個人の責任以上に「集団としての責任」が問われているのではないだろうか―『絶望死 労働者階級の命を奪う「病」』(ニコラス・D・クリストフ シェリル・ウーダン/朝日新聞出版)

『絶望死のアメリカ』を読み始めたら、ちょうど、本書も刊行されたので併せて読むことにした。なお、本書の原題は『TIGHTROPE』で、本文中では“綱渡り”という訳語が当てられ、「タイトロープ」というルビが振られている。なお、本文中でアン・ケースとアンガス・ディートンが「薬物、アルコール、自殺による死を「絶望死」と呼ん」だとしている。同じ「絶望死」を扱った両書の違いを簡単に言えば、『絶望死のアメリカ』はアカデミック、本書はジャーナリスティック(著者たちの言葉だと「ストーリーを語っ」た、となるだろう)。

本書では、オレゴン州ヤムヒルで育った著者の一人ニコラスと「6号バス」に乗って学校に通った人々にスポットをあてられる。1950年代後半から1960年代初頭に生れた彼・彼女らの父母は最下層もしくはそれに近いところから少しずつステップアップして家を建て子どもを育てた。「6号バス」に乗っていたその子たちは、最低でも高校を卒業し、状況によってはさらに上の学校に通うはずだったが、様々な状況のなかで学校からドロップアウトして、苦境に立たされる。著者のニコラスが例外的だったと言える(両親が教員だったことなどが書かれている)

不完全な性教育による10代での妊娠、オキシコンチン(オピオイド)などの大量処方からの薬物依存・薬物犯罪に対する厳罰主義、給料も含めて誇りを持てた仕事の喪失などの具体的な事例を追いながら、自己責任とか当人の過ちという言葉で済まされがちなターニングポイントを描き、現代アメリカ社会の深い部分に根をはりめぐらす病巣を浮かび上がらせている。また、地域によっては満足な医師や歯科医がおらず、年に一度の巡回診療のときに1日で18本も抜歯をすることが紹介されているが、とても先進国の話とは思えない。しかも、この巡回診療は公的なものではなく私的な支援なのだ。
株価が驚くほど上がり、超富裕層の資産が天井知らずに増えていくなかで、驚くほど多くの人が取り残され、見捨てられていく。

著書たちは彼らが過ちを犯したことを認める一方で「集団としての責任にもっと目をむけなければならない」と主張している。また、予防医療や教育、犯罪者の支援などの方がコストを節約できることも示されている。巻末には「変化をおこすために」として、10の方法が紹介されている。『絶望死のアメリカ』の提言に比べると個人レベルで可能な努力といった内容である。

もちろん、厳しい状況のなかで心が休まるようなエピソードもいくつか紹介されている。その中でも、ナイジェリアからの難民、8歳のタニトルワ・アデウミのチェスにおける快挙は印象に残る。「チェス アデウミ」で検索をかけると記事がヒットするのでぜひ読んで欲しい。

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