の分析を綴っており、それらの記憶を生々しく現代に伝えている。アウシュヴィッツ収容所に関する書物の中でも有数の重要な書物と言えるだろう。
 その「夜と霧」の中で、フランクルはアウシュヴィッツの収容所に送られた囚人たちが最初に起こす反応を、第一段階としての「収容ショック」と名付けている。

“「当時わたしたちは、自分たちの状況にまだそれほど深くはいりこんでいなかった。わたしたちは心理的反応の第一段階にとどまっていた。出口なしの状況、死の危険に日々、時々刻々つけねらわれていること、まわりで人がばたばた死んでいくこと。」“※②

“「『鉄条網に走る』という収容所特有の言い回しは、収容所ならではの自殺方法を言い表している。つまり、高圧電流が流れている鉄条網にふれるということだ。鉄条網に走らない、と否定形で決意することは、アウシュヴィッツではそれほどむつかしいことではなかった。自殺を試みるということは、結局のところあまり現実的ではなかった。」” ※③

“「また一方でアウシュヴィッツでは、収容ショック状態にとどまっている被収容者は、死をまったく恐れなかった。収容されて数日で、ガス室はおぞましいものでもなんでもなくなった。彼の目に、それはただ自殺する手間を省いてくれるものとしか映らなくなるのだ。」“※④

 収容ショックはまず環境への適合として現れる。そこでは自己のアイデンティティーや今までの人生の歴史、固有名を奪われ、ただ一人の、いや一つの「囚人」としての管理番号が割り振られ、被収容者としての精神の烙印が焼き付けられる。多様な歴史を持った「人間であった」被収容者たちは、環境に最適化し、少しでも長く生存する事以外の生きる目的を剥奪される。そこでは死と隣り合わせの理不尽で過酷な環境に対しての抵抗権や、自らの生を問うこと、家族の安否を想うことといった人間的な尊厳がすべて略奪され、絶滅政策に則った懲罰と過酷な労働と飢餓が永遠に続くかと思われる現実を、ただ受け入れることを強制されるのだ。

 また、フランクルは、被収容者の心理的症状の第二段階として「感情の喪失」を挙げる。

“「被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。これまで述べてきた激しい感情的反応のほかにも、新入りの被収容者は収容所での最初の日々、苦悩にみちた情動を経験したが、こうした内なる感情をすぐに抹殺しにかかったのだ。」※⑤

「嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。」“※⑥

 このような感情の喪失は、過酷すぎる環境に適応するために、少しでも長く生存するため以外の精神的活動の壊死として現れる。この感情の喪失、または精神的活動の壊死は、生きる意味の自己抹殺とも言え、さまざまな暴力、嫌悪、恐怖または憤りといった支配の中で生まれる感情を自ら思考を停止させることで遮断する、自己防衛反応とも言えるだろう。そして、第一段階として「人間であった」という歴史を忘却・消去し、第二段階で感情を「麻痺させて」思考を停止し、精神を自ら壊死させる一方、他方では自我そのものにも変化が現れ、完全に人間としての尊厳と機能を剥奪する「収容所システム」の規律化は完成する。

“「人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。」”※⑦

 こうして、自己や脳裏に浮かぶ思考・イメージさえも無価値なものとなり、完全に生きる目的を失った被収容者として、労働させるために最低限の栄養のみを与えられた、骨と皮だけの肉塊となる。足は凍傷を起こし、チフスにも感染しながら、ただ自らの人種の絶滅政策を遂行するための、つまり、自らを絶滅させるために働く自動機械となるのだ。

―不信と実存の収容所―

 このように、アウシュヴィッツ収容所は、「人間の尊厳」も「生きる意味」も破壊し尽くされるような環境であった。そこではただ絶望のみが存在し、人間として存在していた歴史さえ忘れ、ただすべての感情を喪失し、生きる目的を奪われて、自らを絶滅させるための政策を自ら推進する自動機械として、つまり「もの」として生き延びることを強制させられた。被収容者の価値は「もの」でしかなく、働けなくなったときには粛々とガス室に送られ、腐乱した屍の山の一部となる運命が待ち受けていた。

