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思わず引き込まれた話のまとめ

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ついつい語り口に引き込まれて最後まで読んで感服した話のまとめ。
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2021年3月の記事一覧

「個」展

展覧会へ、ようこそ。 どうぞ、扉の向こうへお進みください。 Photo by Philipp Berndt on Unsplash プロローグ展覧会のはじめには、あいさつがあります。 そこには、主催者が展覧会の概要を語るパネルが並べられています。 美術館というのは、たとえ私営のものであっても、「公的public」であるということが大前提としてあります。なので、主催者のあいさつも、当然公的なものであって、企画者の個人的な感情を挟む余地はほとんどありません。 でも、ここ

ロング・バケーション【雑記】

今年の1月末に会社を辞めて、丸2ヶ月が経った。 30半ばで結婚してから、同じタイミングで長く勤めた会社をやめた。それからまた別の会社へ就職をしたが、20代の時のような働き方はできず、かといって子供もいないまま30代後半の自分が地方の中小企業で、今後のキャリアのことを考えるのも現実的だと思えなくなった。急に、これまでみたいにがむしゃらに働くことが現実から遠のいていき、かと言って、もっと軽い仕事がしたいかといえば、それもどこかピンとこない。フリーで時々受ける仕事を、とりあえず続

結局、人生ってただの思い出作りなのかもしれないなぁ

昔から不思議に思っていたことがある。 例えば、30歳で亡くなった人に対して 「まだまだ若いのに、、人生これからなのに」 とよく言うくせに、 生きてる30歳に対しては 「若く見えたけど、結構(年齢)いってるんだね!」とか「もう若くないんだから」とか言う人たち、なんでなんだろう? 死ぬには若いけど、生きるにしては老いてるってことなんだろうか? 純粋にずっと不思議だった。 そもそも若いとか若くないとかの概念は 誰かと比べたときに生じるんだと思う。 自分より年下の人を見ると

恋されたい

結局、わたしはずっと誰かに愛されていたい。誰か、は、誰でもいいわけではないけれど、もし誰も愛してくれなくなったら、本当にだれでも、大嫌いな虫でもいいから、わたしを愛していてほしい。不特定多数からの好意が欲しくてたまらないのだ、わたしは。だから、不特定多数に求める好意が、行為に変わって、後悔になった。自分で自分の首を絞めるという行為すら、自分を愛することの一種だと思うようになってしまった、愚か者です。 愛されたいという感情は、わたしの中でとても醜いものだった。必ずどんな時も誰

マチネに出かけて

先月、平野啓一郎さんの小説『マチネの終わりに』を題材としたコンサートに出かけた。 マチネ(matinée)とは、フランス語で、昼間の演目のこと。 コンサートは、昼間に行われたから、私は『マチネの終わりに』のマチネに出かけたということになる。 作家ご本人のトークと、ギタリストの福田進一さんの演奏が聴けるという、なんとも豪華なマチネであった。 『マチネの終わりに』は、映画化されているので、知っている方も多いだろう。 クラシックギター奏者が主人公のこの物語は、古典的な男女