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絵にならない程度の貧乏とダンスと。



大学時代のわたし(一番左)です。

というと、「え!!今とだいぶ印象というか、キャラが違いますね!」って言ってもらえる。

そのようなギャップからのモテを期待して、今日も微妙に情報操作をする。

だけど、みた人は絶対思うはずだ。「ほう。このおにぎりは・・??」


「大学時代のわたし」は嘘である。
正しくは、こういう感じで大学を歩いた日が、1日だけありました、だ。
学祭の1日だけ、写真では分かりにくいが、「コーンロウ」という、耳の上を細かく5列くらいにぴっちり編み込んでもらうやつを美容師さんにやってもらい、衣装を着ていただけだ。

今以上に、当時の私はこのキャラでは全くないので、この日も会う人会う人に「どうした??」と言われ続け、オドオドしているのを目撃され続けた。

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詳しい経緯は忘れたけど、青学のダンスサークルに入っている友だちを誘って、学祭のミスコンの前座で踊ったんじゃなかったかな。だったんじゃないかなと、とぼけているわけでなく、本当に細かい記憶がない。

写真はおにぎりと写っているが、おにぎりと一緒に踊る感じのダンス(体操?)では当然なく、このステージはとても好評だった。過去の数少ない栄光のひとつとして覚えているので、もしかしたら記憶を改ざんしているのかもしれない。

この学祭で「お前、本当に何にもできないけどダンスはできるんだな」と友人知人たちは、やっっっと気がついてくれたはずだ。
それはつまり「どうしようもないやつだけど、ダンスだけはできるんだ、へー」という印象を付加することができたということであって、汚名返上、挽回のチャンスだったと思っていた。欲まみれである。

私は色んな人に対して劣等感を感じまくっていた。


渋谷から自分の大学までは1時間くらい、自分の自宅からは1時間半から2時間かかる。毎日、往復3時間以上かけて大学に通っていた。

通学と勉強で疲れきって、ろくにアルバイトもせず、毎日学食の100円のサラダを食べながらの冴えない生活を送っていたが、ダンススクールだけは行っていた。

「大学時代は、全然勉強しないで部室で、昼から飲んでしゃべってたよ(笑)」という青春のプロのような人もいるが、それは「上京してきたもの同士、貧乏をやりながら東京に抵抗してきた、そこに音楽があった」というようなアートだからカタチになっているだけである。
往復3時間以上かけて大学へ行って、勉強せずに友達としゃべって帰ってくるというのは、あまりにも絵にならない。
絵になる、特別な人になりたかった。

貧乏も貧乏だが、毎月の奨学金をお小遣いとして使っているという微妙な、美しさのカケラも見当たらない類の貧乏で、バイトをすればすべて解決する貧乏であって、だけど働く意欲に、大学生活や青春を謳歌する意欲に、あまりにも欠けすぎていた。


スクールの支払いや、チケットノルマや、衣装やらなんやらで、5万円足りなくて、親に「お金を貸して欲しい」と初めてお願いしたら「このお金は返さなくていいから、なんで足りなくなったのか考えなさい」とお札を投げるように渡された。
相変わらずのバカ娘を装ってヘラヘラしていたが、何よりも「ああ、これでダンスがやめられる」と安心して、そのまま5枚のお札を親に返したのだった。

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高校はダンス部で、それは部活であり、もちろん居場所であり、青春であり、ポジションが用意され確実に守られていたが、高校卒業後からダンスができる場所には自分の居場所がなかった。ダンスをしない人(大学時代の友人)の間でのみ「ダンスのできる人!」になることは成功しただが、ダンスができる人の間では、全く踊れないクソの底辺に位置していた。

当時のダンススクールに居場所がある人というのは、倖田來未や浜崎あゆみのように、「ウケるー」と手を叩きながら爆笑できる陽キャか、孤高の本物だけである。

「スタジオの一番前の真ん中でストレッチしながら、男女関係なくトークを回す」みたいな人が当然ヒエラルキーのトップであり、鏡も先生の姿すらも見えないくらい、ぎゅーぎゅーのスタジオの後ろに位置している私は、彼女たちには姿すら見えていなかったかもしれない。

それでも時々適当にトークを振られると、ポツリとひとこと喋った。それだけでなぜか知らんが「ちえウケるー!」とみなさんに笑っていただけて、でも内心では「まだ私何も喋っていないんだが??」と戸惑い、ヘラヘラ、オドオドしながら「どうもどうも」とやっている私のどこにも、価値はなく、だけど「話は最後まで聞いてくれ、それが叶わないならもう無視してくれ」と思っていた。

ダンスの世界は華やかで、この美しい世界の邪魔をしたくなかった。こんなに踊れなくて、振りが覚えられなくて、お金もなくて、時間もなくて、どうか考えてもダンサー体型でもなく、マスカラも上手に塗れないダサダサの私は・・??一体ここで何を求めているんだっけ??頭の中は「???」でいっぱいで、レッスンの日は心の底から面倒臭いなと思っていた。やめてよかった。本当にダンスなんて嫌い。


結局のところ、実力勝負の世界でまったく実力がなかったという話でしかないけど、論点をずらしてまで言い訳をしてしまうのは、自分のこれも青春だったと信じたいからです。

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最近のダンス事情は知らないがいわゆる「ダンサー」という雰囲気でない人が大活躍していたり、スクールに通ったりしていなくても自分の好きなように踊っている楽しそうな感じがあったりして、とてもとても羨ましいなと思っていた。「普段はオドオドしているが、少し踊れます!」がそのままブランディングというか、面白みになるというか、そういうのが可能な世の中になっている気がして(真実はわからないが、おばさんからはそう見えて)心から羨ましいなと思って見ていた。ダンスというものは、自分が思っていた以上に自由なものだったのかもしれない。


去年の終わりごろから、地域のダンスチームに入った。ここには居場所があり、踊りたいと訪れた誰にとってもそこは「居場所」になるはずで、初心者ママさんも、ダンスやっていた人も、みんなが夏のステージに向けて振り付けを覚えて踊っている。みんなが必要とされ、わたしもそこにいる。

ダンスに憧れ羨望し、でもどこかでダンスの何かを見下し、陽キャに近づくほどに自分との違いに打ちひしがれ、努力をしている天才の苦労も考えずにただ嫉妬し、自信のない自分が映る鏡を直視できず「でも自分は本当は特別な人間なはずなんだが??」というプライドをギリギリ保っていた、道具としての、しがみついていた「ダンス」から、やっとやっと、自由になれた気がする。

今日もわたしは踊るのが楽しい。



これは本音を書こうと頑張るが、どうしても良く見られたいという欲が出てきてしまう人間の偽日常日記である。
(今回の自分解放率79%)



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