 現在の世界ではアウシュヴィッツのような虐殺は確かに行われてはいない。しかしながら前述したように、アウシュヴィッツ収容所のような大量虐殺ではなくとも、私たちの生は、まるで収容所の囚人のように相互監視され、「負のバイオポリティーク」のとして、不出生という形で逆説的に出生を管理されている。私たちの欲望が作り上げた相互監視システムである「民営化されたパノプティコン」は、空気という圧力によって私たちの行動を大きく制限し、逸脱するものを排除している。このような状況は、ただ資本主義社会の進歩的必然として作られた、合理的で効率的な経済成長のために必要な最適化されたシステムなのであろうか。それとも、私たちの生と実存を閉じ込め、強制的に搾取するための「実存の収容所」なのであろうか。もちろん、私たちの生が「実存の収容所」に例えられるのは、心外に思う人が多数だろう。しかしながら、私たちはアウシュヴィッツの被収容者のように、人間であるということを忘れてはいないだろうか。これは直接的過ぎる問いかもしれないために言い換えるならば、例えば他者の痛みに同情することを忘れることはないだろうか。湧き出でる本当の自己感情を抑圧し、喪失してはいないだろうか。自己の脳裏に浮かぶ思考やイメージ、あるいは夢のようなものに価値を見出せているだろうか。愛するものに充分な愛情を注げているだろうか。そう、価値や意味、生きる目的といったもの、あるいは愛といった普遍的な価値を信じることができているだろうか。
 フランクルは収容所の中で、絶望の中でも生き延びることができた人間と、それができなかった人間の違いを以下のように洞察している。
“「強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの的を射た格言だろう。
『なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。』」“※⑧
“「もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神的にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人々には、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。」” ※⑨
 フランクルは、収容所を生き延びるにあたって、生きる目的を失わないこと、精神の自由を保つこと、虚無主義に陥らないことが生死を分けることを目撃している。「不信」というものは、極限の状態になったときには、その者を絶望の底へと陥れる罠となる。人間は自己不信、他者不信に陥ったときには生きる目的を見失う。目的を見失った生は、ただ情報として流通する欲望に振り回され、価値と意味に対して視野狭窄になり、視界を徐々に喪失する。絶望というものは、その徐々に狭くなっていく視界の暗闇部分に幻視されるのだ。

―実存疲労、あるいは虚無、冷笑、憂鬱―

 信じることを信じられない、不信。前述したように平成という時代を生きてきた人々は、改めて言うならば、逆説的な「実存の収容所」を生きてきた人々と言っても過言ではないだろう。この実存の収容所は、何かを信じること、意味を見いだすこと、価値を感じることを多くの人々から奪い去った。これらの信じること、意味、価値を感じる能力を奪われた人々は次々と、アウシュヴィッツの収容所の囚人のようにニヒリズム(虚無主義)に陥っていった。
 ニヒリズムは、突然には症状として発症しない。ニヒリズムはそれ自身を「増殖」させるため、長い潜伏期間を設ける。その潜伏期間の間にじわじわと感染領域を拡大させ、宿主を内側から蝕んでいく。そのニヒリズムの宿主は長い潜伏期間のあと、次のステージの症状を発症する。つまりシニシズム(冷笑主義)の発症だ。このシニシズムは、一時的に患者の感覚を麻痺させる。さらには脳髄に達して、快楽にも似た愉楽をもたらす。人々はこのシニシズム特有の愉快さにしばらくは病みつきになる。他者に嫉妬し、その嫉妬を対象にぶつけ冷笑し、留飲を下げたような感覚に陥る。あるいは正義という名の棍棒で、匿名性の安全地帯から他者を殴りつける。このような享楽の波にのまれながらしかし、そのシニシズムは確実に脳髄を汚染し、実存の各機能を衰えさせていく。そうして、やがてその実存者は冷笑することにさえ疲れ果てる。冷笑主義は、実存疲労、精神の倦怠感をもたらし、次第に冷笑主義者の表情からは冷たい笑いすら消えていく。最終的に残っているのはメランコリー、つまり完全に冷えきった憂鬱だ。

