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企画メシ2024年 初回「言葉の企画」を終えて 

『企画メシ2024年』に参加させてもらうことになった。
コピーライターの阿部広太郎さんが主宰する半年に及ぶ連続講座だ。

参加の動機は至ってシンプル。企画力を上げたいから。
なぜ企画力を上げたいか。
それは自分が面白いと思う企画を自分の力で世に出したいから。
それには、面白い企画とは何かを考える必要がある。

初回の講義「言葉の企画」の提出課題の中に
「企画とは何か?」という問いに答えることがあった。

自分は「人の感情にアクセスするもの」と回答した。


「アクセス」
これは去年あたりから引っかかっている言葉だ。
何気なく聞いているポッドキャスト番組「超相対性理論」の中でパーソナリティの人たちが「アクセスする」という言葉をたまに使う。確か最初に気になったのは「過去にアクセスする」という使い方だったと記憶している。そのときから「アクセス」という言葉の意味を考えている。
そして自分がなぜ引っかかるのかも。

『超相対性理論』とは、具体と抽象を行き来しながら、一つの事柄を、さまざまな角度と尺度とから見つめるポッドキャスト番組。パーソナリティたちの会話を通して、ついつい自分も考えしまう番組。

「アクセス」という言葉を日本語にしようとしたが、うまくできなかった。直訳すると「接続」にあたるようだが、自分が感じたい言葉の感覚とは少し違った。パーソナリティの言葉から感じた文脈とも違った。誤解かもしれないけど。

ぐるぐる考えているうちに、「アクセス」に対して、自分の中から出てきた答えは「距離のあるものに対して近づこうとする意志」だった。
「アクセス」するには、距離があることが前提となる。例えば、「過去」にアクセスするには、「現在」からの距離をまず意識しなくてはならない。
そして意識した距離を詰めるために、たとえば「現在」から「過去」へと手を伸ばす必要がある。このとき距離をどう詰めていくかが重要だ。手を伸ばせば案外すぐに掴めるときもあるかもしれないし、どれだけ努力しても届かないときがあるかもしれない。
不確実性があると感じた。
アクセスしたいのに、届かないものがあるのかもしれない。

ここで気づく。
そうか、だから自分にとって「企画」は「アクセス」なのだ。
まだ、自分にとって不確実性のあるものなのだ。

企画するとき、届いて欲しい人に、確実に届くかどうかはわからない。
もちろん、最大限の努力はするだろう。それでも、それは最終的に届くかどうかはやってみないとわからない。自分が意識している距離を見誤っていることさえ、往々にしてあると思う。

これがもし「コネクト」だったらどうだろう。「アクセス」と意味合いは似ている気がする。
「コネクトする」という響きから自分は「双方に積極的に向かっていく意志」を感じる。
もし自分にとって「企画」が「コネクト」のレベルで実行することができたら、どんなに素敵だろうと思う。

いや、それでもやはり自分にとって「企画」は「アクセス」なのだと思う。
確実性のないもの。そこに惹かれる。
どこまで届くかわからないもの。だから惹かれる。
確実性があるということは、想定した以上のことを期待しないことだと思う。自分はいつだって想定したこと以上のことを期待したい。

「企画メシ」に参加したのは、もしかしたら、自分の企画力を上げて、企画の確実性をあげていきたいと思っていたからかもしれない。しかし、改めて初回の「言葉の企画」を振り返り、確実性も重要だが、不確実性ももっと重要なのではないかと思った。

「言葉の企画」で最も印象に残ったのは「A→B AではなくB 企画とは、幸福に向かう意志」という内容だった。
「ものは良いよう」で、Aだと誰もが思っているものを違う視点からポジティブに捉え直し、新しくBという言葉で定義してみると輝く。自分はそんな風に捉えた。
やはりここで言う「向かう意志」というのは、やはり自分には「アクセス」なのだと思う。「近づこうという意志」だ。
不確実だからこそ、爆発するような「企画」を、自分は今回の「企画メシ」を通して考えたいと思った。その視点で学んでいこうと思った。

これから半年間、多くのことを学んでみる努力をしたいと思っています。
#企画メシ


少しだけ・・・「言葉の企画」のときに連想したことを・・・
ここからは蛇足のようなものです。

阿部さんの話を聞きながら、途中で急に前職のことを思い出した。
私は新卒である教科書会社に就職し、営業職として働いていた。「教科書会社の営業」というと一体何をしているのか全くイメージできないかもしれない。端的に言うと、自社の教科書を各地域にPRしていくことが仕事だった。

この仕事していたときに強烈に感じていたのが、教育のプロである人たちに自社の教科書をPRしにいかなくてはならないこと。例えるなら、ど素人がソムリエにワインを売りに行くようなものだ。話の解像度が違い過ぎる。捉えている事象のレイヤーが合わなかったりする。
この営業を通じて感じたのは、プロフェッショナルに売り込む難しさだった。
正直に言うと、当時の自分は若さで勝負していた。年上である教育のプロに、年下の、何もわかっていない自分は、むしろこの教科書の良いと思うというところを教えて欲しいというスタンスで営業して回っていた。
若かったから、可愛がってもらえた。それでいろんな人と関係が築けた。でも、このやり方は年次が上がっていくと通用しなくなる。プロたちとある程度の会話ができるようになるまで専門性を磨く必要が出てきた。
阿部さんの話を聞きながら、どのタイミングだったか覚えていないが、急にあのときの「若さで勝負するのではなく、専門性を磨かなくてはならない」と強く感じたことを思い出してきた。

思い出すことに至ったトリガーはいくつかあるように思う。
企画するには、プロに素人の自分が勝負しなくてはならないときがあると認識したからか。
企画するには、もっと自分の専門性を磨いていく必要があると思ったからか。
企画するには、自分を変えていく必要があると思ったからか。
そのすべてか。

自分でも掴めないが、「言葉の企画」を聞いている間に、急に思い出した。転職してから5年経つが、久しぶりに感じた感覚だった。


この感覚をもったことを、記録に留めておきたいと思ったので、蛇足だとしても、書かせてもらいました。

きっと良い企画をするには、自分の中の何かにも「アクセス」することなんだと思います。

こうやって、自分の想いを外に出すことは重要なことだと思うと、同時にとても勇気がいることだと感じました。
この文章を書きながら、なぜか震えてしまいました。落ち着かない気持ちにもなった瞬間があります。

でも、2回目以降もできる限り、何かを感じたなら、言葉に残していきたいと思います。


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