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メディアの力。

右向け右の世界。

現代社会で、マスメディアはとんでもない力を持つ。時として、武力によるテロ以上なんじゃないか、というぐらいに。

思い当たる節はあるんじゃないだろうか?

テレビで取材されたお店は次の日から行列ができる。ある有名人・インフルエンサーなどの影響力がある人が発言をすると、爆発的に商品が売れる。

実際、Youtuberのヒカルさんがロコンドとコラボしたことによって、こんな不況の時代にうなぎ上りで靴が売れている。2億円ほどの売上だ。株価が上がってしょうがない。あれだけ叩かれていたオフホワイト宮迫さんもYoutuberとして安定してきている。


ニュースを見たり、何かしらに影響されて「これは間違いない!」「早く買わないと!」と思って、焦って行動をします。

タピオカ屋さんに並んでいる人も一緒です。タピオカ屋さんに行列を作る人の多くは、タピオカが美味しくて死ぬほど飲みたいから並んでいるのではなく、テレビで紹介されてたから〜、SNSでみんな飲んでいるから〜、と他の人が紹介しているから美味しんじゃないかと勝手に思い込み、自分も並んでみようと集まってきている場合がほとんどです。

こうした光景は街中でよく見かけられます。


なんちゃってYoutuberの誕生。

メディアに踊らされて、すでに出来上がっている市場に参入している Youtuberとも言えるのかわからないような人がたくさんいます。

すでに影響力を持ったような人気のある人、もしくはニッチな分野で何かしらの専門分野を持っている人がやるならともかく、ちょっと可愛い・かっこいいだけの人が参入するのにはもう遅い。

何か別のキャッシュポイントがあって、マーケ的に使うのであればまだわかるが、今更すでにやっているような企画をしたところで、相当な動画編集能力や資金力がないと何も生まれないのは言わなくてもわかる。

今参入している人の多くは、ヒカキンさんやはじめしゃちょーさんなど一般人からYoutuberになり、すごいお金を稼いでいる・有名になれる、といった断片的なところしか見れていない可能性が高い。

期待値爆上がりで参入してきているなんちゃってYoutuberはお金が出ない潜伏期間を耐え忍ぶことができません。ヒカキンさんですら、無賃でヒューマンビートボックスの動画がバズるまでに2,3年はかかったといいます。広告収入が得られるまでに莫大な労力と時間がかかることを考慮していないのでしょう。

結局のところ、継続すればコツが掴めたり、経験値が貯まって、レベルアップして進化みたいなことが起こります。その時になってやっと芽が出て、花が咲きます。


メディアを信じた人の末路。

ちょっと昔の話ですが、バブルの時代はちょっとしたサラリーマンですら土地・株を買って、資産運用する時代でした。

事実今じゃ考えられないぐらいに土地の値段は上がっていたのですが、「土地はこれから値段が上がる!」と、メディアが不動産の人が声をあげて勧めていました。

僕が思うに、お金を転がす感覚があるのはいいことだと思うのですが、言わずもがなバブルは弾けます。バンッと弾けた経済によって、土地は暴落、あらゆる人が企業が倒産まで追い込まれました。ガタガターと積み木が崩れるように一瞬です。


お金のルールとして、すでに多くの人がやっている安心安全というものほど無益。タピオカの行列に並んでいるのと変わりません。

早い段階で自分の嗅覚でビジネスの種を探し当てて、乗ることが良かったりする。すでにメディアなどで紹介されている場合は、もう遅いと思った方がいい。縁がなかったと考えるべきです。

よく言われる話で、「お金持ちになりたいなら一般人と真逆の行動するといい」というものがあります。

確かに、行列ができる飲食店は空いてる時間に行きますし、テーマパークは平日のお客さん少ない時に行くなあ、と。そのほうが時間もお金も短縮できて、ストレスフリーで快適です。


もはや中立性などない。

メディアは中立性を謳って、「僕は事実を報道しているだけだよ〜」と知らんぷりします。でも、そこの裏に隠されているのは視聴率とお金だったり。

その過剰な報道は、誰かを傷つけたり、影響を与えたり、様々です。いい影響だけだったらいいんですけど、そうもいきません。そのメディアに釣られたリテラシーの低い人たちが騒ぎ立て、周りの人を不安にさせます。

日本は良くも悪くも”輪の文化”です。調和を乱すものは嫌われたり、大多数の意見によって、少数派は消されたり、出る杭は思いっきり打ちます。

赤信号みんなで渡れば怖くない。

誰が考えたんでしょうね。まさにこれ。ルールを破っていも、みんなでやってれば怖くないと錯覚してしまうんです。正しいことが数によって潰される瞬間です。

よく「炎上」という言葉を見かけますが、それは自分側から見たときだけの意見だったり、反対側から見たら「いや、でも〜」と反論もしたくなるような内容だったり。よくそんな人のネガティブな粗探しばっかりできるよな〜とつくづく思います。

もうちょい優しい世界になればいいのに。


責任のない世界

何かを発言すると責任が伴う。それを放棄して、メディアを使って発言するからおかしくなる。自分で思ってるだけならいいんだけどね。

発言する権利には、必ず責任が伴うはずなのに、それが今のメディアでは少なくなっている。権利主張の激しい人間が作り上げられる世の中の構図。

何かしらで晒された人物は途端に強襲を受けた形になります。後ろからバットで殴られたかのような感じ。こそこそ影から石を投げるような陰湿さだ。

”優先したい大義”があるなら発言して結構。ただ殴るなら殴られる覚悟あるよね?っていうのは、どこの世界行っても一緒なんじゃないかな。

責任を負える人はどこにいっても重宝されます。

例えば、組織で仕事をしていると誰かが必ず手を抜きます。誰かが何とかしてくれる。上の人がけつ拭いてくれる。と他人をあてにします。そういう文化が蔓延していった瞬間、会社という船は沈没確定です。手を抜く人を大切にする必要はありません。

一緒に何かするならもちろん責任ある人がいいですよね。


本気で仕事してたら、本気になってくれる人がいます。

そういう人と船を進めていきたいですし、僕もこうやってノートを書いて発信している以上、責任は伴ってくるので、良い緊張感と、良い影響力をばらまいていけるように、一貫して書いていけたら良いなと、しみじみ思いました。

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