―無力感―

 明けることのない永遠の暗闇の中で、凍傷になるほどの冷え切った憂鬱を抱え、あらゆる感覚を喪失し、痛覚も麻痺し、異物としての身体を持った、脱け殻になる。そのような抜け殻たちが、平成と令和という時代の裂け目に亡霊としてさまよい続けている。
 令和という時代が、楽園の祭壇へと至る輝かしい道となるのか、あるいは脱出不可能なディストピア、つまり「実存の収容所」への沈鬱な一本道になるのかは、だれにも分からない。運命論は現実性の全一性に基づいた、平坦な未来を要求する。運命論的に代わり映えのないのっぺりとした未来という時間が、ただ訪れるだけなのかもしれない。仮に、未来が輝かしいものであるとして、その輝かしい未来はオートマティックには訪れない。輝かしい未来は、その代償としての何らかの犠牲を要求してくるのだろう。
 収容所の霊魂はこのすべてが忘却された時代に、固有名を剥ぎ取られた実存の残骸である亡霊たちに、「人間A」として、最後の、一生で一回きりのパレーシア、つまり勇気を持って真理を告白することを要請する。私たちロストジェネレーションが二〇二〇年代、令和という新時代を装った死刑台に登る時、冷淡で無表情な宣教師を前にしてその罪状を陳述するならば、私たちは、その「愛」という存在を、「信」というその確かなる実在を、自らの不明によって信じられなかったのだ、と告白するのだろう。
 「神がどこに行ったかって?…おれがおまえたちに言ってやる!…おれたちが神を殺したのだーお前たちとおれがだ!おれたちはみな神の殺害者なのだ!…世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ!」
(フリードリヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」)
 一九世紀、最も暗闇の深淵を覗いた哲学者が、完全なる漆黒のインクで書き残した暗黒叙事詩(ダーク・リリック)は、二〇世紀のキリスト教における欺瞞に満ちた信仰と、時代遅れとなった倫理体系を打ち砕いた。そして二一世紀においてもなお、われわれの虚無で他者の承認に依存する虚弱な実存を、鉛の銃弾がガラスを撃ち抜くかのように貫通する。 
われわれは実存の収容所において「何者かになりたかった、承認されたかった」という欲望の存在をひととおり告解したあと、手足を縛られ、目隠しをされ、憂鬱の銃弾でその頭を撃ち抜かれる。そこには怒号も歓声もなく、ただ底が見えないような孤独と、耳鳴りがするような完全な沈黙がある。処刑はあくまでも、粛々と実行される。
 そのとき、処刑執行人はなにも語らない。―ただ、冷ややかに、笑う―のだ。

―実存と超越性―

 人間は、どこからか、超越性を調達してこなければ人間的にはならない。通常の人間であれば、それは「愛からの超越性の調達」で良いだろう。しかしながら、ニヒリズムの時代において、その愛という概念すら危うくなっている。愛への不信、あるいは―「信じること」を信じられなくなること―は、実存を蝕み、自己不信、他者不信へとつながっていく。この自己不信、他者不信に陥った状態では人は少しのストレスに触れただけでも自己肯定感を「ガリガリと」削られていくことになる。通常であれば、この段階でその実存者は治療が必要なのだが、しかし情報社会と時代は囚人を休養させることを許さない。時代はその実存者が完全に燃え尽きるまで、何かを欲望し、他者を憎悪し「なにものかになる」ように命令し、内側からその実存者を突き動かすのだ。このようにして、完全に自己肯定感という「オイル」が切れてしまった状態で、さらに、と欲望と憎悪の「アクセルを踏んだとき」脳と精神のエンジンは完全に「焼き付く」。このようにして実存者は病んでいくのだ。これは絶望の原理(メカニズム)とも言えるだろう。

 大きな物語、つまり時代への信頼、あるいは自己を奮い立たせるような「意味」。傷付いて疲労した実存者たちは起き上がる「意味」を見出だすことができなければ二度と立ち上がることができない。「セルフネグレクト」に陥った実存者たちは、誰にも存在を把握されず国家の統計上にも現れない魂の死者となる。
 人間は自己を奮い立たせるとき、起き上がる「意味」を見出だして再び立ち上がろうとするとき、最もエネルギーを必要とする。生き延びへの「意志」を沸き上がらせるときにこそ他者の賦活を必要とする。この一連の行為が「救済」と言えるだろう。絶望は立ち上がることができれば実存を逞しくする一種の試練と言える。人間は立ち上がることが求められる宿命にある。絶望の反対概念は至福だ。
 フランクルは、収容所での自らの精神的体験をこのように綴っている。
“「目前にある惨めな死に最後の抵抗をこころみるうち、あなたは、いちめん灰色の世界を魂が突き破るのを感じる。最後の抵抗のうちに、魂がこの惨めで無意味な世界のすべてを超え、究極の意味を問うあなたの究極の問いかけにたいし、ついにいずこからか、勝ち誇った『しかり!』の歓喜の声が近づいてくる。…光は暗黒に照る…。」” ※⑩
絶望の口直しは、このようなもので良いだろうか?


