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感動の到達点を引き上げる

子どもを保育園に送り届けて、帰ってきて自転車を止めたときに、足下に“ぺちゃんこ”という表現がぴったりな雑草があった。
それが目に留まって写真を撮った。
目に留まる理由というのは色々ある。
「綺麗だなぁ」とか「すごいなあ」とか「うわぁ気持ち悪い」と感じて、視線は動かされる。
この雑草は咄嗟に言葉にするのが難しかった。
強いて言えば「ん?面白いかも」かなぁ。
ぺちゃんこだったから面白いのではない。
その雑草はよく見ると、ぺちゃんこが基本姿勢のように感じた。
雑草に関する本に書いてあったのを思い出してみる。
この雑草ではないのだが、オオバコという雑草はあえて踏まれることで、粘着液を出して、靴や動物の足にくっついて種子を運んでもらうのだそう。
もう一つ、雑草の生き方について思い出したことがある。
踏まれた雑草は立ち上がろうとせず、上に伸びない。
上に伸びてしまうと折れてしまうので、横に伸びていくようだ。
だからぺちゃんこが基本姿勢という見え方は間違っていない。

そんな雑草に一瞬でも心を奪われた訳だが、帰ってから時間をおいた後に写真を見返したら、思ったより良く感じなかった。
「あれ、もっといい感じに写っているはずだったんだけどな」と思い、レタッチでどうにかあの時の感情を引き出せるように頑張ったものの、目の前の写真で感動ができなかった。
でも冷静に考えて、この雑草に出会った時、感動と呼べるほど心は動いていないことを思い出した。
でも目に留まった事実はある。
だからレタッチをしていても、それほど心が動かされないのは多分正常なんだ。
だってその時もそれほどではなかったからだ。
ただそれほどでもないからこそ、これに感動する人でありたいという、自分の理想がある。
ちょっと話は飛ぶが、ハイキューというバレー漫画にどんな人にもピンポイントでいいところにトスをあげる天才的なセッターが登場するのだが、ある日他チームの若干違ったタイプの天才セッターに「おりこうさんやな」と言われる場面がある。
それはあまりにもピンポイントすぎて、スパイクを打つ際のジャンプの到達点を限界まで引き上げようとせず、つまりアタッカーに自分の理想の到達点を押しつけずに楽なジャンプをさせていたのだ。
それに対して「おりこうさんやな」と言い放ったのだ。
この場面を思い出した。
今回撮った写真は自分にとっておりこうさんなトスではなく、これに心を動かされるまでジャンプしてこいと言っているような、そんな写真なのだ。
あからさまに感動を促すようなお涙頂戴的なものを量産しようとすると、感動の到達点がいつまでたっても上がらなくなる。
だから感動したら撮るとかじゃなくて、目に留まったら撮るっていう考え方がやっぱりいいんだなって思ったよ。
よし、今日はもう寝よう。

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