クリスの物語Ⅳ #26 真紅のカットソー
『女の先生って、まさか田川先生?』
ぼくがそういったのと同時に、赤いカットソーの女性がちらっとこっちを振り返った。
ぼくは慌てて顔を引っ込め、壁と一体になろうかというほど背中を壁に押し付けた。心臓はバクバクと脈打っている。
気づかれただろうか?
いや。ぼくはベベにしか思念を飛ばしていないから、まさかぼくの思念が届いたなんてことはきっとない。振り返ったのは、たぶん偶然だ。
それにもし見られたとしても、ぼくは髪型も変わっているしサングラスもかけている。ぼくだってばれるようなことはないはずだ。
そう思い直したものの、全身縮み上がっていた。
あの人、田川先生だろうか?
サングラスをかけていたし、横顔しか見えなかったからよくわからなかった。
物陰からそっと顔を出してもう一度のぞき込もうとすると、突然『クリス』とぼくを呼ぶ沙奈ちゃんの顔が目の前に現れた。
びっくりして「うわあ」と、思わず情けない声を上げてしまった。
『どうしたの?大丈夫?』と、心配そうに沙奈ちゃんが聞いた。
ホロロムルスを通じて、連絡をしてきたようだ。
『ごめん、大丈夫だよ』
冷静さを取り戻しつつ、ぼくは返事をした。
『ベベは捕まえられたの?』
『うん。ベベは捕まえられたんだけど、今ベベと一緒に女の人を尾行してるんだ』
『何、それ?どうゆうこと?』
眉間に皺を寄せて、沙奈ちゃんはいぶかしむような顔をした。
『うん。なんかベベがいうにはその女の人、田川先生だっていうんだ。あ』
ベベがまた走り出した。ぼくは慌てて後を追った。
『ごめん。とりあえずちょっと確かめてみる。どこかで待っててくれるかな?それか、先にホテルに帰ってて。終わったらまた連絡するから』
そう伝えると、ハーディにホロロムルスがつながった。
『わかった。こっちのことは心配しなくていい。連絡もらえればすぐに迎えに行く。でも、あまり深追いはするなよ』
『うん。わかった』と返事をして、ぼくは接続を切った。
女の人は変わらず前を向いたまま、通りをさっそうと歩いている。
ぼくたちは物陰に隠れ、気づかれないようつかず離れずして尾行を続けた。
そうだ。ホロロムルスで正体が判るかもしれない。
そう思い、ターゲットを赤いカットソーの女性に向けてホロロムルスで詳細を開こうとした。
でも、なぜかその女性のプロフィールは見ることができなかった。
どうやら、情報を見られないようにブロックしているみたいだ。となると、ますます怪しい。
そんなことを思いながら女性の後を追いかけていると、大きな広場に出た。
古い建物に囲まれた広場は、とても大きく人で溢れかえっていた。
でも、ひときわ目を引く真っ赤なカットソーは見失う心配がなかった。
人ごみをものともせずに、スピードを緩めることなく女性は右手の噴水の方へ向かっていた。
広場には身を隠す場所はないけど、人に紛れられるので尾行は楽だった。
ぼくはベベのリードを手に、散歩しているように装いながら一定の距離を保って後をつけた。
女性は、噴水の前にある大きな階段を上がり始めた。
階段にはたくさんの人が腰掛け、それをよけるように上がっていく観光客も、途中で立ち止まってはあちこちで記念撮影している。
ぼくはベベを抱え上げ、女性とは少し間隔を空けて立ち止まる人の陰に隠れながら階段を上がった。
階段を頂上まで上り切ると、女性は通りを渡ってその向こうにある白い教会のような建物の中へと入っていった。
その建物には他に観光客も出入りしているから、きっと誰でも入れるのだろう。
ぼくはベベを抱えたまま建物の階段を上がって、入り口から中をのぞき込んだ。
お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!