―愛と自己同一性―

 「実存」は関係的な存在の総体であり、「あなた自体」に眼差しを向けるとき、あなたの実存の中心にある「自己同一性」はあなたのみでは完結しない。自己同一性は他者との関係、また人間としての他者だけではなく、愛する動物や愛する物、愛する植物など、自己と関係するすべてのものに「分有」されている。愛する人を失うということは、その人に分有した、自己同一性の一部分を失うことによって悲しみと苦しみの感情を引き起こす。心に穴が空くような気持ち、喪失感、取り乱すような混乱、沈痛感。愛する人に預けた「私を証明するパズル」のピースが戻って来なくなる、そのような現象が自己同一性の部分崩壊を引き起こし、実存に痛みを感じさせている。このような自己同一性の部分喪失は人だけとは限らない。例えばあなたが長年愛情を注いだペットが亡くなったとき、ペットロスのような強い喪失感を心の中に覚えるだろう。あなたが長年住んだ家から引っ越しをするとき、その家に詰まった幼少期からの思い出や見慣れた風景、そのようなものへの別れに哀愁を覚えるだろう。また、例えばあなたが生まれ育った地元を離れ、東京へと向かう新幹線の中で、形容しがたいような不安とさみしさを感じた事はないだろうか。家族や友人や大切な人、また大切なものや大切な時間、大切な風景にあなたの自己同一性が分有されるからこそ、その大切なものすべてを愛する事が、あなたの自己を同一なものとして自立させる事になる。単独での自己同一性は成立しないのだ。
 フランクルは収容所の中で愛する妻を失った。しかし彼は収容所から生還するまで、その事実を知らなかった。しかしフランクルは自らの思弁によって、妻との愛の経験を再起動する。彼は絶望に打ちひしがれたときに、想像の中の妻との会話をした。もちろん生きているのか死んでいるのかすらも分からない。しかしながら、彼は想像の中で妻の愛に触れることができたのだろう。
 愛は超越論的で且つ世俗的な「触れられる神」だと言えるだろう。想像上にありありと描かれた「愛のある生」、「あり得たかもしれない愛の経験」や「思弁上の神への接触」を希望として、フランクルは人類史上にも残る壮絶な死地を生き延びた。しかしながら、彼は生き残ったのだろうか?それとも、深淵な絶望と絶命寸前の虚無に陥る度に、再び生き返ったのだろうか。 フランクルは生き延びた「生存者」であるのか。それとも再び甦った「来るべき生者」であるのか。
 私は問う。「どっちだ?」と。


―3章―「絶望の後で―この生を、生き延びること―」

―絶望の海を、泳ぎ続けること―

 絶望というものが、限りなく深い濃紺の海だとするならば、平成という時代は、その限りなく深いブルーの海を皆が必死に泳ぎ続けた時代と言えるだろう。わたしたちは濃紺の海の中をただひたすらに泳ぎ、疲れ果てて沈んでは絶望し、しかしまた浮き上がり、息継ぎをしては潜水し、再び泳ぎ続けるという、ゴールのない水泳のように生き続けていた。
 あなたが平成という時代を泳ぎ続けていた間、太陽はあなたの周りを何回回り続けたのか。そんなことは、誰も覚えていないのだろう。ただ、あなたが「もうすぐだ」と思い続けていたゴールには、実際のところ何もなく、あなたが何かに辿り着いたような気がしたとき、そこには愛する人も誰もおらず、ただ「失われた三〇年」という時間の金魚鉢の中を、延々と泳ぎ続けていただけだという事実に気付かされたかもしれない。
 沈んで、潜って、泳いで、浮かんで、世界が回ったその回数を数えてみても、そこにあるのは、ただ長い間の潜水で冷え切ってしまったあなたの実存だけであり、その実存は絶望の深い藍色に染まり切ってしまっているかもしれない。しかしながら、たとえ絶望のその藍色に染まってしまっていたとしても、わたしたちはもう一度、息を止めて新しい時代の海に潜水するしかないのだ。

