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物思いNo.22:メンタルブレイクからの復活と学び

さて、今回はこんなお話。
※長文です。

メンタルをブレイクしてしまって、一時期お休みしていた方が、最近職場に復帰してきました。
ありがたいな・嬉しいな、と思いつつ、無理しないように、とも同時に思います。

私は一度メンタルをブレイクしてしまうと、完全には元に戻らないと考えています。
元の姿に近しくなったとしても、まったく同じではない、ということ。
折れた木をものすごく正確につなぎあわせても、1つだったものが2つになった、という事実は消えないように。
寛解、という言葉があります。
生活に影響がないレベルには症状がおさまっているけど、まったくのゼロではない、という状態。
なかなか言い得て妙だと思います。

メンタルブレイクから立ち直れる人もだいぶ限られるでしょうし、それをさらに糧にできる人もさらに絞られるのではないでしょうか。

若い頃、それこそ高校生の頃の話ですが、私もメンタルをブレイクした経験があります。
いまでこそメンタルヘルスの興味関心が高まっていますが、当時はまだまだそんな雰囲気ではありませんでした。
「うつは心の風邪」という表現がやっと世に出てきた程度。
いまとなっては、風邪、なんて生やさしいものではありません。複雑骨折くらいでしょう。

あの時の記憶はもう薄れつつありますが、できる限り思い出してみます。

●きっかけ

当時付き合っていた、彼女に突然ふられたことがきっかけでした。
自分にとっても初めての交際経験でした。まぁなんて甘酸っぱいのかしら。

高校2年生の12月です。
ちょうど、期末テストの時期でした。
これまでも、テスト前はさすがに勉強しようと、連絡も控えめにしていました。
テストが終わり、開放感でうきうきしていたら、なぜか彼女と連絡がとれない。
メールが全然返ってこない。
遅くてもその日のうちくらいにはリアクションがあったのに、まったく返ってこない日が数日続きました。
流石におかしい。何か変なこと言ったっけ?やらかしたっけ?いや、だってテスト前だったし…。
皆目見当がつかないという状況。

モヤモヤした気持ちをかかえて何日か経った頃、彼女からとある場所へ来るようにと連絡が。
部活が終わった後にそこに向かうと、約束通りいました。
「いったいどうs・・」
『連絡してなくてごめん、もう別れよう』
「・・・えっ?」
『10月くらいからなんだかもう飽きちゃったてた。じゃあ。』
「・・・・・・」


突然。
理不尽。
意味不明。
こちらからの質問、確認の余地もなく、強制的に終了。
茫然自失、からの怒り。
なんだそれ。せめて納得できる理由をくれ。
飽きられた、と言われた10月とかも、普通にデートしてたやんけ。
俺なんかした?!なんか悪かった?!教えてくれ!!!!!!

本当に飽きられたのか、それともなにか別の理由があったのか。
結局真意はわかりません。
ただ、突然の失恋は事実。
当時の私は、結構な真面目君だったので、結構、彼女との休日のデートとか、平日の何気ないやりとりが生きがいの一つだったんですよね。
文字通り、心にポッカリ穴があいた状態になりました。

そして、そこにさらにとどめを刺した経験があります。
12月にフラれ、年が明けた1月。
小・中学校と一緒に過ごしていた友人が、突然亡くなりました。
原因はお風呂での事故。
俄には信じられませんでした。

毎日のように学校帰りにそいつの家に行き、お菓子食べながらゲームをやっていた思い出。
漫画やゲームの必殺技を真似していたりとか、年齢相応の遊びをずっと一緒にしていたのです。
高校に進んで学校は別になったけど、引っ越したわけでもないので、「元気にやってるみたいだ」と聞いているくらい。

