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【語彙力こそが教養である】院生/修士生ライフブログ。Day2(4月2日)

こんばんは。たまひなです。

昨日から、この「院生/修士生ライフブログ」を始めてみたのですが、100日間は続けます!!と豪語したので、かなり緊張しています(笑)

ゆる~く前置き

最近自分自身の憧れる人は、みな豊富な語彙力を持っていらっしゃるなと感じています。大学の教授、社会人の方、知的だな、惹かれるなと思う方々は、皆、語彙が豊富!!

私自身、言葉を使って表現していくことは好きなのですが、中々、彼らのように、物事を的確に表現したり、エッジの効いた喋り方ができないなと思っています。

そこで、院生になるので、語彙力を鍛え、プレゼンや論文で自分の納得する言葉で、他者に伝える練習をしたいと思っています。

そんなことを思っていると、斎藤孝 著の『語彙力こそが教養である』という本を図書館で見つけたので読んでみてます。

以下本題↓『語彙力こそが教養である』を読んで。

本の説明をきちんとしようと思うと、あれこれ書きたくなって、絞ることが難しいのですが、印象に残っている箇所を挙げ、私が考えたことを後述する形にしてしまいます!!気になった方は、是非、本を手にとってお読みください。

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「教養は言葉の端々に表れる」から考えたこと。

「語彙」とは教養そのものである。しかもその「教養」は、会話の表現力や、説明力に直結し、一瞬にして自分の知的レベルを映し出す。(25p)

語彙とは、教養だ。とおっしゃっています。人それぞれの、「教養」はあると思いますが、確かに、知的レベルというものを会話や、表現力、を感じることはしばしばあります。大学教授から頂くメールや、インターン先でお世話になっている経営者の使う言葉は、とても明快且つ、エッジがあって引き締まった印象を受けます。一瞬にして、相手がどのくらいの幅で、深さで物事を見ているかわ分かりますね。ちょっと、恐ろしい事実ですが、語彙力が高いと言われるような人程、他者の知的レベルをさっと把握するのでしょうね。

自分の知性を評価してもらうためいは、語彙力をつけて置くことは、院生として命題な気がしてきました。体裁だけではなく、中身も大切ですが、使う語彙で印象がある程度変わることは認識しておいて損はないですね。

日本語は語彙の多い言葉だから、大きな差がつく。(21p)

語彙の多い日本語だからこそ、語彙力の差には敏感になった方が良いということです。本の中に出てきた言葉だったと思いますが、「精度の高い思考」と「長けた表現力」を支えているのは、この語彙で、この土台の語彙数に差が生まれれば、その上に構築される思考力と、表現力にも差が出てしまうとのことです。そして、日本語は、言葉が多い分、その差を生みやすい言語でもあるということなのです。

今までは、あまり語彙にこだわってこなかった私は、雷に打たれた思いです... もし、将来、自分が子育てをする際には、豊富な語彙を浴びさせることは拘りたいと思いました。将来の子供のためにも、今から、語彙力を鍛えたいと思っています。

本日のまとめ。

語彙力をつけることの大切が分かりました。豊富な語彙を使えるように、日々このブログでも鍛錬させていただこうと思います!何卒、よろしくお願いします!!

明日の修士生ライフは、

・研究指導教員からの課題図書を読む。
・『語彙力こそが教養である』を読了。
・オンライン授業に備えて環境チェック。

という感じになりそうです

おやすみなさい。では、また明日。

今日は、コロナの影響でフードロスにならないようにと、アルバイト先のカフェの社員さんが、美味しいホットケーキを焼いてくれ、沢山持たせてくれました。嬉しいです。明日の朝ご飯を楽しみにして寝ます。

おやすみなさい。


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