生まれ落ちた(2020)
K「子供?」
M「うん、自分の子供。」
K「今はあまり、考えたことないかな」
M「僕は男だから子供を産むことができない」
K「うん」
M「でも、いつか男性も妊娠できるようになるっていう記事をネットで読んでから、男性の妊娠について調べるようになった。」
M「そこには子宮を移植して、帝王切開で出産する方法とか、単為生殖っていう男性だけで子供を作ることができる科学技術だとか、嘘か本当かもわからないものまで書いてあったけれど、でも今は、それを読むのが趣味みたいになってる。」
K「それは...あなたが子供を産みたいっていうことなの?」
M「そうかもしれない」
K「どうして?」
M「わからない。本当に子供が産みたいのかもよくわからない。」
M「ただ、記事を読んでるうちに、自分の腹から生まれてくる子供を、見てみたいと思った。」
K「それは、どこまでが本気なの?あなたは男で、この先その科学技術っていうのがどうなるのかは知らないけど、少なくとも今は、男性が妊娠したり出産したりすることなんて、不可能なことでしょう?」
M「うん。おかしなことだと思う。どうしてこんなことを考えてしまうのか。たまに、自分は何かに取り憑かれているんじゃないかって、思うときもある。」
K「その、子供を産みたいと考えるようになったのはいつから?」
M「1年くらい前、夢を見てから。」
K「夢?」
M「薄暗い部屋に、テーブルが一つあって、そこに僕は一人で眠らされている。僕の腹のなかには何かがいて、その腹を誰かが切り開こうとする。腹の中からはニワトリが、あるときはチョウザメが出てくる。」
M「その度に、自分には正常な子供を産むことはできないんじゃないかって思う。」
K「でも、誰だって自分にどんな赤ん坊が生まれてくるのかなんてわからないことだよ。」
M「うん。」
M「その夢の中で、僕はエイリアンのような我が子を抱いている。その子は僕を見つめて、微笑むような仕草で僕に言うんだ。でも何を話しているのかはいつもわからない。」
K「うん。」
M「それがだんだん、その子が楽しそうに歌を歌っているように聞こえてきて、そう思うと、なぜか安心して目を覚ます。」
K「あなたは、その赤ん坊ではないのに、どうして楽しそうに歌ってると思ったの?」
M「どうしてだろう。」
M「でも、その子の目を見てたら、僕がそこにいるというより、その子の見つめる世界の中に僕がいるんだと思ったから。」
K「なんだか、あなたは、その赤ん坊の目を通して、自分自身を見ていたように聞こえる。」
M「そうかもしれない。」
K「その子の中に、入っているみたいに。」
M「入る?」
K「誰かが、こんなことを言っていた。」
K「仕事の帰り道、あなたは自転車に乗って帰宅しようとしている。ふとカーブミラーを見ると、そこに黒い車が現れて、その車は停止することもなく、そのまま自転車に乗るあなたに突っ込んで走り去る。あなたの体は宙に放り出されて、一回転してから地面のアスファルトに叩きつけられる。背負っていたリュックの中でスマホの着信が鳴っている。倒れたカーブミラーには乗っていた自転車が映り込んでいて、遠くまで引きずられたことがわかる。あなたは起き上がろうとしてみるんだけど、体はビクともせず、そこにとどまったままなの。まるで、体が自分のものではなくなったみたいだと思う。だけどあなたは、体が動かないことよりも、意識だけで存在している自分をとても不思議に思うの。もしかすると、目の前にあるカーブミラーやそこに映る自転車が自分の体だったのかもしれないと感じる。」
K「そのとき、あなたは何か自分と自分でないものの差がなくなっているの。」
M「なくなってる?」
K「あなたは…どうして子供を産みたいの?」
M「...」
M「その話の中で」
M「アスファルトに横倒れになった僕は、まるで出産台の上にいるようだと思っている。」
K「え?」
M「僕は今まさに出産しようとして、この腹の痛みは、車にぶつけられたせいではなく、これから僕の腹から赤ん坊が生まれてこようとしていることによる痛みなんだと思う。」
M「お腹を両手で押さえてみると、腹の中がごろっと動いたような感覚がしている。」
M「大丈夫。まだ生きている。僕の赤ん坊がちゃんとここにいる。」
K「うん」
M「体の真ん中にある腹。そこに、僕は残されたすべての力を込める。すると、意識がふわりとなくなっていくみたいに、何か生ぬるいものが漏れ出したような感覚がする。」
K「うん」
M「ほとんど消えかかっている意識の中で、僕は赤ん坊の泣く声が聞こえてくる。目を開くと、 そこには、小さく縮こまった赤ん坊が泣いている。僕の両目からもなぜか涙が溢れ続けて、僕はお腹の上にいる赤ん坊と一緒になって泣き出している。」
M「そのとき、僕は初めて自分がこの世界に生まれてきたような気がした。」
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