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療育ひと区切り



昨日の夕方、今年の6月に退所した長男の療育先へ行ってきた。


7月の頭に既に退所手続きは終えていたのだが、施設利用料の請求システムが少し複雑なようで、退所して数カ月経った昨日、その支払いへ行ってきた。


年中組の春から2年ちょっと毎週お世話になっていた先生と会うのは、これが本当に最後。療育へ通っていた最後の方は私がなにか漠然とした違和感を感じてしまい、失礼でいびつなやめ方になってしまったが、やはり寂しい。

これで本当にさようなら。


先生との別れ際息子に、
「先生に「ありがとう」は?」と言うと、
「ありがとうございました!」と息子。


次男も先生の顔を見て笑顔で
「ありがとうございました!!」と。




昨日はそれ以外にも節目のような出来事がもう一つあった。息子が ” 初めて " 泣かずに " " 前向きに " 学校へ歩いて行けたのだ。
いままで、息子は家から学校まで歩いて行くのを嫌がりすぎて、自転車で送っており、泣きじゃくる息子を強引に歩いて行かせたこともあったのだが、歩いて行かせるのは断念していた。

なのに、突然気が変わったらしい。


昨日の就寝前なんか、明日から歩いて行くんだからとカッパと傘を用意していた。(息子のこういうところ、可愛くてすき)


よくぞここまで……!!!


この成長は、やはり療育に通った二年があったからだと思う。(息子自身が積上げてきたものを大前提として)


先生は息子がどんな状態であっても、どんなに癇癪を起こそうとも息子を諦めないで、笑って「待ちましょう」と言って成長のタイミングをじっと待ってくださった。
先生は、ありのままの息子をただただ受け止めてくださり、無理矢理なにか息子に取り組ませようとすることは一切なかった。

療育開始当初の息子はそもそも療育を受けられるような状態になく、療育ができる状態まで持っていくこと自体が難しかったのだが、そうして待ってもらえたことで、先生との距離をを少しずつ少しずつ縮めて半年ほどかけて信頼関係を築いていった。
信頼関係が築かれてからの息子の成長は著しく、日に日に成長し、目まぐるしく逞しく成長していった。(いま思えばだけど)


気づけばもう小学生。


先生がいたから私も息子を諦めずに済んだ。
先生がいなければ息子をいまほど愛せていなかったと思う。
先生が我々家族の隣で伴走してくださったことで、いまがある。先生には感謝しかない。

ならば、まだ……とも思うのだが、それは違う。

これでひと区切り。
勝手だが、そんな気分だ。
息子にとって次のステージがこれから始まる。 

この春支援級に入学した子どもたちは、いまどんな時間を過ごしているのだろうか。
接点はないが、ともに歩んでいる気分だ。




結局、毎日できることをできる範囲で積み重ねて行くしかないし、力を抜いて自然の流れや子ども·自分の心に身を任せることが、私にとっては、物事を人生をスムーズに進めるベストな方法なのかなあと今回思いました。


療育に通ううちにだんだんと、療育に通う=成長を強く求める&急かす行為になっていたので、あの時辞めて本当によかった。療育とか子育てのプレッシャーで目を吊り上げながら家にいるより、お互いリラックスして過ごす方が楽だし、その方が結果上手くいくのかなと。


できるようになった方がいいこと、なってほしいことがあっても、それをやるかやらないかは息子が決めることであって、無理強いしてまでやる必要があるのか疑問だし(そもそとやら(れ)ないし)、息子の人生に必要になるものは息子自身がよく理解していて、息子が意欲的になって体得したいものに対して息子一人では困難なことについてサポートするのが私の役割なのかもしれない。
こちらが事前にそれとなく種まきをしておかないと気付けない部分もあるから、そこの見極めが難しいのだが。


いろいろ経て、成長を求めるよりも、いかに子どもと過ごす一日を楽しいものに創り上げていくかを考えるようになりました。いましかないこの時を後悔なく過ごしたいものです。
私の人生単位で考えたとき、いまのこの時間を悔いなく過ごし、きらきらした宝物としてとっておいてそれを思い出しながら死にたいです。


ここのところ療育的なことをなにもせず、ひたすら、ただひたすら子どもたちと遊び惚けていたので、そろそろまた次を考え始めねば。

読んでくださり、ありがとうございました。


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