私の短歌:「声」を詠んでみた
アイドルの歌は歌じゃなく声だと思うなにか言ってる
キンシンカン近親感と二回言うアナウンサーのよどみ無き声
2021年12月12日のNHK短歌、お題は「声」でした。私の投稿した短歌を紹介します。
最初の2首は自分の実感を詠んでみました。アイドルの歌は音楽に聴こません。何かセリフをつぶやいているようで。私が年を取ったということなのかもしれませんが言っている内容も聞き取れません。一方、英語の流行歌は聞き取れるので、アイドル側の滑舌の問題なのかなーと思っています。聞き取れたとしても、その歌詞で何がいいたいのかよくわからず、自分には共感すべき点がない、ということで声にしか聞こえないのです。
一方、アナウンサーは滑舌がなめらかで、一言一句がはっきり聞き取れます。プロだなーと感心しますが、そのよどみない声で漢字を間違って読まれると、ひょっとしてその方が正しいのかと思って不安になることも。明らかに間違っているのに、笑えないのが不思議です。
我ら女子絶えることなきおしゃべりの声を束ねて二百デシベル
いくつになっても女子である我らは、集まれば周りの迷惑になっていることでしょう。若いうちは「かわいい」で済んでも、いまは顔をしかめて睨まれるのが落ちです。
ウイグルの乙女が踊る饗宴の声だけ先に屠られている
女丈夫とかつて呼ばれし母の声「ころしてくれ」とあえかに聞こゆ
こちらは、全く笑えないテーマです。一首目はいま北京五輪でクローズアップされているウイグル族の民族浄化問題。
二首目は私の母が末期がんで入院していた時の話です。延命治療が苦痛だった母は何度も自殺を図りました。そして未遂に終わった後、何度も「殺してくれ」とつぶやいたものです。
声だけでほっとするから切らないでこのままでいて大好きだから
最後は、平凡だけど電話がコミュニケーションの主流だったあの頃を思って。いまは、なんでもIMで済んでしまいますが・・・「声」って大事ですよね。(終わり)
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