見出し画像

【読書記録】中世ヨーロッパ全史 上 / ダン・ジョーンズ

ダン・ジョーンズさんの中世ヨーロッパ全史 上を読んだので記録します。


概要

本著ではローマ帝国末期から十字軍の衰退期までを取り扱っています。

ローマ帝国

その勃興について触れます。
軍事、市民権、奴隷制度、言語、法律、宗教について解説します。

蛮族

強力なフン族によって蛮族の移動が起こり、ローマ帝国は混乱の時代に突入します。
ブリタニアはアングロ・サクソン人に攻め込まれ、早々に放棄されます。
ゴート族やヴァンダル人によりローマは劫掠され、 フン族のアッティラにより帝国領は蹂躙されます。
ゴート族の将軍オドアケルが皇帝を追放した後に「王」を名乗ったことで、西ローマ帝国はひっそりと滅亡するのでした。

ビザンツ帝国

ユスティニアヌスは法学大全の編纂、ハギア・ソフィア建立、ヴァンダル王国の打倒といった偉業を成し遂げます。
しかし、ニカの乱という国内暴動、ペストの流行、教会分裂、対東ゴート戦争の泥沼化といった問題も抱えていました。
また必ずしも財政を顧みていたわけではありませんでした。

ユスティニアヌスの死後、ユスティヌス2世は財政再建に取り掛かるも上手くいきません。
そのうえ長年の仇敵であるササン朝ペルシアのホスロー1世に、国境の主要な要塞を奪取されてしまいます。
ユスティヌス2世は次第に正気を失っていきます。

その後ビザンツ帝国ではギリシア語が公用語になります。
また皇帝はローマ帝国伝統の「アウグストゥス」でなく、ギリシア語の「王」を意味する「バシレウス」を名乗るようになります。
ローマ色が薄まってギリシア色が濃くなることで、本格的に「ビザンツ帝国」になっていくのでした。

アラブ帝国

メッカで生まれたムハンマドは、神の啓示を受けてコーランを作成します。
こうしてイスラム教が生まれました。
当時のアラブ世界は多神教が主役だったため、一神教のイスラム教は布教に苦労し、主に富裕層から弾圧を受けることになります。
ムハンマドと信者の一行はメティナに移り、共同体ウンマとしてまとまります。
血縁を越えて信仰でまとまった彼らの絆は強固でした。
初めはキャラバンを襲って生計をたて、次第に主要な市場を押さえることで力を付けます。
勢いをつけた彼らはメッカに帰還し、かつて迫害してきた者たちに改宗を迫り、拒否する者は容赦無く殺しました。

イスラム勢力はその後も力を増し、周辺の大国であるビザンツ帝国やペルシア王国に攻撃を仕掛けます。
ペルシアの主要都市を奪取した後首都も陥落させ、最終的にニハーヴァンドの戦いでササン朝にトドメを刺します。

またビザンツ帝国首都のコンスタンティノープルを2度包囲しますが、どちらも失敗に終わります。
ここではビザンツ側の秘密兵器であるギリシア火薬というロストテクノロジーが紹介されます。

イスラム帝国は力を付けつつも内乱が度々起こります。
正統カリフ4代目のアリーが殺害され、軍人のムアーウィアがカリフになります。
その後の後継者争いに端を発し、現代まで続くシーア派とスンニ派の対立が巻き起こるのでした。

内乱がありつつも乗り越え、イスラム帝国はウマイヤ朝やアッバース朝といった繁栄期を迎えます。

フランク人

勢いに乗ったイスラム帝国はヨーロッパに進出してきますが、それに待ったをかけたのがフランク人でした。
トゥール・ポワティエ間の戦いではカール・マルテルによりイスラム軍が撃退されます。

フランク王国メロヴィング朝は無能な王が続いたこともあり、宮宰カール・マルテルが強引に実権を握り、その王位継承を終わらせます。
ここからカロリング朝が始まります。

カール・マルテルの息子であるピピンは、王権の正統性を担保するものを求めました。
その答えがキリスト教会でした。
ピピンは教皇に書簡を送り、フランク王国の王として自身が相応しいとのお墨付きを得ます。
当時の教皇はランゴバルド族の脅威に晒されており、軍事力による庇護者を欲していたのでした。
ここからフランク王国とローマ教皇の密接な関係が生まれることになります。

