クリスの物語Ⅱ #41 着替え
マウルが音もなく開くと、そこは鏡張りの個室になっていた。
その部屋は天井が異常に高いということを除けば、地上の洋服屋にある試着室と何ら変わらなかった。
沙奈ちゃんも自分のテステクで隣の個室のマウルを開けると、何もいわずに中に入り、すぐさまマウルを閉じてしまった。
「ヴェヌル」
ぼくも中に入ってマウルを閉めた。
部屋の片隅に浮かぶクテアの上にピューラを置いて、ショルダーバッグを肩から外した。
バッグは地面に置き、スニーカーを脱いでから一気に服を脱いだ。
パンツ一枚の姿で、キラキラと光るズボンを広げた。
どっちが前なんだろう?
チャックはついていないし、タグもないのでうしろ前の区別がつかない。
でもまぁデザインは同じだし、どっちでもいいのだろう。
とりあえずそのまま履いてみた。
履いた瞬間、フワッと体が軽くなった。
足元を見ると、地面から数センチ宙に浮いている。
「あ、浮いた」
思わずぼくはひとり言をいった。
地底世界の人たちが、宙に浮いているのはこういうことか。
正面の鏡を見て、試しに前に進んでみた。
スーっと、音もなく進んだ。何の力も必要としなかった。
すごい!
その場で前後左右に動いたり、ぐるっと回転したりしてみた。
上に飛ぼうとすると50センチくらいは上がったけれど、それ以上高くは飛べなかった。
『クリス、まだ?』
沙奈ちゃんの声が、頭に響いた。
『あ、ごめん。ちょっと待って』
急いで上着を着てから、脱いだ服をバッグにしまった。
ピューラのサイズは上下ともぴったりだし、肌触りも良くて気持ちがいい。
個室を出ると、沙奈ちゃんとペテラが同時にぼくを見た。
『とてもよくお似合いですよ』
両手を広げて、ペテラがいった。
『それでは、こちらも仕上がりましたのでどうぞ』
そういって、ペテラが一足の靴を差し出した。
カンフーの達人が履くような平べったい靴で、全体が鱗のような柄で覆われている。
その鱗は、ピューラと同じように金銀にキラキラと光っていた。
靴を受け取って沙奈ちゃんを見ると、ワンピースのピューラに着替えた沙奈ちゃんはすでに靴も履き替えていた。その靴は、ぼくのものとは違いバレエシューズのような形をしている。
キラキラと光を放って、なんだかまるでシンデレラのガラスの靴みたいだ。
床から数センチ宙に浮いた状態で、沙奈ちゃんはしかめっ面をして「変じゃない?」と聞いた。
「ううん。全然変じゃないよ」と、ぼくは首を振った。
色白で色素の薄い沙奈ちゃんには、その格好が本当によく似合っている。
「えへへ。良かった」
少し顔を赤らめると、沙奈ちゃんは照れるように笑った。
靴を履き替えようとして床にしゃがむと、座った姿勢でも床から数センチ宙に浮いていた。
これなら、尻餅をついたとしても痛くなさそうだ。
『ところで、ぼくのこのピューラにはどんな特性が備わっているのですか?』
靴を履き替え、立ち上がってペテラに聞いた。
身に着けだけでは、どんなドラゴンの能力が引き出されたのかがまったくわからなかった。
『わからなくても無理はないですよ。ベベさんの物のように、着ただけで特性が判るものは少ないですから』
ペテラは微笑むと『でも、いずれお二人とも判る時が来るでしょう』とだけいって、具体的には教えてくれなかった。
『各人のデータに基づいて何万という種類の糸の中からその人の特性に合った糸をゴルメイサムが自動的に選び出し、織り上げていくのです。
どのようなドラゴンの能力が秘められているのかは、実のところ私たちにもわからないのです』
元来た場所へ戻りながら、ペテラがいった。
『場合によっては、いくつかのドラゴンの生命エネルギーが練りこまれていることもあります。その場合、開花する能力は当然ひとつに限られるわけではありませんしね』
ペテラの話を聞きながら、衝撃波のようなものが出たりしないかと壁に向かって両手を広げてみたりした。
でも、そんなものが出てくる気配は一切なかった。