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【読書記録】告白 / アウグスティヌス

アウグスティヌスの告白(山田 晶 訳)を読んだので記録します。


アウグスティヌスについて

アウグスティヌス(354-430)は、ローマ帝国時代のカトリック教会の司教です。
カトリックの正統性を主張することでその確立に貢献した聖人として、聖アウグスティヌスとも呼ばれます。

生まれは北アフリカのタガステという地で、敬虔なキリスト教徒の母モニカと、非キリスト教徒の父パトリキウスの元で育ちました。
修辞学を学び、後に教える側となります。
元々キリスト教徒というわけではないものの、真理の探究をするインテリタイプの人だったようです。

キリスト教に回心した後は修辞学の教師を辞め、修道院生活を送りました。
後に北アフリカのヒッポ・レギウスの司祭、そして司教に選出され、死去までこの地で活動しました。

彼の後半生は、異端との論争が大部分を占めました。
対マニ教論争、対ドナティスト論争、対ベラギウス論争という3つの大きな論争にそれぞれ15年以上を費やしました。

また、彼の自由意志に関する思想はその後の西欧社会に多大な影響を与えたとされています。
すなわち、

人間の意志は善悪を判断することすらできない。人間が善行を行うのは神の恩恵による。つまり神の恩恵がなければ人間は何一つ善行を行うことはできない。人間とはそれだけみじめな存在なので、神にあわれんでもらい導いてもらうよう祈るしかない。

というような考え方です。

時代背景

アウグスティヌスの幼年期から青年期は、キリスト教はまだローマ帝国の国教ではありませんでした。
国教となったのは392年で、アウグスティヌスが40歳手前の頃です。
とはいえすでにキリスト教の勢力が増し、皇帝たちの多くが保護していたため、ローマ古来の宗教は廃れつつありました。

一方でローマ帝国の国力は弱体化の一方で、度重なる蛮族の侵入に苦しめられていました。
ユーラシア大陸の東側で活動していたフン族が西進し、それに押し出される形でゴート族もローマ帝国内に侵入してくるようになります。
イベリア半島ではヴァンダル族が力をつけ、彼らは北アフリカにも侵入してきます。

ヴァンダル族はアウグスティヌスが活躍していたヒッポを包囲します。
この包囲の中でアウグスティヌスは病死したのでした。

「告白」について

アウグスティヌスは神のために告白するのではありません。
告白しようとしまいと、神は全てお見通しだからです。
また自分のために告白するのでもありません。
彼が告白することを見せることで、人々の信仰心を高めようとしているのです。

本著は3部構成になっているといえます。
すなわち、過去の告白、現在の告白、そして聖書の理解と無知の告白です。

過去の告白

アウグスティヌスは幼児であっても罪を免れないと言います。
勉学が疎かになり、教師に鞭で打たれたことを告白します。
子供の頃はラテン語文学が好きで学んでいましたが、今となってはそこから学べることは無いと言います。

青年期においては主に悪友たちとの悪事を告白します。
特に目的があるわけでもなく盗みを働いたという内容は印象的でした。

成長したアウグスティヌスはカルタゴに留学し、修辞学の勉強に励み主席になります。
そこから修辞学の教師になります。
また愛人を作り同棲をしていました。
さらには子供まで生まれたのでした。

この時期からアウグスティヌスは真理の探究に励むようになります。
キケロを読んで哲学への愛が芽生え、その後マニ教に傾倒します。
後に彼はマニ教に対して論駁を行うことになりますが、当時は心酔していたようです。
敬虔なカトリックである母モニカは彼の様子に苦悩しました。

その後彼はカルタゴからローマに移り、さらに修辞学講師としてミラノに派遣されます。
そこで大きな出会いがありました。
後に皇帝にすら影響力を持つことになる、ミラノ司教アンブロシウスです。

アンブロシウスの講談を聞いて、アウグスティヌスは徐々にカトリックに理解を示し始めます。
聖書を文字通りではなく、その一語一句を比喩として捉えることを知ります。
元々アウグスティヌスは聖書を誰でも読めて自分には簡単すぎる書物だと考えていましたが、その奥深さに気づかされたのでした。
そして旧約聖書に対するマニ教の攻撃が曲解であることを理解しました。

それでもアウグスティヌスはカトリックに回心できずにいます。
まだ俗世間での名誉欲や情欲から離れられずにいました。

母モニカの願いもあり、正式な婚姻のため長年連れ添った愛人と別れますが、許嫁が結婚適齢期でないため2年待たないといけないことになります。
そして人肌恋しくなり、別の愛人を作るのでした。

この頃から新プラトン主義の著作を読むようになり霊的世界に目覚め、パウロの書簡に感銘を受けます。
アウグスティヌスは確実にカトリックに回心しつつあるのですが、どうしても情欲を捨てきれずにいました。
そんな苦しみによって庭でのたうち回っているところに、少年少女の
「とれ、よめ」
という声が聞こえました。
それを神の啓示として聖書を読めと受け取った彼は、急いで聖書を開きます。
そこには
「イエス・キリストを着よ。肉欲を満たすことに心を向けるな」
と書かれていました。
これによって疑いの闇が消えうせ、回心することになったのです。
回心したことに、母モニカは大喜びします。

回心した彼は修辞学講師を辞職し、そこから山荘で仲間たちと共同生活をした後、アフリカに移ることを決めます。
そんな中で母モニカが亡くなります。

アウグスティヌスは母についても神に告白します。
母は敬虔で慎ましく立派な人物ではありましたが、完璧だったわけではないと言います。
そんな母のためにアウグスティヌスは祈りを捧げ、読者にも祈ってもらうことを望みます。

現在の告白

司教になった彼は、現在自分がいかなる者であるかについて告白します。
神に目覚めるのが遅かったことを嘆きますが、それでも今目覚めることができたことを神に感謝します。

現在の彼は慎ましく敬虔で、かつてのような情欲に囚われることは無くなりました。
それでも時折、破廉恥な夢を見ることを告白します。

聖書の理解と無知の告白

最後に、聖書への理解と無知について告白します。
アンブロシウスに教えてもらったように、聖書は捉え方によっては大変深淵であり、多様な解釈ができます。
ここでは特に創世記についての理解を告白します。

告白しつつ、聖書を批判する者への論駁も披露します。
例えば、天地を創造する前に神は何をしていたのかという点について。
これに対しては、天地を創造する以前、神は何事もしていなかった、と答えます。
時間すら神が作ったものであり、天地を作る前に時間は存在しない。
だから「その前」という概念は通用しないということです。

その他にも「天と地」や「生めよ、ふえよ」などの語句について、丁寧に検討し自身の理解を説明します。

それでも無知であることを自覚し、理解できるようになれればと神に祈るのでした。

感想

読んでいてまず感じたのは、アウグスティヌスの性欲の強さでした(笑)
16歳で愛人を作ったこともそうですし、結婚のために愛人と別れたのにすぐ別の愛人を作ったのには苦笑してしまいました。
なかなか回心できずにいたのも情欲が理由でしたし、現在も淫猥な夢に悩まされています。

一方で、彼の論理的で知性的な側面もうかがうことができます。
元来、知的好奇心が旺盛で真理を探究するタイプだったようです。
そんな彼が聖書について矛盾なく解釈するために、とことん考え抜いているのが見て取れます。
私はキリスト教徒ではありませんし、神学というものがいまいち何をするのか分かっていませんでしたが、なるほどこういうことかと思わされました。

読むのに骨が折れましたし、全然理解できた気はしませんが、それでも読んで良かったと思えました。

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