―信(foi)と可能性―

 ここまで筆者は、この平成という時代を貫いてきた絶望の原理あるいは負の通奏低音として「不信=信じることを信じられないこと」に現代の病理の原因を見てきた。この不信は自己不信あるいは他者不信へと繋がり、実存を衰弱させる。この不信の構造を紐解くために、まずは「信じる」とは何か、「信」とは何かという問題を解決する必要があるだろう。
 この「信」について、ジャン=リュック・ナンシーはその著書「脱閉域―キリスト教の脱構築Ⅰ」において以下のように述べている。
 “「信(foi)は、通常の意味での信じることではなく、反対に理性の行為である。つまり、無限に理性なしで済ませるもの=理性から発して理性みずからを超えるものへと、みずから進んで、自己を関係付けるような理性の行為である。」”※⑳
 “「キリスト教的な保証とは、いわゆる宗教的な信仰=信条のカテゴリーとは完全に対極にあるカテゴリーにおいてのみ起こりうる。この信(foi)のカテゴリーは、不在性に対する忠実さであり、あらゆる保証が不在なところで、この忠実さに確信を抱くことである。」”※㉑
 信(foi)は、理性から発して理性みずからを超えるものへと、みずから進んで、自己を関係付けるような理性の行為であるという。言い替えると、信(foi)は理性から発して、合理的な因果性を超えて主体へと結び付くものと言える。またナンシーは、信(foi)は不在で現前しないものへの忠実な確信だとも述べている。そう、信(foi)は現前しないもの、既存の形而上学で説明できないもの、ようするに思弁的な概念であり、わたしたちの持つ「可能性」として現れる思弁上の潜在的な力学とも言えるだろう。その、わたしたちの「可能性」と「主体」とを結び付けるものが信(foi)であると言えよう。
 このような信(foi)の持つ思弁的な性質は、別の言い方をすると三大宗教の信仰上の核心であり本質なのだとも言えるだろう。しかし、このような形而上学の外部にある思弁的なレイヤーに存在する力については、哲学的には神秘主義的な表現で表すか、否定神学的な表現でしか言語化できない。信(foi)は哲学と神秘主義の境界面あるいは接点にある概念と言える。しかしながら、信(foi)というものが現前しない形而上学の外部にあるものだからといって、われわれの実存とは全く関係がないものとは言えない。なぜなら実存の前提にあるものこそが「信じる=信(foi)」というそれ自体だからだ。
 ジル・ドゥルーズは著書「ニーチェと哲学」で以下のように述べている。
“「未来と過去の無垢を信じること、永遠回帰を信じること。実存は有罪とは考えられず、意志も自己自身が実存することを有罪とは感じない。それこそニーチェが彼の喜ばしき伝言と呼ぶものである。「意志、このように解放者と喜びの使者は呼ばれる」。」“※㉒


―永劫回帰と運命愛(アモールファティ)、それ自体―

 ニーチェは実存の病の原因として「意味」と「価値」の喪失を挙げる。ドゥルーズはニーチェの哲学の目的を以下のように説明する。
「ニーチェのもっとも一般的な企ては次のことにある。すなわち、哲学のうちに意味と価値の概念を導入すること。」※㉓
 欲望と情報、あるいは都市と疲弊した社会の喧騒に紛れ、人生における「意味」と「価値」を喪失した人間に対して、ニーチェはその回復のために「戯れる者」になることを要求する。「戯れる者」とはどういうものか。それは「一時的に生に身を任せること、次に一時的に生を凝視すること」(※㉔)とドゥルーズは解釈している。つまり、一回限りの生において、その生を凝視し、運命に向けて「賽子の一擲」を投じることをニーチェは求めるのだ。近代合理主義や因果律からの逸脱、「意味」と「価値」を喪失させる、勝ち負け論的なレールからの離脱、あるいは相互監視のパノプティコンからの逃走。代替可能で記号的な実存を抜け出し「運命」を意識すること。この実存における「賽子の一擲」について、ドゥルーズは以下のように美しく表現している。
 “「一回における全偶然。欲望され意志され望まれた目的論的組合せではなく、運命の組合せ、運命的で愛される組合せ、すなわち運命愛(アモールファティ)」”※㉕
 この運命愛に包まれるとき、わたしたちの時間感覚は、過去から現在、現在から未来といった、水平に流れる時間から、逆流する滝のように「垂直に」立ち上がる時間感覚へと変化する。永劫回帰は、たとえあなたが無限回、絶望の淵に墜ちたとしても、原理的に、無条件に、無限回、再びあなたを全肯定する。
 永劫回帰の原理は、あなたがいつからか「それ」を信じることをやめてしまっていたとしても、子供のころには、はっきりと目に浮かんでいたであろう「それ」を、無限回、あなたの前に提示する。―疲れ果てたあなたには「それ」を直視できなかったとしても、微かな「それ」の残骸が、かえってあなたを苦しめたとしても、たとえあなたが「それ」を語る人を、冷たい凍えた眼で見るようになっていたとしても―だ。永劫回帰が提示する「それ」は 望まれた未来の「それ」であり、わたしたちが歴史的に語ってきた「それ」であり、理想として述べられてきた「それ」自体である。「それ」の不在によって私たちは苛まれ、また「それ」を求めることによってわたしたちは煩悶し、しかしながら「それ」があることによって生かされているもの―「それ」自体―が、永劫回帰のもとにおいて、原理的に、無条件に、無限回、あなたの前に提示されるのだ。「それ」は別の名では「希望」とも呼ばれているものである。

