印刷というテクノロジーは、どのように人々の生活を変えていったのか―『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』(アンドルー・ペティグリー/白水社)

500ページを越える大作だが、読みやすく、そして面白く興味深い。本書では、グーテンベルクによる活版印刷が15世紀から16世紀にかけてヨーロッパに与えた影響が描かれている。なお、活版印刷の嚆矢は中国(金属活字による印刷では朝鮮に残るものが最古)だが、本書ではそのことに触れていない。本書に記されたことは、事の後先とは全く別の次元である。当然だが、私の評価と「触れていない」という点は無関係である。

原題は『THE BOOK IN THE RENAISSANCE』。訳者が末尾で、原題通りあれば「ルネサンスにおける本」となるが、全体の内容を要約した形で邦題をつけたと書いておられるが、私も現行の方が良いと思うし、もし「ルネサンスにおける本」という書名であったら、果たして読む気になったかどうか疑問でさえある。

ヨーロッパといっても、15・16世紀に限定されているため、本書の中心となるのはドイツ、フランス、イタリアの印刷事情。イギリスやスペイン、オランダ、スイスなども登場するが、相対的に少ない。

写本時代の書物を入手する際の状況、1冊が極めて高価であること、貴重書を写本すること自体が難しいことなどに触れられ、それゆえ活版印刷が書物を待つ人に強い期待をもたれたこと。当時の書物の中心である宗教関連書、古代ギリシア・ラテンの古典本への希求は強かったこと。そのため、当初印刷の中心を占めるのは、上記のような書物だったが、書物に比べれば薄いパンフレットが、一つはルターなどによる宗教改革のために、もう一つは戦争などの勝利の速報のために(現在のニュースであれば敗北も情報としては貴重だが、残されたものからすると、勝利についての物が圧倒的に多いらしい)、部数が多く、大きな利益を挙げる存在になっていくこと。実用的なため、擦り切れるまで使用される楽譜(歌うためのもので、パートごとに制作されている)や読み書きの初等教育などに使用された読本なども、かなりの量が印刷されていたこと。騎士道物語が娯楽として人気を集め、国境を越えて書き継がれるようなケースもあったこと。
これら印刷が、それまでの人々の生活に違う面を見せたことを、豊富な事例を挙げて説明している。学問の中心であったラテン語の印刷だけでなく(そのため、国外の市場をも想定できた)、それぞれの国語での印刷も進んでいく(聖書の翻訳などだけでなく、上に挙げた騎士道物語なども該当する)。

この手の本を読んだことがないわけではないが、これほど幅広く、具体的な事例や印刷点数・部数などのデータに触れたのは初めてである。電子書籍が登場した今、本書が活写する、写本から印刷された本に転換していく時代に生きた人々の暮らしに参考となるものもあるような気がしてならない。末尾に付された訳者による「初期近代印刷文化の興亡と万有書誌の夢―訳者あとがきに代えた文献案内」も有用である。
印刷・出版に興味がある人はもちろんだが、ルネサンス期に興味がある人にお薦めしたい。

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