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晴読雨読

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晴レノ日モ雨ノ日モ、私ハ本ヲ読ム
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#物語

あたまの中の栞 - 皐月 -

 川の流れる音が聞こえてくる。澱みなく、スラスラと落ちていく、川上から川下へと緩やかに。私は水の流れる音が好きで、その感触を確かめたくてそっと手を伸ばしたのに、その冷たさに思わず条件反射的に手を引っ込めてしまう。何事も手を伸ばさないと、その感触はわからないと思った。  鯉のぼりがゆらゆらとたなびく姿を見たときに、彼らがそのまま川に落ちて力強く泳ぐ様を想像し、空を眺めると川の色と違わぬ蒼、時折流れる雲の姿に水が流れていく景色を思い浮かべた。この季節はとても空気が変わりやすく、

あたまの中の栞 - 卯月 -

 4月になってようやくポカポカとした陽気に包まれ、ほっと一息ついていました。新しい年度に入ったことで心機一転。ちょうど友人たちから誘われて、桜を見ながらお花見をしたり写真を撮りに行ったりして、割と充実していた気がします。世間ではすっかり自粛モードは解除され、たくさんの人たちで花見スポットは賑やかになっていました。  この季節は「読書の春」と言ってもいいくらい、何かやる気に満ち満ちていて、心なしかいつもよりも本を読めたような気がします。大切なのは量ではなく質で、自分の中できち

あたまの中の栞 - 弥生 -

 春の麗らかな暖かさに包まれて、少しずつですがいろんなことへの気力が高まりつつあります。年度末と年度始まりは忙しくしていたのですが、それもひと段落し、あとは来週に迫った金色休暇に向けて準備を重ねています。今年は私の友人であるスケさんカクさん(水戸黄門はきっと別にいるはず)と、共通の友人カップルと一緒に東北へキャンプをしにいく予定。未来が楽しみばかりで、今からニヒヒと一人で笑っています。  もう気がつけば4月もあと少しで終わりですが、このタイミングで先月読んだ本の振り返りを行

ありえないものたちの分解

 夜の虫の鳴き声は哀愁が漂っていて、漣が立つ。  近頃は少しずつだけど、人が密集しない場所で友人たちとご飯を食べにいくようになった。流石に東京は怖いので、大体は地元の友人たちと時間を共にする。久しぶりに会うと話が弾み、会わなかった期間が嘘ではないかと思ってしまう。  今年3月に見た映画のことが何故か頭にパッと思い浮かぶ。花束みたいな恋をした。終電を逃した男女が共に朝まで時間を過ごすことになり、お互いの好きなものを言い合うと恐ろしいほどにぴたりと一致する。  いやいや、こ

カモミールティーで目を覚ます

潮だまりの輝く砂、月に照らされて漂うボート。(早川書房 p.267)  途方に暮れるような悲劇から、物語はゆっくり動く。  私たちの日常においても言えることだが、かくも恋愛というものは、複雑で奇奇怪怪。容易には説明できないものである。  よく男はどうたら女はどうたらと無闇矢鱈に性別の傾向をもとに分析をしようとする人がいて、それを聞くとなんとなくそうかもなあと思ったりもするけど、結局最近そんなものはなくて一人ひとりの個性に準ずるのだろうと勝手に結論づけている。  きっと

言葉の時雨に降り振られ

 突発的な雨に、傘のない私は濡れるままだ。  思えば昨年noteを始めて半ば習慣的に文章を書くようになってから、時にはうんうんと頭を悩ませながらも言葉を捻り出すことに不思議な安堵感を覚えるようになった。  本当は1年間毎日描き続けたら一旦この習慣をリセットしようと思っていたのに、気がついたらパソコンの前に座ってパチパチと文字を打っている。1年続けるまでは正直毎日どんなことを書こうと頭を抱えていたのに、そのしがらみがなくなった途端、むしろ文章をとにかく書きたいという思いに駆

あたまの中の栞 - 葉月/長月 -

 どこからか、美味しそうな香りが漂ってきた。グゥとお腹が鳴る。  じとっとした季節もいつの間にか通り越して、少し肌寒い季節がやってきた。私は暑い8月が好きで、お祭り拍子が聞こえてくるとどうしようもなくドキドキしてしまう。  イカを焼く香ばしい匂い、色とりどりに流れゆくスーパーボウル、海へと逃げるタイミングを逃したたい焼きたち。彼らは皆、私に夢を見せてくれる。  でもコロナによってイベントが悉く中止になり、夏休みも例年に比べると凡庸な過ごし方になった。  家でひたすら簿

苦くて、ほんのり甘いような

 ちょうど思春期の時期から成人に至るまでの期間、私たちはおそらくモラトリアムというような期間を経て大人への階段を登っていくことと思う。その時期には決して楽しいことだけではなくて、幾つもの障害や苦難を乗り越える必要がある出来事もきっとあったはずだ。でも歳を重ねるにつれて、次第に記憶は朧げになってしまう。 *  先日角田光代さんの『私はあなたの記憶のなかに』という本を読了した。本作品は、noteにてフォローさせていただいている方の寄稿した感想文を見て、非常に興味を惹かれたため

あたまの中の栞 -如月-

 一年のうちで一番短い月、二月。気がつけば新しい年が始まっていて、そこから二ヶ月も経ってしまった。不思議な気分だ。緊急事態宣言が発令された結果、緩く外に出るような日々が続いている。  どちらかというと家から出る時間もだいぶ減ってしまったので、気楽な感じで本やら映画やらを楽しんでいる。さすがにずっとこのままの生活は耐えられないと思うけれど、自分が好きだと思える世界にどっぷり浸かれる時間ほどこの世に素晴らしいものはないのでは、という気さえしてくる。  先月から引き続き、一ヶ月

自分にないものに憧れる

 昔はどこか現実世界から逃避できるような場所を欲していて、心温まる小説ばかりいっとき読んでいた。それがここ最近だと、割と人の内面だとかその人の行動する理由みたいなところに、焦点を絞った作品を読むことが多くなった気がする。  そんな中で読んだのが、奥田英朗さんの『ナオミとカナコ』という作品。 ■  あらすじ望まない職場で憂鬱な日々を送るOLの直美。 夫の酷い暴力に耐える専業主婦の加奈子。 三十歳を目前にして、受け入れがたい現実に 追いつめられた二人が下した究極の選択……。

あたまの中の栞 -睦月-

 ふだん日常的に映画を見たり、本を読んだりしていると、終わった直後はしばらくその内容がふよふよと頭の中を漂っているのだが、料理と同じでしばらく経つ頃には感動経験は残っているのに内容の細かい部分を忘れてしまう。  そんなわけだから、ひと月終わるごとに、その前の月に読んだ映画や小説を棚卸ししようと思い、noteにもまとめることにした。 1. さくら:西加奈子 昔からずっとずっと再読したいと思っていた作品。前回読んだ時は、正直主人公の兄のエピソードと、美しい妹の美貴のエピソード

根底にある、ものがたり。

先日、ファクトリエ代表を務める山田敏夫さんが著した『ものがたりのあるものづくり ファクトリエが起こす「服」革命』という本を読んだ。わりと3、4時間程度で読めてしまう内容になっているのだが、中身は学ぶべきことが多かった。苦労を重ねてきた筆者だからこその言葉の重みがある。 これまで衣服などのファッションは、だいたいブランドはわかってもそれをつくった生産者が見えないようになっているのが普通だった。そのタブーともいうべき概念を打ち破ったのが山田敏夫さんが設立したファクトリエである。