―感染症、或いは「生き延びる」こと―

 現在、世界を覆っている感染症、それは確かに死に至る病であり、世界を混迷させ得るものであり、わたしたちから光を奪う病理であるかもしれない。そして、おそらくその感染力は、絶望と類似していると言えよう。不信や怒りは潜伏し、無自覚なまま伝染し、多くの人が憤る心に胸が詰まり、呼吸が困難になっている。ネットワーク上の憤りの連鎖は、感染症の連鎖のように目には見えず、いつのまにか憎悪が社会全体に蔓延している。その憎悪は長い潜伏期間を経て、絶望へと変異する。憎悪と絶望は古代から続く永遠の病 と言えるだろう。
 おそらくもう、わたしたちは絶望に感染しているのだろう。わたしたちは業(カルマ)や因縁、望ましくない運命などに、接触し過ぎているのだろう。あなたがもし、闇夜のベッドで一人、込み上がる情念に体温が上がり朦朧としているならば、眩暈をともなう絶望という感染症に侵され始めていると言えるだろう。
 絶望は、死に至る可能性もあり、また生に至る可能性も含んでいる。わたしたちは、この生に死を望むことも可能であり、生を望むことも可能である。わたしたちにとっての生とは、その反芻される逡巡の中で、選択を迫られながら自己決定をしていく営みと言える。
ここですこし、乾いた喉を潤そう。少し解熱の気配を感じよう。ある哲学者は生き延びることと言い、またある哲学者は生の躍動とも言うこの生において、わたしたちのこの実存の根底にあるものに、別の説明可能性を見出してみよう。
 わたしたちが罹患した、絶望という根源的な病から生き延びるために、わたしたちが渇望するのは治療薬やワクチンや酸素なのであろうか。否、それは違うだろう。今、わたしたちが必要としているのは、この世界で生き延び続ける生存者としての「この生の無条件的肯定」(※㉖)という、絶望と対峙し得る信(foi)なのではないのだろうか。そしてわたしたちが今、最も渇望しているのは、実存の奥底から湧き起こる生の実感、すなわち「あたうかぎりの強烈な生」(※㉗)なのではないのだろうか。





出典
※①ミシェル・フーコー「性の歴史Ⅰ知への意志」
渡辺守章訳 新潮社 p176
※②~⑩ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
新版 池田香代子訳 みすず書房
※②P28 ③④P29 ⑤P33 ⑥P35 ⑦P82 ⑧P128
⑨P58 ⑩P67
※⑳~㉑ジャン=リュック・ナンシー大西雅一郎訳
「脱閉域―キリスト教の脱構築Ⅰ」現代企画室
※⑳P51 ㉑P71
※㉒~㉕ジル・ドゥルーズ「ニーチェと哲学」
江川隆男訳 河出書房新社
※㉒P83 ㉓P19 ㉔P65 ㉕P68
※㉖~㉗「ジャック・デリダ 死後の生を与える」
宮﨑裕助 岩波書店
※㉖P242 ㉗P243


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