今では「名前さえ知る人が少ない」三木竹二の歌舞伎への貢献を知ることができる―『三木竹二―兄鷗外と明治の歌舞伎と』(木村妙子/水声社)

歌舞伎を中心とした演劇評論家であり、雑誌編集者でもあった三木竹二の評伝。三木竹二は筆名で、本名は森篤次郎、森鷗外の弟である。著者が「あとがき」で触れているように、今では三木竹二の「名前さえ知る人が少ない」。単著では、2004年に岩波で文庫化された『観劇偶評』があるぐらい。本書で詳細に明らかにされるのが、その業績が大である歌舞伎の「型」の記録や保存に対する貢献だが、歌舞伎ファンでも知らぬ人は多いのではないだろうか。

三木竹二の生涯をその出生から死まで多数の資料を駆使しながら辿っている。著者は三木の仕事のなかでも編集者としての仕事も高く評価しているが、その編集した雑誌を丁寧に読み込んでいることがよく分かる。また、歌舞伎好きで実際の舞台を多く見ていることも、その記述に生かされている。上にも書いたように歌舞伎の「型」の記録や保存を中心に時流に抗うように歌舞伎に深い愛情を持ち続けたこと、一方で鷗外に寄せた信頼の強さゆえ、筆が鈍ったり揺れたりすることにも触れられていて、三木という人物が鮮やかに浮き彫りにされている。

ただ、正宗白鳥に関する部分(82ページと203ページ)、オッペケペ節に関する部分(125ページと289ページ)など、ほぼ同じ内容で重複している部分が気になる。こういった場合、後で出てくる部分に、例えば324ページにあるように「前章で述べた」といった文言を入れるべきだろう。また、325ページの「種痘」は誤りで正しくは「天然痘」。

全体を見渡せば「あとがき」で「鷗外のことも書きたかった」とあるように、鷗外に触れた部分がかなり多い。それは竹二が若き日から鷗外の影響を強く受け、仕事面での関わりが多かったこともあるだろうが、443ページで触れているように、海外の戯曲を数多く翻訳したことを含めた鷗外の演劇面での仕事に対する関心の薄さに対する反発もあるような気がしてならない。そういった点も含め、本書は明治の演劇史的な側面も持っている。

文化における「型」には興味があったし、あまり知らなかった明治の歌舞伎や演劇について詳しく知ることができ、とても面白く読めた。

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