フランク王国で最も有名な人物はカール大帝かと思います。
軍事に優れ、イベリア半島の一部、イタリア、中央ヨーロッパまでの広大な領土を獲得します。
またアーヘンに壮大な王宮を建てて、内政にも注力しました。
民衆に敬虔なキリスト教徒としての態度を求めたとのことです。

当時教皇だったレオ3世は反対勢力から半殺しにされ、カールを頼ってやってきます。
会合により、教皇庁の世俗的庇護者はビザンツ皇帝でなく、フランク王であることが認められます。
カールはこれに応え、レオ3世の反対派を圧倒的な軍事力で駆逐します。
800年にサン・ピエトロ大聖堂にてレオ3世から戴冠され、王でなく皇帝(アウグストゥス)を名乗るようになります。

華々しい時代を迎えたフランク帝国でしたが、カールの死後に分裂してしまいます。
また9世紀ごろからヨーロッパ中を荒らしまくったヴァイキングにも苦しめられるのでした。

修道士たち

エジプトの砂漠で起こったキリスト教修道士の禁欲主義は、徐々にヨーロッパに伝播しました。
3世紀から6世紀にかけて広がり、俗世間から離れる者、街中で説教する者と、多様なスタイルが生まれました。

その中で8世紀以降にブームになったのが、聖人ベネディクトゥスが作成した戒律を元に生活を送るベネディクト会でした。

クリュニー修道院はベネディクト会組織として最も力を得た存在でした。
歴代修道院長は、ベネディクト会を超えて修道士たちの活動指導を行うことで存在感を増しました。
絶頂期には皇帝や教皇と比肩する権力を得ることになります。
そんなクリュニー修道院には金が集まり、次第に世俗化していくことになります。
そこにアンチテーゼのように始まったのがシトー会でした。
シトー会のカリスマであるベルナールは後に十字軍をも動かす力を付けます。

騎士たち

中世のロマン代表格といえば騎士かと思います。
君主に忠実に仕える美しさが数々の中世文学を生み出しました。

元々ヨーロッパの騎兵といえばスピア(槍)を使っていましたが、中世からランス(騎槍)を使用するようになります。
馬上で突進して突き刺すというスタイルは強力でした。
またあぶみが広がったことで、馬上で力を込めやすくなりました。

中世の騎士はすなわち戦士でしたが、徐々に名士のような立場に変容して現代に至ります。

十字軍戦士たち

ビザンツ帝国の弱体化は止まらず、イスラム系国家に小アジアの領土を奪われてしまいます。
ビザンツ皇帝はヨーロッパの国々に窮状を訴えます。

当時の教皇ウルバヌス2世には以下のような背景があり、共通の敵に向けて一致団結することは都合が良いと考えました。
・東西教会の不和
・騎士による暴力行為の横行
・西方の国土回復運動がある程度うまくいっていた

クレルモン会議にて、彼はキリスト教徒の結集を呼びかけました。
こうして第一次十字軍が結成されたのでした。

第一次十字軍では圧倒的不利な状況ながらもトルコ軍を破り続け、最終的にイェルサレム奪還に成功します。
奪還した領土には十字軍国家が建立され、ヨーロッパの諸侯たちが移り住むようになりました。

この時代に、テンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団といった騎士修道士が誕生します。
彼らは街や街道の警備、怪我人の手当てなどを行いました。
権力者の庇護もあり、彼らは力を得るようになります。

その後も十字軍は幾度となく結成されますが、どれも失敗に終わります。
最初はイスラム国家からの国土奪還が目的で始まりましたが、次第に異教徒や異端にも矛先が向き、しまいには教皇に従順でないという理由でキリスト教国家が攻撃対象になります。
十字軍は歴代教皇によって、政治の手段として活用されてしまうのでした。

感想

およそ800年を400ページに満たない文量でさらうため、ダイジェスト感は否めません。(それは著者もはしがきで断っていることですが)
ただ、ヨーロッパとその周辺地域の勢力関係をざっとインプットするには良い本だと思いました。
この本をベースに、各国の詳細を別の本で学ぶと良さそうだなと思います。

騎士たちを紹介する章では、結構詳細にその物語が記述されていました。
きっと騎士系の文学がお好きなんだろうなと思います。
おかげで興味を持てたので、近々どれかを読みたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?