そんな友人の、死。

自分からは遥か遠くにあった、「死」の概念。
それが突然、自分のすぐそばに現れた瞬間。
とてつもない恐怖でした。

当たり前が突然当たり前じゃなくなる経験が短期間に重なった結果、いよいよ壊れたのでした。

●ブレイク中の世界

箇条書きでいきます。
・世の中全般の出来事に対しての興味関心を失う
・勉強、部活、すべてのことにやる気を喪失する
※当時通っていた予備校内での模試で最下位をとった記憶があります。
・見えている世界がモノトーン
・食事がおいしくない/味を感じない
・自分の意志で行動している感覚がなく、すべてが「言われたからやっている」感覚
・惰性の行動のみ可能
・人とのコミュニケーションが億劫
・何もしていないのに涙が出る、ため息が止まらない
・失恋のシーンと友人の死のことが何度もフラッシュバックする
・希死念慮(踏切のど真ん中で立ち止まってた)
・自傷行為(グロテスクなので具体的には控えます)

すべての生産性、活動性が減退していました。
いま振り返って言えることは、この期間は生き地獄でした。
もしこの時に病院に行っていたら、確実にうつ病の診断がでたでしょう。
明らかに自分でもおかしいと思っていたのに、周囲には言えませんでした。
それが親でさえも。いや、親だからこそ、言えなかったかもしれません。

周囲からも、一目瞭然で「あ、こいつやべぇやつだ」とわかるような様子だったでしょう。
実際に、「こいつフラれてへこんでやんのwwww」と変につっかかってくる人もいました。
それにリアクションするのもできませんでしたから、次第につまんなくなったのか、何もされなくなりました。
まさに、腫れ物に触るように距離を置かれていました。

●立ち直りのきっかけ

いつ頃に立ち直ったのか、は曖昧なのですが、おそらく、メンタルブレイクしてから、半年くらいでしょうか。
自転車で学校から帰っている途中でした。
ふと、
「生きることに正解なんてないけど、別にそれでいいし、答えを探し続けるのが、答えかもしれない」
「こうじゃなきゃいけない、とか、決まっていない。誰が決めたんだ?」
「別に、どうにでもなるだろう」

と思い付いたのです。

その瞬間、世界が明るくなった、というか。
モノトーンだった視界がカラーになった、というか。
そんな感じになったのを覚えています。

その時聴いていた音楽が、B-DASHの平和島。
今でもこの曲は好きですし、何回聴いても飽きないし、なんとなく歌詞の内容もその時の自分とマッチしていて、決意を新たにしたむず痒さを思い出します。

B-DASHの“めちゃくちゃ語”の存在も、型にはまらないことへ、「これでもいいんだぜ」と背中を押してくれたのかもしれません。

●学び

立ち直った後は、一度変わってしまった周囲との距離感を無理に修復せず、上部の付き合い程度で、高校卒業まではじっとしていました。
ただ、自分の努力でどうにかなる勉強や部活へは気持ちを入れ替えて臨みました。
「この経験全てを糧にしていこう、これを使わない手はない。こんな計毛権をした人はあまりいないだろうから」と、完全に振り切りました。
結果として、その時の頑張りは今にも通じています。
功績の最も大きなものは大学進学の推薦をゲットできたこと。
うん、振り返ってみても、よく頑張ったよ、当時の自分。

なお、メンタルブレイクのきっかけである元カノさんとは、その後の高校生活でも姿を見かけるのですが、動揺することもなくなったし、避けることもなくなりました。
そういえば現在は、元カノさんはどうしているのでしょうか。まったく知りません。知る気もありませんけども。

いまもなお、自分にとっての底辺の状態とは、このメンタルブレイク時の状態です。
そう思うと、並大抵の状況では、ショックを受けたり、動揺することは少なくなりました。
自分がやらかしたことがある人間は、人に優しくなれるものです。

なお、メンタルブレイクの時期、離れていった友人は多くいます。
また、当時を知った上でも、いまもなお関わってくれる友人もいます。
どちらを大切にするかは一目瞭然でしょう。
これからも恩返しをしていきたいと思っています。

最後に、平和島の歌詞から少し抜粋してまとめましょう。

「もう僕は負けないよ、この辛い道のりに」
「マニュアル通りに生きたって、何も始まらない」
「僕らの歩いてゆく道はアスファルトなんかじゃない」

いま、もし心が折れている方がこれを読んでいれば。
何かの参考になれば幸いです。

それでは、今回はここいらで。


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